穴 太 寺
あなおじ(曽我部町)

穴太寺の仁王門
穴太寺の仁王門

   多宝塔(四方の欄間には青龍、白虎、朱雀、玄武が彫刻されている)
穴太寺は西国21番札所の天台宗のお寺で
705年に大伴古麿が建てたと言われています。

仁王門をくぐると、正面に本堂、念仏堂、右に鐘楼、左に多宝塔、方丈・庫裏があります。
 現在の本堂は1735年の建立で京都府指定文化財です。また、多宝塔は1804年の建立でこれも府指定文化財であり、亀岡市では唯一の木造塔です。

本尊は釈迦如来立像で『身代わり観音」として知られています。
 桑田郡の郡司・宇治宮成が京都の仏師感世を招き観音像を彫らせ、そのお礼に馬を与えたが、宮成は馬が惜しくなり、京へ帰る途中の感世を老の坂あたりで弓で射て馬を取り返しました。家に帰ってみると観音像に矢が刺さり目から赤い涙が流れており、馬も消えてしまったそうです。京の仏師の家に行ってみると仏師はなのごともないように暮らしていました。これは観音様が仏師の身代わりになったのだとわかり、宮成は非を悔い仏門に入り穴太寺を再建し観音像を安置したと伝えられています。

また、『大涅槃釈迦像』(「仏涅槃像」ともいう)が安置されています。鎌倉時代に造られた木像で全国的にも珍しいものです。明治の中頃に大阪の女性が娘の病を治したいと祈っていたところ、ある日、夢枕に「穴太寺のお釈迦様にお祈りしなさい」とお告げがあったそうです。さっそく穴太寺に行きましたがお釈迦様は見あたりません、寺中を探したところ本堂の屋根裏に置かれていたそうです。お陰でこの娘さんはすっかり病が治ったと言うことで、今では自分の病気と同じ所をさすりながらお祈りをすると病が治ると言われ、多くの参拝者が涅槃仏を撫でておられます。
穴太寺の庭園
方丈からの庭園の眺め
穴太寺の庭園

方丈・庫裏は本堂から高廊下でつながっており、方丈の南の庭園が設けられています。いずれも江戸中期のもので、庭園は多宝塔を借景にして築山をもうけた見事なもので京都府名勝に指定されています。

穴太寺の周辺には円山応挙ゆかりの金剛寺があり、応挙の描いたふすま絵は国の重要文化財となっています。

(曽我部町穴太・亀岡運動公園南)