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PK40 フレイダ−マウス
PK40T
PK40bis

イ)HJ別冊 (作)-

 シュトラール軍、軽戦闘偵察機。2875年に就役した全翼型の垂直離着陸機で、垂直上昇能力、空中での良好な運動性、操縦性、稼動性、加えて機体構造の強さ及び航空機としては最高の部類に入る装甲防御力による被弾帰還率の高さから、前線部隊の兵士達の評判は良く、2884年9月まで生産された。
14.5mm機関銃ニ門装備の他、さまざまなオプションが装備できた。
(HOBBY JAPAN 別冊より)


PK40T / PK41T
 イ)NITTO:S.F.3.D.ORIGINALキット (作) -
 2885年も春を迎え、北方の流氷も消えるころ、北大西洋において、拡大した各戦域間の物資海上輸送が定期化した。 シュトラール、傭兵、両軍とも有効な海上兵力を持たず、このため輸送船団は航空機の航続範囲外で、一時的に丸裸の状態になるのを享受せねばならなかった。航空機母艦など建造する余力を持たぬ傭兵軍は貨物船の前甲板を改造してJ-40を一機搭載した「カムシップ」を数隻造り、輸送船4隻に1隻の割で船団を組み、船団を護衛すると共に、数機共同でシュトラール軍の船団を、小規模ながら襲うようになった。このためシュトラール側せは、急ぎ空母機動部隊の建造が決議され、空母建造が開始された。これに搭載されるべくPK40を改造して着水しても海没しないように空気室を設け、ゴムボート及び海上サバイバルキットなどを装備したT型を数機完成した。ところが、同年9月の傭兵軍の大反撃などにより、この計画は中止され、建造中の空母は解体された。そして余剰となったPK40Tは、さらにPK41Tに改造され、傭兵軍の「カムシップ」同様の措置がとられた。このため海上におけるシュトラール軍の圧倒的優位は確保されることは無かったが、それでもシュトラール、傭兵、各軍五分五分の状態が、この後暫く続くことになる。

(HJ84/9、NITTO広告より)

PK40bis
 イ)NITTO:S.F.3.D.ORIGINALキット (作) -
 第26航空団の装備するPK40は、インテイクの内側に二重のエアフィルターを装備し、通常のPK40よりも幅の広いソリを着けた機体で、外見上、ほとんどPK40との差が無く、識別はもっぱら、わずかに幅の広いソリにだけたよっていた。又、C.d.などにも、ほとんど差が無く速力、航続力、運動性なども、PK40と同様の値を示していたが、防砂用のフィルターのため、エンジンの回転数を急激に落とした時に、エンジンがフレームアウトしやすいという欠点を持っていた。傭兵軍の砂漠用戦闘機、J-40Siより性能は勝る。

(NITTO:S.F.3.D.ORIGINALキットより)

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Original Text by Hiroshi Ichimura & Kow Yokoyama.