原田祖岳の誤り
 
 原田祖岳氏の「禅学質疑解答」なるものに一通り眼を通してみた。さまざまな禅門題に名うての老師がどのような見解を語るのかと興味津々でページを繰ってみたが、まず質問自体が肩透かしのような内容の浅い質問で、その箸にも棒にも掛からないような質問にかこつけて原田氏が仏教論理や禅論理を終始一貫説きまくる、あまり興趣のない本である。

 例えば第一問が次のような質問である。

 問 近来だいぶ禅風が盛んになりましたが、私にはどうも意に満ちた禅に出会いません。徹底せる禅を求めて修行したいと思いますが、どうぞ御指示を願います。
 
 一事が万端、このような質問で、その質問に原田氏は、待ってましたとばかり仏教論理や禅論理を延々と解説するのである。さすがに曹洞宗大学林(現駒澤大学)の元教授だったせいか、微に入り細に入り仏教全般の教義や教理をうんざりするほど詳しく述べ、まさに全編、講義講釈のオンパレードである。

 一つ例を挙げると、

 問 曹洞宗の宗意安心に対し異議紛々なるように見受けられ、吾々乍入底 (叢林生活の新人)の者は実に取捨に迷います。何卒赫日徹底的な御高説を承りたく存じます。 これに対して、延々たる講釈が続くのである。

 第一仏教とは如何なるものであるか、仏教は広大にしてかつ複雑であるが、まずこれを具象的にいえば経律論の三である。しかして経とは、理屈にわたらずに仏が自証の境界を機にしたがってお話になったものをいうのである。律とは僧俗の何れを問わず、いやしくも仏弟子規たるもの日常生活上の規律を示されたものをいうのである。論とは仏自証の真理を理論的に示されたものをいうのである。

 仏教は実に広くかつ深いのであるが、ただ一言にしてこれを言えば経律論の三である。これを三蔵というのである。 この三蔵の各特殊の点があるのであるが、要するに仏自証の真理すなわち真如法性を種々の器機に示したものにほかならないのである。しかしてこの絶対の真理を証得して、しかも実行の上に是を現わすというよりほかに、仏教というべきものは何物もないのである。八万八千の法門、六千余巻の経典も畢竟するところはこの三蔵である。その三蔵というも、一仏心印の各方面にほかならないのである。

 その次は、戒定慧がどうたらこうたらと果てしなく、戒定慧を縦に見たらどうのと、横に見たらどうのと事細かに説明している。しかし原田氏自身がこの著作の中でも、次のような逸話を紹介しているではないか。
 
 ゐ山仰山に問う「涅槃経四十巻あり、多少か是れ仏説にして、多少か是れ魔説なる」仰山曰く「総(まさ)に是れ魔説なり」と

 ゐ山この答を得て仰山の道眼円明なるを称讃している。我が門の眼晴開けばかくなくてはならんのである。ひとり涅槃経のみならず一大蔵経も総て是れ魔説である。禅門に伝わる汗牛充棟の祖録もことごとく邪説である。いわんや各宗の教判のごときは皆ことごとく邪魔の臆説に過ぎぬ。  

 と、原田氏は引用しつつ、自身多々魔説を述べている。原田氏は多くの弟子を印可したけれど、彼自身は悟っていたかと言うとはなはだ疑問である。 原田氏は何かと言うと我が開山道元禅師はと道元を持ち出すが、その道元は「正法眼蔵」でこう説いている。
 
 ただまさに、やわらかなる容顔をもて、一切にむかふべし しかし、「禅学質疑解答」の巻頭に掲載されている二枚の写真の原田氏の容貌を見る限り決してやわらかとは言えず畏怖を覚えるような容貌をしている。
 そんな容貌で、いわゆる正信論争の時、 忽滑谷快天(ぬかりやかいてん)氏を、仏祖の域には程遠い素凡夫、無眼子にすぎない獅子身中の虫と決め付け、千年万年研究をつづけたところで禅の奥義はわかるわけがないと罵倒したのである。まさにこの表情にしてこの言ありの言貌一致の観がする。
 忽滑谷快天氏は曹洞宗の僧侶でありながら文学博士でもあり、駒澤大学の初代学長でもあったが、 「若し人あり我を罵るとも之を怒らず。若し我に刀杖を加ふるとも瞋恨の心なく施意を絶たず」というような人格者なので、ただ口ぎたない罵言を言う原田祖岳氏を相手にしなかった。

 私が原田祖岳氏の悟りをはなはだ疑問というには次のような経緯からである。
 大正5年に破有法王という人の書いた「現代相似禅評論」という本が出版された。公案に対する密室での師と弟子のやりとりを公開して、公案の答えも暴露している。

 当時、すごい反響を呼び、その為多くの師家の反発を買い、早々に絶版の憂き目にあったという。しかしこれも真偽は定かではない。なぜなら発売後も三度ほど増刷しているからである。最初の発売が大正五年八月で四版目が昭和十年の三月である

 その本の序文にはこう書かれている。文語体で書かれているので大体の意味を分かりやすく書いてみる。
 
 日本には仏法はない。多くの人はこのことに目を向けるべきである。仏法がないと言うより、ただ仏道の導師がいないというべきである。
僧とは名だけで、相似(公案の解釈のやりとり)の言語を興して渡世の具とする悪知恵のみで、生死の関所は透過できず、不伝の妙道を了明した師もいない。
 相似の宗匠たちは一時の安逸の為に悟ってもいないのに、一人よがりの悟りの境地を説き、機縁やコネを利用して勢力の網を張っている。禅僧はこうあるべきだとか、公案を解説したりするが、いかんせん生死は超越できず、煩悩も克服できず、心は茫茫として、真理に暗く迷いは極まりない。

 経文では、末世には悪者たちが袈裟を着て、相似の法を説いて仏法を破滅すると言うが、今まさに仏の言う通りである。いまやこの国の正法は滅びて魔物類がはびこっている。(素人の求道の士は何も知らないでこの野狐の魔窟に入り込み、般若種性を滅却させられる者も少なくない)法王(この本の作者のこと)その悪毒の恐ろしさを知り、そのためにこの方薬を投ずるのである。
その他まだまだ序文は続くが割愛する。

 そしてその公案に対する答えだが正解は少なく、茶番としか思えないような答えも多々ある。それが近代の悟らない師家を粗製乱造している原因の一つになっているというのもあながち嘘ではない。

 両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある。「隻手音声」の公案である。
 その答えは、師家の前に端生し無言にて隻手を突き出す。とある。 そのあと拶処(さっしょ)といって、いくつかの質問が出される。
  
 一、隻手を聞いたら証拠をを見せよ。
 答 無言にて隻手を突き出す。

 二、隻手を聞いたら成仏するというがどう成仏するか。
 答 一に同じ。 
 
 三、灰になった後、何と聞いたか。(又死後の隻手)
 答 一に同じ

 四、吹毛剣の隻手、斬れるか斬れぬか。(吹毛剣は名剣の名なり。正宗の名剣にて斬る時如何の意也)
 答 斬れませぬ。 又 斬れるなら斬って御覧じ、と手を出す。或いは無言にて手を出す。
  
 五、何故切れないか
 答 宇宙にみちみちたるが故に。

 六、宇宙にみちみちたる物を持って来い
 答 一に同じ。

 七、未生以前の隻手。
 答 一に同じ。

 八、富士山頂の隻手。  
 答 手を額にかざし富士山頂とり下瞰する態をなして曰く、ああ佳い景色だ、三保の松原清見寺。或いは其の地の附近の遠望を述べしむる者あり、例えば武蔵に於いてせば「此方を見れば秩父山、此方を見れば東京湾」などというが如し

 九、 富士山頂の隻手に語を着けよ。
 答  漢詩の一節をいう。

 十、 裏で聞いたか表で聞いたか。? 
 答  手を出して反復して曰く、裏表自由自在。 又、裏でカァカァ表でチューチューという。

 十一、隻手を聞いて何とする。
 答  草取りも、雑巾掛けもします。お疲れなら按摩も致します。

 十二、そんなに貴重な物なら、わしにも聞かせい。
 答  無言にて師家の横面へ一掌を打す。

 十三、其の隻手どこまで届く。
 答  手を畳の上へ差し出し「ここ迄届いて居ります」という。

 十四、十五日以前の隻手、十五日以後の隻手、正当十五日の隻手。
 答  右手を出して十五日以前の隻手、左手を出して十五日以後の隻手といい、両手を合わせて正当十五日の隻手という。

  その後も十五。十六、十七、十八まで下らない質問が続く。これらの答えはほとんどが「法」に悖っており不正解だが、あえて言うならただ一つ、十二の問いに対しての応対が「法」に悖っていないといえる。こんな茶番劇が延々と師家と弟子たちの間に蔓延しているとしたら、最早この国に禅は存在しないといっても過言ではない。

 無門関 第一則 趙州狗子(趙州無字ともいう)趙州和尚に僧が問うた。「犬には仏性はあるのですか、無いのですか」趙州が言った。「無」

 この「無」を拈提せよというわけである。
 答  師家の前に端座し力を極めて「むー」と絶叫す。

 拶所
 
 一、 証拠はどうじゃ。
 答  師家の前に端座し力を極めて「むー」と絶叫す。

 二、 どう成仏するか。
 答  同上。

 三、 灰になったあとどう見たか。
 答  同上

 四、 趙州或る時は「有」と云うたがどうじゃ。
 答  縦之趙州は「有」と云うともそれがしは只管に「むー」と絶叫す。

 五、 業識性というがどうじゃ。
 答  「むー」と絶叫す。

 六、 知らずに犯すというがどうじゃ。
 答  「むー」と絶叫す。

 七、 無門の二十字を一度に読んで見よ 
 答  いろはでも 漢詩でも

 八、 無字の休み
 答  無言にて又手当胸起立す。

 九、 無字の用
 答  立ち上がりて大手を振り五六歩行きつつ「行かんと要せば行き」と唱え、再び坐に復し「坐せんと要せば坐す」と唱う。

 十、 無字と業識性との隔たり。
 答  其の土地にて附近十二里許り隔りたる所へ往復する状を述ぶ。例えば東京上野に於いて参禅せる時は「ここから広小路へ出て電車に乗り須田町から京橋日本橋新橋を経て品川で降り用を弁じて、再び品川から電車でズーッと帰って来た」と云うが如し。  

 そのあとも十一、十二と下らない質問が続く。これが茶番で無くして何を以って茶番と云うべきか。この質疑応答も「法」に悖り全て間違っている。これらの解答に対して原田祖学氏は、一笑に付さないばかりか、作者(破有法王)に向かって、この無字隻手の呈解法に何の不可がある。釈尊、文殊出で来たって、無字の見所を呈するも、よい方面から見ればあれでよいではないか、もしよくない方面から見れば何と呈しても許さぬ と述べている。要するに、その見解で何が悪いのかと言っているのだ。釈尊、文殊の名まで出して、あれで良いのではないかとその見解を擁護している。しかし、一方では、その態度如何によっては許可しない場合もあるような言い方もしている。

 これは室内では全く同じように答えても、その答えた修行者の態度如何によって是とする場合と否とする場合があるからである。要するに見性を印可する基準が曖昧なのである。それを原田氏は、もしよくない方面から見れば何と呈しても許さぬ。と言っているのだ。 しかし、こんな見解に何の不可があるということ事態とんでもない誤りである。勘ぐれば原田氏も無字隻手の公案をそういった答え方でクリアしたのではないかと思われる。

 なぜなら原田氏は曹洞宗でありながら臨済宗で修行し、二年ほどで臨済宗の寺で見性したと伝えられている。しかし、破有法王は臨済宗での見性に至るさまをこう書いている。
 
 入室して師家の許可を得ざる場合を「滑る」という。見性、学人此れより所見ある毎に参禅入室し、幾回か滑りたる後、漸く師家の型に契当し、初めて許可を蒙る。此れを見性という。最初の入門より見性に至る迄の時日は師家により学人によりて大いなる相違あり、其の早きは三四回の入室にて見性し、或いは三月、或いは一年種々差別あるも三年を以って最大限となすを常とす。三年経てば殆どが見性するというわけである。

 臨済宗系禅の僧堂等では師匠が悟りに導く手段として公案を提示するが、僧堂内では昔から修行僧達がその公案の解答例を秘かに匿し持っていたという。尤も私から言えば、ほとんどの解答例が誤っていると思われるが・・・・・。

 二年ほどで見性体験をした原田氏が公案の解答例を参考にしなかったと誰が言えるだろうか。そのほとんどが間違っていることも知らずに本人は悟った積りになっているので全くの茶番である。破有法王は見性の光景をこう書いている。

 隻手々々と反復し、頭脳昏々として師家の前に至り、何となく左手出して茫然たり。師家此れを見て曰く「奇特々々汝いま正に見性成仏す、汝の九族此の功徳によって天に生ぜん」要するに隻手音声といえば黙って手を突き出せば師家の意に契うなり。

 こんな世界がほとんどの禅室で繰り広げられていると云うのである。見性の粗製乱造である。禅林にいい加減な師家が氾濫している理由がこれでわかる。

 西田幾多郎は大徳寺の廣州和尚のもとで独参し、1903年に「無字」の公案を透過し、廣州和尚から了とされたが、しかし、その日の日記にはこう書き記した。
 
 無字をゆるされる。されど余甚だ喜ばず。

 本人が納得いかないのに「無字」の透過を認められたのである。そんなことがあるのだろうか。否、そんなことのあるはずがない。ではこれはどういうことかと言うと、廣州和尚が真の覚者ではなかったというしかない。
 
 中国でも禅が盛ん成りし頃、悟らない師家が氾濫していて、大慧宗杲は初めて圜悟に参じた時、我れ未だ安心せず、しかるに諸方の宗師皆我を印可す。和尚もし我を印可せば無禅論を書せんと言った。つまり、禅はもはやどこにも存在しないことを書くと言ったのである。
大慧宗杲は後に圜悟の碧巌を一炬に付したが、後年人は、大慧が碧巌を焚書したのは、禅の弊害を思ってのことだとか、碧巌が禅の総てであるとの錯覚を防ぐためだとかいろいろ言われているが、そうではなく、圜悟が悟っていないことを大慧が見抜いて、圜悟の 著語(じゃくご)、 評唱は禅を修行する者の邪魔になれこそ何の役にも立たないことが分かっての焚書である。誰が言い出したのか仏果圜悟とはあきれ返った讃称で、禅にかかわる人たちの如何に浅識かが分かる。

 多くの弟子を印可し、禅林に名を馳せたる原田祖岳氏も、明治以降の悟らない師家の一人でしかなく、忽滑谷快天氏を、仏祖の域には程遠い素凡夫、無眼子などと罵倒する資格などは有してはいないのである。

 その他にも原田祖学氏は 「禅学質疑解答」の中で、アメリカ人の二人を指導している経緯をすこし語っていたが、こういう一文があった。
お二人とも日本に禅を学びに来られた動機は、コロンビア大学で鈴木大拙博士の講義を聞いて、真実の仏法は認識や観念だけではダメだ、体験でなければ得られないというお言葉に刺激されたからだ、ということであった。 と言って、鈴木大拙氏のことに触れていたが、大拙氏も原田氏と同じ体験主義論者で同志感を抱いていたのかも知れない。しかし、原田氏が本当に悟っているのなら、まず大拙氏の悟っていないことに気づき、そのことを指摘すべきではなかったろうか。

 大拙氏は当時、禅の先達として、世界中の後進に絶大なる影響を与えていたのである。原田氏は忽滑谷快天氏を、仏祖の域には程遠い素凡夫、無眼子となじったのであれば、大拙氏の悟りは独りよがりの野狐禅ではないかと、論難すべきではなかったろうか。しかし、出来得るわけがなかった。なぜなら、原田氏自身が真の悟りに達していなかったからである。

 原田氏は、たしかに仏法の教義、教理に関しては群を抜くほどの博識多才だが、それと禅の奥義とは全くの別物である。いくら百万遍の教義や教理を覚えても、禅の奥義の前では灰燼に等しい。それらしき物を会得して自分は悟りに到達したと錯覚しているだけである。 また原田氏は「禅学質疑解答」で霊魂の有無についてという質問に対して一通り見識を述べた後は、なぜか霊魂とはまったく関係のない素凡夫について述べている。

 まず素凡夫とは未断惑の人をいうので、学問の有無にかかわらず利人鈍者によらず、人格の高下に論なく人々本具の大道を見得せざるものはことごとく素凡夫である。さてこの素凡夫も了解することを得るか否やというに、学問の高下有無にかかわらず、了解心伏することは出来るのである。いかに識見高邁の人でも、学識深遠なひとでも、人格崇高なひとでも、信受することの出来ぬものは出来ぬのである。 正信論争で忽滑谷快天氏を罵倒したことへの正当性を強調している風に感じたのは私だけだろうか。道元の生悟り 袴谷憲昭氏の『維摩経』批判の誤り 井上義衍の誤り 稀代の大錯覚者鈴木大拙