伝 説 の 亀 岡
第11話 とこなげさん千手寺
空海(弘法大師)が中国大陸に渡る船の途中、海が荒れて難波寸前の時に「大願成就のあかつきには、尊像を彫ります」と観音様に祈り、唐の国に着きました。帰国の時に港から「密教の教えを広めるのにふさわしいところへ飛んでいけ」と手にした独鈷(とっこ・宗教行事に使う両端のとがった短い棒)を日本の方に投げられました。帰国後春日大社にこもりお祈りをしていると春日明神が現れ、「唐で投げた独鈷は、丹波国山内庄に止まっている。急いで行って千手観音を造立せよ、私が道を教えよう」とのお告げがあり、お告げに従い丹波へ行くと白鹿が先に立って山の谷入っていきました。独鈷は松の枝に掛かって光を放っていました。空海は早速千手観音を彫り安置しました。それ以来この寺は独狐投山千手寺と呼ばれ、白鹿が案内したことからこの地を鹿谷と呼ばれたそうです。(稗田野町鹿谷) 千手寺に湧き出る水を「お香水」といい、目の病に効くと伝えられています。「昔、毎夜怪しく光輝くのを狐狸の仕業と思った村の人が矢を放ったところ、手応えがあったようなので次の朝行ってみると、獲物はなく血が流れて千手寺まで続き観音様の左目に矢が刺さっていたそうです。驚いて矢を抜き罪を詫び末代まで弓矢を持たないことを誓いました。これは殺生する男の行為をやめさせようとした観音様の戒めで、その後この寺に湧く水が目の病に効く「ご香水」として信仰されています。
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この物語は、永光尚「亀岡百景」(南郷書房)、「亀岡市史」などを参考にしました。 |