eoさんの旅ノート
こ こ ザンクト・アントン、セルダン セルダン続き、インスブルック

   チロル・ハイキング    オーストリアの氷河や野花  など、など

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 2018年7月6日、関西空港を夕刻発のタイ航空で、バンコク経由、オーストリアのウィーンへ向かった。
 今回もツレアイとの旅。オーストリアのチロル地方を中心にハイキングするのが目的だ。

ウィーン

7月7日

 朝にはオーストリアのウィーンに到着。ここで2泊する。
 宿は Hilton Vienne。宿はまだチェックインの時間ではないが、荷物を預けて街に出た。
シュテファン寺院  

 シュテファン寺院へ行った。ウィーンに来たのは今回を入れて3度目だが、その都度、シュテファン寺院を訪れた。
 寺院の側面がまるで火事で焼けたかのような色をしている。実はそれが私にとってのシュテファン寺院の特徴なのだが、それは何度見ても同じ。やっぱり、側面は焼け焦げたような色。
 しかし、寺院の内部は、さすがに立派。
 他に、マリア・テレジア女帝時代の華やかなホーフプルグ宮殿やすぐ近くのアウグスティーナ教会を見物など、時差ボケもあまり気にならず、更にケルトナー通りに出て、アンカー時計の人形(歴史的人物)の仕掛けをみた。

2018年7月8日

 今日は、午前中は最初にウィーンの中央墓地へ行く予定。ベートーベンやシューベルトの墓のある中央墓地へ。あの素晴らしい作曲家達のお墓。一度は参るのが礼儀でしょう、となんとか言いながら、要するに、行ってみたかったのだ。 地下鉄、市電を乗り継いで行った。

 彼等の墓がもともと、ここ中央墓地にあったわけではなく、それぞれに関係する場所等にバラバラにあった。存命中に既に有名だった人々も多かったが、しかし、当時は、有名であることが"金持ち"を意味するわけではなく、有名でも貧しい暮らしの人々も多かった。

 彼等の墓地をウィーンの"中央墓地"に集めようという計画が立てられたのは納得できる。勿論、観光客の便宜のために。
お墓

 中央墓地の入口に案内看板もあるので、どの墓がどこにあるのか、配置も分かりやすい。

 この写真の中央はモーツアルト、左はベートーベン、右は(白い大きな墓石)はシューベルト、の墓である。それぞれの墓の前には、花々が添えてある。勿論、花は参拝者が置いたものである。

 私達2人以外にも、一人の若い青年がきていた。彼は墓をじっと眺めていて、写真なども撮っていた。
 モーツアルトは貧しかったので、死後、遺体は一般人民の公共墓地に投げ込まれたそうだ。何十年か経って、モーツアルトの墓を作ろうというこどになり、モーツアルトの遺骨を、となった時、沢山の骨の中でモーツアルトの骨がどれか分かる筈もなく、そこらへんに散らばる骨を集めて、それをモーツアルトの墓としたそうだ。その墓を、そのままこの中央墓地に移したものが、この写真の中央のモーツアルトの墓なのだ。だから、ここにモーツアルトの遺骨は、確実に、無い。しかし、私は、骨を拝みに来たわけではない。
 ベートーベンを敬慕して止まなかったシューベルトは、死の直前、側にいる人に「ベートーベンの墓が見える位置に私の遺体を埋めて」と言い残し、彼に忠実だった兄の努力もあり、ベートーベンの墓の横に埋葬された。中央墓地が出来上がるに際して、ベートーベンの墓がここに移されたと共にシューベルトの墓も、そのままの位置で移された。その時、多分、これからずっと自分はベートーベンの側にいるのだと、シューベルトの魂は幸福だったろう。
 いま、彼らの魂は、きっとここにあるに違いない。私達は、一時的にでも、(気障な表現だが)モーツアルト・ベートーベン・シューベルトの魂と共にあるためにここに来たのだ。
 ほかに、ヨハン・シュトラウス父子やブラームス等、多くの墓に参った。
 来てよかった、本当にそう思った。

 ウィーンの街中へ戻り、ヴォティーフ教会を見た後、美術史美術館へ行った。

お墓    

 美術史美術館はブリューゲルなど、絵画の種類は驚くほど多かった。ちゃんと見るつもりなら、丸1日以上は必要。

 美術館中央にあるゲートを飾るクリムトの(初期の?)絵は見応えがあった。

2018年7月9日

風景  
 今日は列車で Zell am See ツェル・アム・ゼーへ向かう。
 ホテルのある Wien-Mitte ウィーン・ミッテ駅から ウィーン 中央駅へ戻り、そこから Hagenfurt ハーゲンフルト、Schwarzach St.Veit シュヴァルツァハ・セント・ヴェイト を経て、午後4時前、ツェル・アム・ゼーへ着いた。
 このうち、ウィーンから1〜2時間の間だけだが、世界で初めてアルプスを越えたという世界遺産のセメリング鉄道である。
 途中の風景…小山の上にある城? 建物がやたら多い。

 ツェル・アム・ゼーで3泊する。宿は Hotel Berner。

ツェル・アム・ゼー

2018年7月10日
 オーストリア(スイスもほぼ同じだが)では、周辺のゴンドラ・リフト、バス、船など乗り物のタダ券を提供するサービスが付いている山岳リゾートのホテル・宿は多くある。今回も、ウィーン、インスブルック等大都市を除く、私達が泊まった全ての宿でそのサービスを受けた。勿論、そういう宿を選んだからであるが。

風景     

  Kuprun カプルンにある Kitzsteinhorn Berg Bahn キッツシュタインホルン山のロープウェイ乗り場までバスで行く。

 バスの車窓には、ワクワクするような良い景色。

 カプルーンの街に入ると少し雰囲気が違う。並んだ建物はホテルや宿ばかり。スキー宿のようだ。その時期にはさぞ賑わっているだろう。
風景

 キッツシュタインホルン・ロープウェイからの展望もなかなかのものだ。

 いくつかのロープウェイを乗り継いでゆく


風景
 動いていないリフトがずらり。

 雪の時期の賑わいが想像できる。


風景  

 

 Gipfelbahn ギプフェルバーンのロープウェイを降りてすぐの展望台から。

 Top of Salzburg の文字が。

 3092m 雪が多いのも当然。 景色もいい。
 山頂駅から延びるトンネルがある。 NationalPark Gallery という360mのトンネル。中に展示物もあるようだが、薄暗く、暗いのは苦手という人には怖いくらいだろう。しかし、足にさわるものは無いので、さっさと歩いても妨げるものは無いので大丈夫。 風景  

 

出たところは……

パッとひろがるパノラマ展望台。
風景  

 

 3000m級の山々が
  まわりにずらり。
 見下ろすと下は広いスキー場であり、展望台の直ぐ下はでソリ遊びを楽しそうにしている。ソリの終点には下りのロープウェイ乗り場がある。私達もソリをやろうということになり、ロープが付いた岩場の下り道を降りた。
風景  

 

 広いスキー場は、この7月でも雪はそこそこある。
 ここのリフトは動いている。
風景  

 ソリ!

 最初は、滑り降りるスピードに少し恐怖を感じるけれど、
 慣れると楽しい!

 ツレアイは3度も滑り降りた。
 ロープウェイで降りてバスで移動。そろそろ午後2時。ゴンドラAreit Xpressで山に上がった。これからハイキング。歩き出したが、帰りのゴンドラ City Express が動かない。なんと強風でダメらしい。ゴンドラはしばらく待つと動き出した。今日は天気には恵まれていないようだ。

2018年7月11日

風景  

 

 今日も、雨は気になるほどは降ってはいないが、やはり悪天候。

 仕方ない。ツェル・アム・ゼーの湖 Zeller See の遊覧船に乗ることにする。
風景  

 湖のまわりには富裕層が別荘等を構えているようだ。 

   やっぱりリゾートなんですね。
 今夜から、夕食は、外食ではなく、宿付き。
 オーストリア(これも、スイスもほぼ同じだが)の山岳リゾートのホテル・宿では、朝食・夕食付き(ハーフボード、という)が多く、この場合、いつも同じテーブル。これは落ち着くので、いい。
 ついでに言えば、大抵、アフタヌーンティーが付いている。通常、午後3時頃、ケーキは(無料)提供されるが、ティーやコーヒーはタダでついていたり注文制だったりさまざま。更に、ついでに言えば、一般的に、宿代、食事、商品の価格はスイスより安い。

2018年7月12日

 今日の午前中はハイキング、午後はザンクト・アントン St.Anton am Arlberg へ移動する。

 先ず、バスで移動、シュミッテンヘーエ Schmittenhöhe へのロープウェーで上へ。
風景  

 天気は良い方向にむかっている。嬉しい。
花も

 きれいに

 咲いている。

 ここをゆっくり見た後、 Sonnkogel ゾンコーゲルのルートへ入る。
風景  

 山腹の道を歩く気持ちも良い道。

 花も咲いている。
風景  

 麓の街を見下しながら歩くのもいい。  

 

 

 リフトを乗り継いで、下の街へ戻った。
 昼前頃、ツェル・アム・ゼーを出て、汽車でザンクト・アントンへ向かう。

 それにしても、今度の旅行で、他とは異なる、ツェル・アム・ゼーのある特長は、イスラム圏の人々が異様に多いことだった。ツェル・アム・ゼーの街を歩いている人のほぼ半分はイスラム圏の人々。あるレストランは、店の名前はアラビア語、外にでている料理メニューは"全部"アラビア語で書いてあった。イスラム圏の人々以外の人が入ってくることは始めから考えていないみたい。
 ツェル・アム・ゼー以外でイスラム圏の人々を見ることはほとんどなかったので、ツェル・アム・ゼーのイスラム圏の人々の多さは、ツェル・アム・ゼーの特色と言えるだろう。ウィーン、インスブルックにはオールトリア人以外も多かったが、ほとんどが純粋の観光客だ。

風景  

 

 イタリアのドロミテそっくり。

 そういえば、ここオーストリアの山並み、イタリアに続いてる?

 今は、イタリアに属するチロルもあるが、第1次世界大戦前はチロルは全部オーストリアだったそうだ。
風景  

 

 美しい景色も見られます。

 

 ツレアイの汽車好きの趣味に付き合って
 少し遠回りし、午後5時頃、

 ザンクト・アントンに着いた。
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