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はじめに... |
2011年9月現在、私は体調を崩して会社を休んでいます。 実は体調を崩して会社を休むのはこれが初めてではありません。 今回で3回目になります。これが最後にしたいと養生しています。 振り返ると、初めて休んだのは過労からでした。 今では労災も認められるほど以上の勤務をし、自分でもわからないままに体調を崩していました。 気づいてくれたのは、会社の上司でした。2006年5月の中旬のことでした。 当時は、今ほど健康管理に対する環境が整っておらず、あまりわからないまま1.5ヶ月で職場復帰 しました。今から考えると、完治しておらず、薬を服用しながらの職場復帰でした。 2回目に休んだのは、また違う原因でした。 組織がなくなるという環境の変化。 発展的解消などと当時は言っていたけれど、これが私にはこたえました。 3ヶ月強でダメになりました。2008年1月中旬のことでした。 休んでいる間に、祖母が他界しましたが、お葬式に参列することもできませんでした。 このときは2.5ヶ月休んで復帰し、制限勤務などもして徐々に戻していくなど会社側の 対応も少しできていました。しかし、やはりこれも薬を服用しながらの職場復帰でした。 今回は3回目なので、より慎重になります。 やはり薬を服用しながらの復帰にはなるだろうとは思いますが、職場の健康管理に対する環境も 変わってきていることもあって、今回を最後にしたいと(焦りはしませんが)思っています。 体調を崩すには必ず原因があります。今回はそれがおそらく「東日本大震災」だと思うのです。 2011年3月11日、三陸沖中心にM9の大地震が発生し、大津波が広範囲の地域を飲み込みました。 また、福島第一原子力発電所も大きな被害を受け、菅内閣の「歴史に残る」対応によって人災に よる放射能汚染などが発生しました。 ここに現在に至り、阪神大震災の村山政権は立派な対応なのだったと再評価されています。 しかし、なぜこの震災が私の体調に変化をもたらしたのかを説明する必要があります。 皆さんもご存知の通り、発災後、特に津波の映像が繰り返し繰り返しテレビで放送されました。 さすがに倫理上、人が飲み込まれるような映像はありませんでしたが、それはこの世の物とも 思えない悲惨な惨状が画面を通して私たちの目に焼き付きました。 健康な皆さんでも、残酷な状況であったと思われたでしょう。 このような心の沈む映像を繰り返し見ると、一部の人には悪影響を与えます。 私だけでなく、多くの予備軍の人たちが全国で同じような状況に陥っているのではないかと、 何もできませんが私なりに危惧をしています。 体調の変化は自覚症状がない間に徐々に進行していくものです。 「ヤバイな...」そう気づいてテレビを見ないようにしたのはゴールデンウィークくらい。 少し遅かったようです。2ヶ月弱ほど頑張りましたが、6月終盤にダメになりました。 2回目の時と同様、変化が起こって約3ヶ月強のことでした。 今は本当は、生活をするためにも、9月下旬には復帰したいと思っていますが、会社との調整で、 いつになるかは今のところ未定です。 8月中旬頃には日常生活をするには大丈夫なくらいにまで回復し、8月下旬に主治医の復職許可と、 会社の産業医による復職許可も得ましたが、人事と職制との3者面談でもう少し様子を見ようと いう状況になってます。 そこで、リハビリもかねて会社で働く状況と同じようなことをしようと、久しぶりにパソコンを いじっています。なかなか抜け出せなかったWindows XPの環境からMac OS X(現状は10.6) に移行し、過去のメールを掘り返しました。 「阪神大震災」のことをメル友に伝えた「地震の話し」はなるべくオリジナルのまま、 個人情報に配慮した編集をしたのみでまとめました。 こうやって振り返ると、規模は違えど復旧/復興のスピードがあのときの方が早かったんだなあと、 つくづく考えさせられます。今回の不幸は政府の対応につきると思います。 当時の私の行動は決してほめられるものではありません。やってはいけない行為です。 しかし、人の行動は「自己責任」にするとこのようになります。 非常時には、主権を制限して、政府が管理(指示)する必要があります。 危機管理とは何かを改めて考えさせられた数ヶ月になったと思います。 「地震の話し」のなかでも触れていますが、人は忘れまいと思っても、忘れてしまう生き物です。 過去の教訓を生かすためにも、不適切な行動であっても残しておいて、 将来の参考にしなければなりません。 今回、これをまとめるにあたって、当時の画像などを収集もしましたが、今は誰でもが これらの情報を入手できる環境にあると思うので、あえて文字だけのまとめとしました。 2011-09-06 イーデンレーニア |
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