老 の 坂

                      「拾遺都名所図絵」巻三より

            (老の坂拡大図)
江戸時代中期1789年頃に描かれた老の坂峠の様子です。
右下の橋は京都の沓掛から小畑川をわたる橋で、今の成章高校の入口の橋あたりでしょうか。
そこから上に峠を見ています。右上の建物は「地蔵堂」と書かれています。今は国道沿いに移転した子安地蔵です。その横には茶店のような休憩所が見えます。向かって左が亀山の殿様の休憩所、右側が一般庶民の休憩所だそうです。
その右にある松の木が首塚大明神にある松!
 
 右上奥に「丹州亀山道」とあります。その下に書かれているのは「国分石」です。
江戸時代に領土争いがあったときに、国を分ける石を置いて治めたと文献にあり、道の両側に石碑を置きそこを国境としました。今も峠の片方に「是東山城国」の石碑がありますが、もう一方は京都国立博物館の庭に置かれているそうです。
 「国分石」の手前は「馬つなぎ」と書かれています。
丹波から米を馬に積んで京に運ぶ様子や峠を行き来する往来の賑やかさがうかがえます。