亀岡の城下町散策
                                     
<本町の辻・三ヶ寺あたり>
 
亀山城築城400年ということで城下町散策の第2弾、今回は本町の辻を入った路地にならぶ三ヶ寺あたりです。


鬼子母神の堂
 
本町三ヶ寺あたり

本町の表通りは旧山陰街道で、城下町のメイン通りらしく道幅も他の通りとは広くなっています。その途中の辻を入るとおよそ100mの路地にお寺が3ヶ寺、他に妙見堂、天満宮、弘法大師堂などお堂が5つ立ち並ぶ不思議なスポットがあります。江戸時代の城下町の地図にも三ヶ寺がならんでおり、この空間だけ時間が止まっているようにも思えます。

妙見堂天満宮
【法華寺】
 寛政5年(1464)の開山と伝えられます。法華寺の本堂鬼瓦に宝永6年(1706)と記されており、城下の寺院本堂の建物では最古のものです。小早川秀秋の加護を受け現在の地に移されたと伝えられています。表門左には妙見大菩薩を祀る妙見堂があり、右には鬼子母神堂、また門脇には北向地蔵があります。(北を向いた仏像は珍しく、亀岡では篠町山本の如意寺の「北向薬師」が有名)
 

 法華教のお寺では、妙見さんや大黒さんは法華教の信徒を守るとされており、ここの妙見さんは能勢の妙見さんよりも古く元妙見と呼ばれています、とここの和尚さんが丁寧に教えてくださいました。
 

弘法大師堂
【寿仙院】
 羽柴秀俊(後の小早川秀秋)が城主の頃、米2石を寄進した亀山五ヶ寺の一つです。当時は浄土寺といって亀山城内にあったようですが、文禄年間にこの地に移したそうです。寺の裏には福知山城主だった小野木公知の墓があります。小野木公知は、関ヶ原の合戦で石田三成方についたため、後に福知山城を細川忠興に攻められ城を明け渡し、ここ寿仙院で自害しました。
 寿仙院表門東に天満宮、弘法大師堂がならんでいます。また寺には小早川秀秋の筆による天神画像があります。

大黒さんの鎮守堂
       

【本門寺】

 慶長5年(1600)城主前田玄以によって稗田野町からここに移されたそうです。慶長5年というと関ヶ原の合戦があった年で、寿仙院で小野木氏が自害した年に前田玄以がその隣りに本門寺を移したということで、何か因縁を感じます。この本堂には秘仏の御腹仏日蓮像があります。御腹仏というのは日蓮像のお腹の中に秘仏が内蔵されている像のことだそうです。本門寺は一般公開されていませんので見ることは出来ません。門前の鎮守堂には大黒さんが祀られています。

 この辻の東角の法華寺の鬼子母神と西角の本門寺の大黒さんが道を隔てて向かい合って鎮座して道行く人を見守っていてくれるようです。