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9月25日
小雨 昨日から停泊しているブリットラピッズから出発。
今日も幾つかの水門を通過。小雨であれば船から降りて水門通過の作業を見たりする。
傘をさしているのは乗客で、傘なしは水門担当者。
船の先頭にある青い三角形様のものは、船1階の小さな展望デッキ、の底。普段はデッキ椅子が置かれているが、必要な場合はこういう風に巻き上げる。見えているのはその底というわけ。
この日、水門を幾つか通った。
途中の街メリックヴィルでは、添乗員に連れられて散策。
午後4時頃、今日の停泊地スミスフィールドに着いた。
9月26日
ここで、クルーズ船の航行地図を見て下さい。
この地図はワールド航空社発行の「World オリジナル教養ガイド」の
「秋色のナイアガラ…」版から拝借したものです。
ロウアーリドー湖、ビッグリドー湖を通り、
アッパーリドー湖に入ると、海抜124mまで到達する。
アッパーリドー湖までは上りだったが、
ここから終点キングストンまでは徐々に下りとなる。
最後の停泊地(ジョーン・フォールズ)が違っている。今回の最後の停泊地はアッパーブリューワーズ水門だった。
今日の停泊地ウェストポートへ向かう。いつも朝食中に船は出発する。
途中の景観。川だけでなく、湖もゆっくり通る。
(写真27枚)
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添乗員やツアー仲間と共に、街はずれにある高台まで登って、素晴らしい景観を眺めた。
写真の左端に私達の船が小さく見えている。
9月27日
湖から
朝陽が昇る光景が
素晴らしかった。
船着場から撮影したもの
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チェーフィーズロックで一時下船。ホテルなどを散策。
割りと目立つ場所にケルトの十字架があった。何故、ここにケルトの十字架が?
この奥に、リドー運河建設の労働者の墓がある、ということを聞いて理解した。
ケルトはヨーロッパ全土に広がった人々なのだが、元々の出身はアイルランドやスコットランドである。リドー運河建設の労働者のうちアイルランドやスコットランドから来た人々が多かったことから、ケルトの十字架がここに置かれたのだ、と私は理解した。
私が持ち上げるには重たいかなという程度の大きさの石がそこに、ずらりと並んでいる。何も書かれていないただの石。しかし、その並び方から見て、何かを記念して置かれているのだと分かる。
そうです。これらは、リドー運河建設の労働者の墓なのだ。
この写真はwikiipediaから拝借したものです。
出稼ぎでここカナダまで働きに来ていた人も多く、家族や知り合いがいないまま身元が分からずに亡くなった人は無名の墓に埋葬されたそうだし、また名前が書かれていた木製の墓標がその後朽ちてしまって誰のものだったのか分からなくなってしまった墓も多いそうだ。
それにしても、このケルトの十字架、誰がここに置いたのだろう?
船は、夕方にはアッパー・ブルーワーズ・ロックステーションに到着。
このクルーズも明日で終わり。船の船員達に私達のツアーの添乗員も加わって、"お笑い"めいた催しがあり、みんなで楽しんだ。
9月28日
船はいつものように朝食中にアッパー・ブルーワーズ・ロックステーションを出発した。 (写真15枚)
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木々がますます秋色を増して、美しくなってきた。
昼食後直ぐくらいに、クルーズの最終地キングストンに到着。
キングストンはカナダ連邦が発生した3年間、カナダの首都だったそうだ。
やはり、大都市。
美しい街だ。
船員達に別れを告げ、バスでナイアガラオンザレイクへ向かった。金曜の夕方ということで、渋滞。6,7時間のバス移動だったかな。
9月29日
ナイアガラオンザレイクは趣のある街だった。
左の古めかしい建物は、
私達が泊まったホテル、プリンス・オブ・ウェールズ。
はじめにナイアガラワイン(アイスワイン)のワイナリーでワインの試飲。美味しかったので、2本、お土産に買った。
その後、ナイアガラ・フォールズへ。
世界3大滝の1っ、ナイアガラの滝。
私達には見るのはこれで2度目。ごうごうと音を立てて、すざまじい勢いで流れ落ちるのは、昔と同じ。
しかし、街は大きくなりましたね。まるで別の街のようです。
本当に、いい旅でした。また行きたい。
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