このぺージでは、スガハラケイスケが日々のあれこれを何となく綴ります。
ラフレシアは龍宮城
猿2002年5月4日劇団楽市楽座のラフレシアへ行って来た。去年に続き
とても素敵な空間に身をちょこんと置き、非現実を眺めていた。クライマックス
の宴のシーンは狸が化けて宴会を開いているような不思議な風景でした。
劇終了後の宴は素敵な人たちと素敵な話をたくさんしました。このまま酔っぱ
らって一時間が一日になればいいのにと本気で願いました。ラフレシアを出て
オヤスミの挨拶。マイコウ役の千恵ちゃんが『現実へさようなら』と言いました。
ラフレシアは龍宮城だったのです。
また秋に会いに行きます。その頃には僕の喘息も落ち着くでしょう。
12/15 拝啓ディランズ・チルドレン様
「唄う事」
仕事でもないのに、なんで唄うのか。よく解らずに触っていたけど、
最近、子供と風呂に入っている時。即興でその時の感情を唄うんです。
自然と、子供を喜ばせたい一心で。それはアフリカの大地に響いている
唄に通じる位原始的な唄です。そのままそれを人前で唄う事は、今の
僕には出来そうにないけど、いつかそれに近いものをみんなに聞かせて
みたいと思うのです。かっこつけるのは止めるのです。僕はこれです。
「迷惑かけて、ありがとう」と、たこ八郎の墓に書いてました。
とても素敵な言葉です。大好きです。
引きこもりのくせに、なんで唄うのか。僕は小泉以上に変人で支持率は
低いです。
《迷惑かけて、ありがとう》
友部正人様へ
一度酔った勢いで夜中の一時に電話をかけて困らせてごめんなさい。
僕は電話を切った後、声を出して泣いてました。
そしてこんな唄を唄ってました。
『イカレポンチ』
君があんまり素敵だから、僕は君にウンコを投げました。
窓からはいだせぱ、冬の風にからかわれる。
君があんまりうれしそうだから、僕は君にウンコを投げました。
あー、君みたいな素敵なイカレ、イカレポンチになりたい。
でもそれは30年前の話、この街に残るイカレポンチは僕だけ
5/15 中止!!になっちっち。
5/12 日本のボブディラン、友部正人に会いに行く
セクシーチョコレートの相方、中武秀光は解散以後、
アメリカ大陸をウロウロしたあげく、長野県は松本で一休み中。
その松本に友部正人がライブをしに来るらしいと教えてくれた。
僕は自己中パワーを発揮し、『友部正人?誰?』という友達を
3人引き連れ5/19長野に旅立つ。
ボブディランと僕にはちょっとした隙間があった。
その隙間に居たのが、友部正人だった。いつの間にか僕のなかで
ディラン以上にディランになってしまった。
友部正人に会いに行く。
5/5 中之島祭りで約一年ぷりに唄うという行為を行った。
セクシーチョコレート解散以来、僕はずっといじけていたし、
唄どころじゃない気分だった。でもそれは、反抗期みたいな物で
その日、やっと素直になれたのだ。今はとてもいい子ですよ。
その後、見に行った劇団ジャングルノートの芝居は素晴らしかった。
演じることがあんなに自然で生意気な物だとは、今まで
知らなんだ僕はすっかりご機嫌。劇団員全員に恋をして帰って来たのだ。
僕も始めようとちょっと思ったけど、やっぱりやめるのであった。
※劇団ジャングルノートはスガハラケイスケの勘違いで、
正しくは劇団「楽市楽座」の”ジャングルノート”という芝居を見たのです。
「こんなんで許して下さい その2」
「こんなんで許して下さい」
劇団「楽市楽座」を観に行って来ました。
ジェットゴースターっていう芝居。
そして、エンドンさんのファンになちゃいました。
「楽市楽座」の事はこちらまで
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ag0214/
ディランズ チルドレン 僕の本当の唄との出逢いは、二十歳の時だった。それまで聴いていた唄の源にやっとたどり着いたのだ。ママゴトの様なヒットチャートしか知らなかった僕には、その自然すぎる唄の存在に、やっと安心できたのである。 ボブ・ディランは僕の音楽生活にとって、初恋の甘酸っぱいヤツなのだ。 |
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夢の中で聴いた事あるような唄を唄うドクトル・ミキ。 生き物のような唄を唄う石山雅人。 止まらない男、中武秀光。 エッセイスト、千代おばさん。 問題児、スガハラケイスケ。 つまり、この『ディランズ・チルドレン』は、 『素敵な唄や言葉や作品は、ここにもあるって事っ。日常の中で見つけた色んな物を、拾い集めて、結晶にして、パンティーみたいに、君に見せてあげる。』ッて事ですかね。 |