伝 説 の 亀 岡
第3話 大井の鯉神話
昔京都の松尾神社に5人の兄弟の神様がおられた。その中の木俣命(御井神)は、保津川を亀に乗って上ってきたが、保津峡の八畳岩のあたりで流れが急なため、鯉に乗りかえ河原林町勝林島までこられました。 通りかかった大工が「どなたさまですか」と尋ねたところ、「私は松尾の木俣命である、この地に住もうと思ってやってきた」と答えられた。木俣命は丹波盆地を切り開いた大国主命の息子であるから大工は驚き「私は仕事で京都へ行かねばなりません、帰ってきたら必ずお社をお建てしますのでそれまでお待ち下さい」と約束した。 数日してその大工が帰ってくると、木俣命が同じ所におられたので、そこに社を建ててお祀りしたそうです。その後大井町並河に社を移し、大井神社としてお祀りしたそうです。 大堰川の主についてはこんな話もあります。 昔々のこと京都から福知山へ帰る男が桂川の橋たもとできれいな女性に「この手紙を丹波千代川の川堰に放り投げてください」と頼まれました。男は「お安いご用です』と引き受け並河まできたのですが、何で手紙をすてるのかと疑問に思い、手紙をあけてびっくり!中にはこう書かれていました『先日は大変ご馳走になりありがとうございました。ちょうどよい人間が見つかりましたので約束通り差し上げます。桂川の主から大堰川の主へ』男はあわてて手紙を焼き捨て、一目散に逃げ帰ったということです。
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この物語は、吉田証「口丹波風土記」(丹波史研究社)、永光尚「亀岡百景」(南郷書房)、福田晃・小林幸夫「京都の伝説、丹波を歩く」(淡交社)、竹岡林「丹波路」(学生社)、津登武「丹波&足立一族異聞」(雑草社)、「京都の伝説」(京都新聞社)などを参考にしています。 |