ボルトンアビー

スキプトンの郊外にボルトンアビーという寺院がある。
これはデボンシャー公爵の所有する広大な敷地の中にある。公爵の地所とは言え、いくつかの村が点在し、店や集会所などの施設があり、人が暮らす一つのコミュニティーと言うか、要はデボンシャー様のお国だ。
勿論、民主主義の現在、ここに住んでいる人がデボンシャー公爵の領民であるはずはないのだが、ここにある古い建物ができた時代には、人々はデボンシャー様に年貢を納めていたのだろう。
ボルトンアビーもこの小国の中の古い建物の一つだ。
デボンシャー公爵の地所に流れる川のほとりにボルトンアビーは建っている。川沿いには遊歩道があり、自然公園として整備されているということだった。
しかし、ボルトンアビー村に着いた私は途方に暮れてしまった。
五里霧中。いや50m先も見えないほど霧に包まれて、寺院はどこにあるのやら。
遊歩道の入り口がどこにあるのかもわからず、うろつくこと暫し。ようやくそれらしきゲートを見つけて歩いていると、ベビーバギーを押した若いお父さんが「おはよう。」と声を掛けて来た。挨拶を返し、ゲートを開けて入ると、彼も後に続いてきた。どうやらこれが遊歩道の入り口に間違いないなと思って辺りを見回していると、老人の団体さんがぞろぞろと入ってきた。
お婆さん達に混じって先へと進んだが、川が現れてまた私は立ち止まった。私の記憶が確かならば、インターネットから入手したこの地所の説明によると、遊歩道は川沿いにあるはず。なのにお婆さん達は川の手前で左に向きを変えてしまった。
左側にはいったい何があるのか、霧に包まれて謎である。
お婆さん達はハイキングをしに来たとは思えないイデタチ。着いて行くべきかいなか躊躇していると、さっきのバギーを押したお父さんが追いついてきた。彼は橋のゲートを開けて橋を渡り始めた。私も後に続いた。彼は感じが良かったし、信用できそうだった。ただお母さんの姿が見えないのが不思議だった。橋の真ん中辺りで子供をバギーから降ろして川の流れを見せている彼を追い越し、私は先に進んだ。
10mほど歩いて、私はまたまた立ち止まった。道は確かに続いている。だけど幅1m足らずの道の真ん中に、なんと若牛がいるではないか。勿論、私は牛は恐くない。だが、牛がいるって事はここは牧場の敷地。ということは勝手に歩いてはいけないんじゃないの?などと思案していると、ベビーバギーが追いついてきた。
「この道を行くと、駐車場とカフェテリアのあるところに出ますよ。」と彼。
「でも、道に若牛がいる。」と私は言ったが、「そうだね。」と彼は意に介さず、道を進んで行った。
バギーに乗った2歳のトーマス君とトーマスのパパと私の3人は「GO!GO!」と合唱して牛を追いながら小径を進んだ。
牛も去り、トーマスのパパとお喋りしながら林の中を歩いた。「どこから来たの?」と言うので、「日本から」と答えると、「僕は日本には行ったこと無いよ。だって高いんだもん。」という。確かに、日本を旅行するのはお金がかかる。だから私も同じ金額がかかるんなら国内より海外に行ってしまうんだ。
トーマスのパパは気さくで感じが良く、私の下手な英語もちゃんと理解してくれた。トーマス君は片言のおしゃべりで、言葉を覚えている最中。パパは目に入るものの名前をトーマスに教えていた。「川」「牛」「太陽」そう、太陽。林を抜けると、もう霧は晴れて、太陽がふりそそいでいた。「トーマスと私の英語のレベルは同じね。」と私が言うと、「そんなことない。あなたの方がずっと上手だ。」と彼は笑った。あたりまえだっちゅうに。
話をしているうちに、なんでママの姿がないかも分かった。トーマスのママは毎週木曜日に仕事をしていて、木曜日はパパが子守りをしている。スキプトンに住んでる彼は時間潰しのために毎週木曜日は決まってここに散歩に来るんだそうだ。家の中の閉塞した状況で子守りをするのは疲れるもんね。
ゲートを超えるときや急な斜面を下る時、私はバギーを運んであげたりしていたのだが、「今日はいい助手がいる。」と喜んでくれた。
他にも彼とは色々話をした。職業を聞かれたので獣医だと言うと、「小動物?大動物?」と言うから「大動物。牛だけ。」と答えた。「牛の獣医さんは忙しくて大変だよね。日曜日も仕事してるよね。」と彼は言った。「そう。今、私はこうやって旅行してるから、診療所の他の獣医はきっとすごく忙しい。」そう私が言うと、「でも、他の獣医が休んでる時は君が仕事してるんでしょ?」と言う。そこで、お互い様だということを私は言いたかったのだが、英語で何と言っていいのか分からない。しかたなく、ジェスチャーしながら「お互い様。」と日本語で言ったら、彼は大きく頷いていた。分かっってたみたいだ。
もう一度橋を渡ると、カフェテリアに着いた。ここが折り返し点。ここには子供用のコインを入れたら上下に動く車の乗り物があって、それまでバギーの上でオネムだったトーマス君も大はしゃぎ。私とトーマスのパパはコーヒーブレイク。トーマスは持参のアップルジュース。
行きは川の左岸を上流へと歩いてきたので、帰りは右岸を下流へと下る。トーマスはシートベルトをしっかりと絞めて、おしゃぶりをくわえて眠っていた。
「帰りはいつも眠ってるんだ。」とトーマスのパパは言った。右岸は、来た道より景色が開けている。往路の左岸は起伏に富み、バギーに乗っていたらスリル満点という感じの道だったから、私も「トーマスは専用ジェットコースター持ってるようなもんね。」と言ったぐらいだが、右岸はなだらかでのんびりと散歩を楽しむ道だ。
往路、スリルを楽しんだトーマスが疲れて眠ってしまったのか、子供には退屈な風景に居眠りしているのかは分からなかったけど、トーマスのパパにとって、この帰り道はほっとする時間のようだ。
トーマスが眠ってくれたので、私たちは益々話に花を咲かせた。日本では狂牛病はないの?なんていう彼の質問から始まった両国の畜産情勢の話や、思い出せないくらいの他愛もない世間話をして笑い合いながら、あっという間に時は過ぎた。
見覚えのある牛の姿を対岸に見た時、「僕らはここから駐車場に行くけど、そこにあるのがボルトンアビーだよ。」と彼が言った。「いい旅行をしてね。」という彼に、「あなたとごいっしょできて本当に楽しかったわ。」と答え、握手で別れた。
考えてみれば、お互い名前も聞かなかった。私にとって彼はトーマスのパパ。彼にとっては、私はボルトンアビーで出会った一人の日本人だろう。
だけど、イギリスの田舎町に住む彼と日本の田舎町に住む私は、本当の一期一会の出会いで、すがすがしい朝の一時をいっしょに過ごすことができた。こんな他人には取るに足らない出来事に私はささやかな感動を覚え、旅行がやめられないのだ。
ボルトンアビーでは、案内役のおじさんが日本語のパンフを探してくれて、やっぱりいい感じ。私の出会ったイギリスの人ってみんな感じ良かったな。
さて、遊歩道の始めのところでお婆さん達が左の方に向っていったその先は、ボルトンアビーだったのだ。私がトーマスのパパと歩いた遊歩道は、ボルトンアビーの墓地の下を出発点にして、ボルトンアビーの礼拝堂に行き着くコースだった。
もし、トーマス親子に出会わなかったら、私はお婆さん達といっしょにアビーだけを見て帰って来ていたかもしれない。
霧の中の森林浴。それが嘘みたいに晴れた穏やかな景色。川のせせらぎと楽しいお喋り。それらを味わった後でなければ、ボルトンアビーもただの古びた寺院としか思えなかったかもしれない。そう思うと、トーマス親子がやってくる木曜日のあの時刻にあの場所に行けたことは、私にとってすごくラッキーなことだった。
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