亀  岡  祭

 亀岡祭は、上矢田町にある鍬山神社の祭礼で、戦国時代までは神輿祭、八日祭、神楽、競馬、相撲、猿楽など賑やかに行われていたようですが、明智光秀が丹波へ進攻し、亀山城を築いて以来、度重なる戦や賦役により祭りは衰退しました。
 延宝年間に水害などにより凶作が続き、村人たちは永年祭りを怠った氏神様のたたりであると考え、延宝8年(1680年)の冬、古世の村人達が神輿を作って祭りを盛んにしようと企て、当時の亀山郷長である杉原守親は祭法をまとめ武士や町の人々の協力を得て翌9年に祭礼が復興しました。この神輿の行列の中に船鉾があり、やがてまちまちに船鉾が広まりました。今では11基の鉾が残っています。
 鉾が出ているのは城下町だけで、江戸時代の城内である内丸町などには鉾がありません。昔からの城下町でのお祭りのなごりがうかがえます。祭りに合わせて町屋では所蔵の屏風や掛け軸などを見させてもらえるところがあり、祭りの楽しみの一つです。
 24日の宵宮には亀岡小学校前の形原神社付近の新町あたりには夜店がずらりと並び祭りがさらに盛り上がります。
 形原神社は、亀山城主形原松平にその名の由来があり、江戸後期の藩主松平信岑を偲び明治13年に建立されました。今では鍬山神社の御旅所として鍬山神社から2基の神輿がこの形原神社に渡御します、これを「おいで祭り」ともいいます。

 

羽衣山 鍬山
獅子舞
形原神社