宜保愛子の死後の世界

 宜保愛子も人間は、現世、霊界、来世と人間の辿るべき道程は継続していると言っています。霊界はつらいところでも、苦しいところでもないけど、現世ほど良いところでもないとも言っています。

 宜保愛子さんは霊能者で霊能から感じた霊界を、多分前世の記憶などから描写していると思いますが、これは正確な霊界を語っているとは思えません。シルバーバーチは霊界には、花、鳥、動物、山、川、海と何でもあり、現世と比較にならないほど美しいと言っています。そのほかすべての芸術もそろっており、ピアノや絵画を習いたければそれを教える霊もいるという。美術館や博物館のようなものもあり、見たければ、現世の名作から霊界が所有しているものまで、いつでも好きに見ることができるそうです。シルバーバーチから言わせれば、霊界こそが実感のある世界で、現世は幻影のようなものといっています。

 実際の霊界には6段階ぐらいあって、死後、最初に行くのは幽界と言うところで、そこはこの現世と変らない醜悪な部分もあるようであまり環境のいいところではないみたいです。上に行くほど快適な世界に変る見たいで、当然キリストや釈迦は霊界の最上階に属し、まさに天国のような環境で過ごしているのです。

 死後、それぞれの霊にはそれなりの道が自動的に用意されており、現世で徳を積んだ人には、黙っていても極楽への道を軽やかに歩くそうです。悪人には悪人の道が用意されており、自殺者には自殺者の道が用意されているということです。自殺をするということで、苦悩から脱却できるというのは間違いで、自殺した霊は現世よりもさらに悲惨な試練が待ち構えているそうです。自殺霊は、霊界に来てはじめて、背負いきれないほどの重荷に、自分はなぜ死んでしまったのかと後悔するそうです。

 シルバーバーチは自殺霊についてこう言っています。

 
逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。

 シルバーバーチは原因と結果の関係についてこう語っています。

 
幸運(つき)というようなものは存在しません。法則(因果律)の働きがあるのみです。たまたま(偶然)そうなったというようなことは一つもありません。法則によって規制されている宇宙においては、すべての出来事は原因と結果の関係で生じているのです。

 宜保愛子は
「あなたの来世の運命をつくりあげるのは、ひとえに、現世におけるあなた自身の生きざまなのです」
 と繰り返し述べていますが、


 エドガー・ケイシーもこういっています。霊魂は体が死んでも滅ぶことはなく死を超えて存続する。人は、かって生き、今生き、来世でも生き続ける。その人がかって行ったことは今に結集し、今行っていることは来世に結集する。魂が持ち運ぶ思想と行動の記録に応じて、罪を犯した者に対する神の審判は死後に裁かれ、償いの人生が割り当てられる。そのいっぽう善は必ず報われる。
 またこうも言っています。人間は成長するために何回も生まれ変わり、自らが生まれた本源(創造主たる神)へと帰巣の旅を続けている宇宙の航海者であり、誰もが神へと帰還しなくてはならない。
 
 シルバーバーチもこう言っています。

 
地上生活の総決算をする時がきたとき、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。そのときの判決の基準は地上で何を考えたかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたということです。

 ヒトラーやスターリンのように大量殺人を行った者や、或いは宅間守や麻原彰晃のような者は、何百年も何千年も暗黒の世界で悶え苦しむようです。そして、何百年か何千年か後に再生したときは、表現できないほどの悲惨な人生を割り当てられるのです。
 
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