亀岡の城下町散策
                                     
<穴太口あたり>
 
 亀山城築城400年記念ということで、今年は亀山の城下町をゆっくり散策したいと思います。
  
【穴太口】
西町の大円寺の裏の路地に道標があります。

「是より 廿一ばん 穴太寺道、妙見山道、法貴谷越えと書いてあります。安永5年・1776年の道標です。

道標の建っているこの辺りが、「穴太口」と呼ばれるところです。城下町から穴太寺に通じる道です。江戸時代には西国三十三カ所観音霊場巡りの巡礼者が多く往き来していました。大円寺の横を流れている川が亀山城の惣堀です。穴太口から東に進み惣堀を越えると城下町に入ります。



【秋葉神社】 

 元禄16年(1703)青山下野守忠重が藩主として亀山城に入った年に城下で火事があり、忠重は火除けのために前任地の浜松の秋葉山から三尺坊大権現の分霊をここに祀りました。後に医王谷に移し秋葉神社としたので、ここを元秋葉と呼ばれています。関西では火除けは愛宕神社ですが、関東では火除けの神は秋葉神社が親しまれています。 
 余談ですが、東京の秋葉原の地名は「あきはばら」と読むが、明治の火災で焼け野原になったこの地に秋葉神社を建てたことから、この地が「あきばはら」となったが、「あきばはら」では言いにくいので今の地名「あきはばら」となったそうです。最近は言葉を縮めるのがはやりで「あきば」と呼んでいて、正式な地名に戻ったことになります。

【円通寺】
このお寺は、松平信峯が篠山から国替えになり亀山に入場した際、篠山からこのお寺も移したそうです。寺には篠山城初代城主の持仏だった達磨大師像があります。また、このお寺は亀山城主松平家の奥方の菩提寺でもあります。

【関酒造】
紺屋町の関酒造は明治3年の創業だそうです。今のご主人で5代目です、4代目の奥さんは95才になるそうですが、今でも現役で店に出ておられお元気です。虫小窓のある古い町家に「この花桜」の暖簾、趣がありますね。関酒造さんの前の道は旧山陰街道で昔は和菓子屋さんとかもありました。その和菓子屋さんも篠山から一緒に付いてきてここで店を開いたそうです。
 
【心学持養社跡】
 紺屋町から本町にはいる角の手前に「心学持養社跡」という大正13年の石標が建っています。亀岡出身の石田梅岩の石門心学を広めようと、江戸時代に全国各地に塾ができました。ここにも心学を教える大きな校舎があったそうです。