![]() | ゴーキョ(ヒマラヤ)と高山病のこと |
写真の人物は、私とシェルパ。
トレッキング旅行に出発の前、もし私達がゴーキョ・ピークの頂上に立つことができたら、エベレスト頂上に立つ登山家の写真によくあるように、日章旗のような旗を掲げようと計画した。日章旗そのものにするわけにはいかないので、それに似せて旗を作った。真ん中の赤い日の丸に、可愛い耳を付け、そして、髭を配した(この髭、分かるかな?)。見ての通り、猫の顔。勿論、ふざけで作ったものである。
そうなのだ。ここ、私とシェルパとが猫章旗を掲げて立つここはゴーキョ・ピークの頂上である。高度5483メートル。
猫章旗を掲げて、私は、やっぱり作って良かったと思った。側にいた数人の外国人(トレッカー)がその猫章旗を見て、皆、はじけるような笑顔を見せたのを覚えている。
しかし、30年以上経って、この写真を初めて見て、私は仰天!したのだ。
先ず、30年以上前の写真を何故、この最近になって初めて見たなどということになったのか。
この写真を撮ったカメラは、30年前なので当然デジタルカメラではない。フィルムカメラで、それも、フィルムはネガではなくてポジフィルムを使っていた。ポジフィルムなので、現像結果はスライドフィルム。そのスライドフィルムを、私は、多分1回位は、映写機を使って見たと思う。映写機で多くのスライドを次々に見ていったので、見ていたスライドの詳細までは見ていなかっただろう。
それから30年以上経ち、最近、古いフィルム等の保存を考えて、少しづつ、その電子化に取り組み始めた。このスライドフィルムも、業者に依頼して電子化し、パソコンで見られる画像jpgにしてもらった。それをパソコンで見て、出来上がったこの写真に…私は仰天したのだ。
私の背景にある山は、あの世界最高峰エベレスト。
あの時、カメラの前に立った私の後ろにエベレストが聳えていることなど、私は知らなかったのだ。
前日には私達は、ゴーキョ・ピークより500メートル下の麓ゴーキョ村に到着していた。村といっても、トレッカーの宿泊用の小屋が1つあるだけの村。その宿泊小屋も、私は最初それを家畜小屋だと思ったような粗末なものだった。私達はその小屋ではなく、テントを使っていた。
ゴーキョ・トレッキングはそもそも高度5000メートルの世界である。当然、高山病が心配になる。ゴーキョ村に到着した時には既に、私に高山病の症状は出ていた。だが、高山病の症状が出ていること自体は、重度でない限り心配するほどのことではない。だが、この写真の私の頬はふくよかだが、30年前の私はもっと細かったはずだ。この写真で、私には既に、高山病の明白な症状である浮腫が出ている。心配くらいはしても良かったかも知れないが、動きに支障があるほどの症状はなかった。実は、全く心配していなかった。
この写真を撮ったあの日の朝、私達はゴーキョ・ピークの頂上を目指して出発した。途中から、私はシェルパに手を引かれ、引きずられるようにして進んだ。ゴーキョ・ピーク頂上を見上げる位置までくると、私の足はもう動かなくなって、シェルパに背負われて、私は頂上を踏んだ。背負われて登頂したからか、それほどの感激もなかった。眼の前に広がる景観を見て「アア、湖が綺麗だ」とだけ思った。私の意識には、私に見えているのはその湖だけだったようだ。
猫章旗を掲げたことと、外国人トレッカーのはじけるような笑顔。これだけは覚えている。私の頭脳には、
これ以外は何もなかった。「湖がきれい」これだけが私の頭に入ったことだった。まわりに聳える山のことなど、何も感じなかった。
そして、30年以上が経ち、古いフィルムの保存のために電子化してパソコンで初めて写真としてそれを眺めて、 今になって、仰天し、愕然とした。私があそこヒマラヤ・ゴーキョで眺めた景観はもっと、はるかに壮大だったのだ。
私とシェルパのうしろにあるのはゴジュンバ氷河。私の意識にはなかったが私の背景にある、中央の山は、世界最高峰エベレスト(高度8850メートル)、その少し前にある、小さな雲がかかった山はローチェ(高度8516メートル)。
猫章旗を掲げて、エベレストを背にして、カメラの前に立った私の眼前に広がっていた景観の写真は これである。
私とシェルパとがエベレストを背景に写った写真は、ツレアイが撮ったものだ。わざわざ、エベレストを背景にきれいに写るように撮影したものだ。つまり、わがツレアイには、まわりの景観は全て見えていた。しかし、私には見えていなかった、私の意識には。
不思議でもあるが、それより、なにか恐ろしいものを感じる。まあ、生きて帰れたからいいか、では済まない、失ったものがあるような気がする。壮大な景観を目の前にして、私の頭脳はそれを見ていなかったのだ。
高山病は恐ろしい。死の恐れもある。生きていても、目の前にある大事なものを実は見ていないかも知れない。やはり、ヒマラヤは普通の山ではない。
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