先秦漢魏晉南北朝詩
中国   逯欽立 輯校
底本 『先秦漢魏晉南北朝詩』(逯欽立 中華書局)
魏詩卷八
高貴鄕公曹髦
本文
えちぜん注
髦。字彥士。文帝孫。東海王霖子。正始五年封郯縣高貴鄕公。嘉平六年十月卽位。甘露五年。爲司馬昭所弑。年二十。有集四卷。
曹髦は字を彦士という。(1)文帝(曹丕)の孫。東海王曹霖(2)の子。正始五(244)年、徐州東海国郯県の高貴郷公に封ぜられる。嘉平六(254)年十月即位する。甘露五(260)年、司馬昭(3)に弑される。享年二十。『高貴郷公集』四巻がある。(4)
(1)『三國志』魏書四に伝がある。
(2)曹霖は文帝(曹丕)と仇昭儀との間の子。『三國志』魏書二十に伝がある。
(3)司馬昭は字を子上という。晋王。司馬炎受禅し、晋建国後、文帝と称される。『晋書』文帝紀に伝がある。
(4)『隋書』経籍志四によると、梁の時代に『高貴郷公集』四巻があったが失われたとある。
  四言詩
䓇䓇東伐。悠悠遠征。泛舟萬艘。屯衞千營。
書鈔百十七。
䓇䓇(かくかく)として東のかた伐たんとし、
  悠悠として遠征す。
  舟を泛(うか)べること万艘、
  衛を屯(たむろ)すること千営。

(諸葛誕の反乱に)怒りを覚えて東方へ討伐へ向かい、我が大軍は悠々と遠征する。遥か望めば、川には舟が万艘も浮かび、兵士が駐留している軍営は千にも上る。(1)
『北堂書鈔』百十七に見える。
(1)この詩は第一句に「東伐」とあることから、甘露二(257)年の諸葛誕の反乱に対して親征をおこなった際に詠まれたものと思われる。諸葛誕は淮南地方で反乱を起こしたが、司馬昭により鎮圧され斬られた。
「䓇」は「嚇」・「赫」と同じで怒る様を表す。
  詩
干戈隨風靡。武騎齊雁行。
御覽三百五十一。
干戈 風靡に随い、
  武騎 雁行に斉し。

戦闘は、風が草木を靡かせるように次々と起こり、騎馬の将軍が兵を率いて戦闘に向かう様は、まるで雁が空を飛び行くようだ。(1)
『太平御覧』三百五十一に見える。
(1)これは諸葛誕の反乱を鎮圧した後に、その戦勝を称えて作られたものだろうか。曹髦は親征したものの、眼下で戦闘が繰り広げられてことはなかったと思われるからである。また内容的にも戦闘の様子を自然の風や雁行に比するなど、優雅で落ち着きが感じられる。
<更新履歴>
2005.11.26:第一版。