造花 (前)
「リブ、アシュヴィンはどこ?」 「ああ、姫…いえ妃殿下、おはようございます。」 ふらりと執務室に現れた千尋に、リブは軽く会釈した。 「殿下でしたら、早朝にお出かけになりました。遠方の領主と交渉してくると言われまして。」 「そう…まだ味方の数が足りないのね。」 「いえ、根宮に対抗できるだけの数はすでに揃っているんですが、浮動票はできるだけ味方につけておきたいとのことで。」 どっちつかずの領主は、様子を見ているだけならよいが、敵側に付かれるとやっかいだ。 不安要素はできるだけ潰しておきたい。 リブの敬愛する皇子は、そのような点は抜かりがない。 その誇らしい気持ちを共有したくて、リブは彼の妃である千尋ににっこりと笑ったみせた。 「そう…。」 だが千尋は小さく頷いただけだった。 千尋は政略結婚でこの国へやってきた身だが、アシュヴィンは中つ国の姫である彼女に、敵として初めて会ったときから興味を示していた。 だが、彼女の方はどうなのだろう。 「リブは一緒に行かなかったの?」 「私はここでやることがいろいろありますので…。殿下も明日か明後日には戻られると思いますし。」 とはいえ、アシュヴィンの方もせっかく嫁いできた彼女に、さして気持ちを向けていないように思われる。 国が大変なときだから、そこまで気を回している余裕がないのかだろうが、新婚の夫婦がこんな調子で良いのかと、さすがに少々不安になる。 「そっか…。ねぇ、リブ。ちょっとお願いがあるんだけど。」 千尋はリブの返答に少し考え込んでいたが、やがて悪戯っぽい表情を浮かべてリブを見た。 「姫様、これはちょっとやりすぎなのでは…。」 妃殿下というのはどうにも呼びにくいのでつい姫と言ってしまうが、千尋もその方が居心地が良いらしい。 彼女が本当に意味での妃となり、相応の貫禄がついてくれば自然と妃殿下と呼べるだろう。 そのためにはまず、二人の距離を縮めなくてはならない。 そう思って、千尋の提案に乗ったのだが。 「そんなことないって。一国の皇子の部屋がこんなに殺伐としてる方がおかしいのよ。」 アシュヴィンの部屋の中で、千尋が改めて家具類を見渡しながら言った。 確かに、必要最低限のものしか置いていない部屋は、皇子のものとしてはかなりシンプルだろう。 「もっと豪華な天蓋付きベッドとかで寝てるのかと思ってた。」 「天蓋付き…ですか。」 アシュヴィンのイメージとは程遠いと思うのだが。 リブは、思わず苦笑いを浮かべた。 さすがにベッドに屋根をつけるような大技は出来ないので、それは諦めたらしいが、何処から持ってきたのか千尋は、色とりどりの布を、枕元だとか窓だとか本棚などにどんどん飾り付けている。 「忙しい思いをしてるんだから、ここに帰って来たときくらいはリラックスさせてあげたいし。」 「姫様…。」 リブはしぶしぶ手伝っていた手を止めて、千尋を見た。 この部屋をアシュヴィンがどう思うかは別として、彼女がアシュヴィンを少なからず想ってくれていることは、嬉しいことだ。 リブは微笑みを浮かべ、再び手を動かした。 「これでよし…と。あとはお花でも飾りたいところだけど。」 しばらくして、ひと通り飾りつけが終わった部屋を見渡して、千尋が呟いた。 木目調一色だった部屋は、見違えるように明るい雰囲気になっていた。 千尋が手にしていた布類を見たときはどうなることかと思ったが、意外と上品にまとまっている。 「さすがですねぇ。」 リブはため息混じりに感嘆の声を上げた。 最初は「なんだ、この少女趣味な部屋は!」などと文句を言うのではないかと心配したが、これなら、アシュヴィンも納得するだろう。 「しかし…花ですか。」 「うん…やっぱり無理かなぁ。」 「ですねぇ…。」 近年、この常世の国にはどんどん荒地が広がりつつある。 特に根宮に近いこの辺りは荒廃が進んでいた。 「う〜ん…。」 千尋は窓辺に置いた花瓶を残念そうに眺めていたが、ふと何かを思いついたように顔を上げた。 「そうだ、布の切れ端がいくらか残ってるから、これで…。」 千尋はそう言うと、布をチョキチョキと切り始めた。 「なるほど、造花ですか。」 「うまく出来るかどうか、わからないけど…。」 出来なかったら撤収するわ、と言って千尋は照れ笑いをした。 「では、後ほどお茶をお持ちしましょう。」 これ以上、手伝えることはなさそうだ。 リブは千尋に笑みを返すと、軽く会釈をして部屋を出た。 * * * 遠く、微かな灯りがいくつか寄り添うように重なっているのが見える。 月のない夜、星明りの中、その灯りだけを頼りに近づくと、やがて見慣れた宮の輪郭が見えてきた。 アシュヴィンはそれを確認すると、黒麒麟を降下させた。 黒麒麟は音もなく宮の中へ降り立ったが、入り口を固めていた兵士たちがすぐに気づいて走って来た。 夜更けなので、他には人気はない。 彼らの当直の仕事をねぎらいながら歩を進め、広間へ入る。 「これはアシュヴィン様、お早いお帰りで…。あの、もしかしておひとりで?」 知らせを聞いたのだろう、リブが慌てて迎えに出て来た。 「ああ。連れて行った兵たちも明日には戻ってくるだろう。俺は一足先に黒麒麟で空を飛んできた。」 領主との会談はとんとんと話が進み、意外とすんなりと片付いた。 「そうですか、ご無事で何よりです。」 リブは、会談の成功とアシュヴィンの無事を喜んでにっこりと笑顔を見せたが、同時にほんの少し首を傾けた。 今のところ情勢は落ち着いている。なぜこんなに急いで戻ってきたのだろう。 「…宮を兵で固めているとはいえ、妃を置いたままでは心配だろう?」 リブの疑問を察したアシュヴィンは、苦笑いを浮かべながらそう言った。 リブが懸念しているように、千尋のことを気に掛けていなかったわけではない。 むしろ、彼女がこの国に来たときは大手を広げて迎えてやりたかったが、アシュヴィンを取り巻く環境がそれを許さなかった。 だから、情勢が落ち着いた今、少しでも時間を作りたいと思ったのだが。 こんな夜更けでは、もう千尋は眠ってしまっているだろう。 「少しくらい、言葉を交わしたかったんだがな。」 彼女がここへ来てから、まだまともに話をしていない。 やることが山積みだったとはいえ、あまり長く放っておいては本当にただの政略結婚になってしまう。 「リブ、千尋はどんな様子だ? さすがにそろそろ愛想を尽かしてるかもしれないな。」 中つ国で婚礼の儀式を行った後、千尋がこの宮にやってきてからは、ずっとすれ違ってばかりだ。 せっかく彼女を手に入れても、その心が捕まえられないのでは意味がない。 「殿下、そんなことはありませんよ、姫様は…。」 そこでリブは言葉を切った。 千尋が部屋を一生懸命飾り付けていたことは、先に報告してしまうより、自分の目で見てもらったほうが驚きも大きいだろう。 「とりあえず、今宵は部屋へ戻る。」 言いよどんだリブを見たアシュヴィンは、それをどう解釈したのか、微かに苦笑いを浮かべると背を向けた。 「お茶をお持ちしましょうか?」 「いや、いい。さすがに疲れたからな。すぐに休む。」 「承知しました、ごゆっくりお休みください。」 アシュヴィンの驚く顔を見てみたかったが、それは明日でもいいだろう。 リブは彼の背に頭を下げて見送った。 部屋の扉を開けると、入り口とベッド脇にひとつずつ、小さな火が灯されていた。 いつ帰ってきてもいいように、女官たちが灯してくれているのだろう。 その薄暗い部屋に足を踏み入れる。 同じ宮の中に妃となった千尋がいるのに、ひとりで殺風景な部屋へ入るのは、少なからず空しさを覚える。 だが、気のせいだろうか。 部屋の中になんとなく温かな気が漂っているように感じる。 「…?」 不思議に思ったが、わざわざ灯りを増やして確認するのも手間が掛かる。 そんな気力もない。 怪しい雰囲気ではないし、明日の朝、確認すればいいだろう。 アシュヴィンは上着を脱ぎ捨てると、ベッドへ身を投げた。 が。 「な…んだ、これは?」 投げ出した腕に何かが触れた。 手を伸ばして触ってみると、こんもりとしている。 こんなものにベッドの半分を奪われていては、さすがにゆっくり眠れない。 アシュヴィンは、毛布の上に寝転がった身を起こして、その毛布をめくり上げた。 が、薄明かりの中に浮かび上がったものを見て、アシュヴィンは目を丸くした。 「な…っ。千…尋っ?」 「…ん…。」 いきなり掛布団を剥がされて温かな空気が逃げてしまったせいか、千尋はベッドの上でキュッと丸くなった。 「おまえ、ここで何して…っ。」 思わず問いかけたが、眠っている彼女から答えが返ってくるわけもない。 アシュヴィンは慌てて部屋の中を見渡した。 よく見ると、ずいぶんとレイアウトが変わっている。 窓際のテーブルの上には、裁縫道具が広げたままになっていた。 どうやら、この部屋で何かをやりかけたまま眠ってしまったらしい。 今宵アシュヴィンが戻ってくるとは、露ほども思っていなかったのだろう。 「なんとも、無防備な姫だな。」 アシュヴィンは腕を組みながら、ベッドの上で子猫のように丸まって眠っている千尋を見下ろした。 |
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最初はアシュヴィンの誕生日にちなんで書こうと思ったのですが、
B.D要素が全く絡まない話になってしまいました。
影響したのは季節が冬という設定と、千尋がアシュヴィンに
部屋の改装という形のプレゼントを贈ろうとしているところ…くらいでしょうか(笑)
まぁ、その時期を選んだので、
結婚はしたものの二人の間にはまだまだ距離があるという設定になったのですが。
形だけが先行してしまい、二人の心が追いつかない状況というのは、
遙かシリーズの中では今までなかったと思うので(…たぶん^^;)
新鮮で面白いですね。
( 2010. 5. 5 )
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