造花 (後)
この場合、どう対処したらよいのだろう。 「おまえを無理やり奪ってもいいんだが。」 妃なのだから、寝所を共にしても何もおかしくはない。 しかも、アシュヴィンが寝込みを襲いに行ったわけではなく、千尋の方からやって来たのだ。 …が。 その身だけを自分のものにしたところで、空しさのみが残るような気がする。 アシュヴィンは、とりあえずめくり上げていた毛布を千尋の上に掛け直してため息をついた。 とりあえず、ベッドから下りる。 「しかし…俺はどこで寝ればいいんだ?」 こういう場合のセオリーはやはりソファ辺りだろうか。 そんな気の利いたものがこの部屋にあったか?とアシュヴィンが部屋を見回したとき、不意に千尋が寝返りを打った。 毛布をはがされたり、かけられたりしたため、眠りが浅くなったのだろうか。 先ほどは背を向けて丸まっていたが、今はこちら側を向いて無邪気な寝顔を見せている。 「ふ〜ん…。」 アシュヴィンは組んでいた腕を解き、腰に手を当ててその寝顔を覗き込んだ。 中つ国で軍の総大将として皆をまとめていた姿からは、想像も出来ないあどけなさだ。 「…千尋。」 耳元に唇を寄せて囁くと、千尋の閉じられた瞼が微かに動いた。 どうやら聞こえているらしい。 目を覚ます様子はないので、彼女の夢の中に自分が映っているのかもしれない。 ちょっとしたいたずら心が起きる。 「我が妃殿、今宵は俺のベッドで出迎えか? ずいぶん積極的だな。」 「…ん…。」 そのまま彼女の耳元でささやくと、千尋が眉をひそめた。 たぶん誤解だとでも言いたいのだろう。 「俺を待ってたんじゃないのか?」 からかい半分の口調でそう言ってみる。 「アシュ…。」 また拒否の反応をするだろうと思ったが、千尋は意外にも、戸惑いを含んだ様子でアシュヴィンの名を呼ぼうとした。 「…っ…。」 思いがけない反応に、アシュヴィンは一瞬言葉に詰まった。 「…おまえ、そういうのは反則だぞ。」 相手の寝込みを襲うような真似はしたくない。 何度も思いを交わした相手ならば別だろうが、まともに触れ合ったこともないのだ。 しかし。 眠っているからだとはわかっていても、そんな風にささやかれては理性の箍(たが)が外れてしまいそうになる。 うわごとのような囁きに誘われるように、アシュヴィンは彼女の顔の両横に手をついた。 「お前は、俺の元に嫁いできたんだよな。この国にではなく俺のところへ…そう思ってもいいか?」 柔らかく揺れる灯火に映し出された千尋の唇が艶めいて見える。 「千尋…。」 吸い込まれるようにそっと口付けると、千尋は小さく身じろぎしながら吐息を漏らした。 「…ん…っ。」 そんな反応に、このまま抱いてしまいたくなる。 「……?」 だがそこで、千尋はゆっくりと目を開いた。 さすがに眠り続けられる環境ではなくなったのだろう。 「おっと…起こしてしまったか。」 アシュヴィンは、気だるそうに目を開いている千尋を見て、苦笑いを浮かべた。 「アシュ…ヴィン…?」 「お目覚めか、姫君。 だがまだ夜更けだ。このままもう一度眠るといい、俺と一緒で良ければな。」 もっとも、自分と一緒ならば、ゆっくりと眠らせることはしない。 矛盾した物言いをしながらアシュヴィンは、千尋に意味深な笑みを向けた。 「一緒…?」 「ああ、ここは俺のベッドだ。ほら、もう少しそっちに寄れ。」 ここで寝るのは当然とばかりに、アシュヴィンは千尋の横のスペースに身を滑り込ませた。 「なんなら腕枕でもしてやろうか? 妃殿。」 焦点の定まらない目で見ている千尋の顎をクイッと持ち上げる。 「腕枕…。」 千尋はされるがままに、アシュヴィンの顔を眺めていたが、しばらくしてハッと目を見開いた。 「え…。ええええっ!? ほ、ほ、本物!?」 やっと状況を理解したらしく、抱き寄せようとしていたアシュヴィンの腕を払いのける勢いで千尋は身を起こした。 「 うそっ、なんでここにいるのっ?」 「なんだ、主が自分の部屋に戻ってきたらまずいのか?」 毛布を抱きしめて逃げるようにベッドの隅へ縮こまった千尋を見て、アシュヴィンは憮然とした表情を浮かべた。 「ちょ、ちょっと待ってっ。え?さっきの…夢…だよね。」 アシュヴィンをちらちらと盗み見ながら、ブツブツと呟いている。 「ほぉ?どんな夢を見たんだ?」 再び顔を近づけて意地悪く問いかけると、千尋はパッと頬を染めて絶句した。 「俺に迫られる夢でも見たか?」 「そ、そんなこと…っ。ええと…。ご、ごめんなさい、部屋へ戻るっ。お邪魔しましたっ。」 アシュヴィンの言葉に、一瞬頬を染めた千尋は、今まで眠っていたとは思えない素早さでベッドを下りると、そのまま走り出て行った。 「おい、千尋っ。」 あっという間に、彼女の気配が遠ざかる。 「やれやれ…。」 アシュヴィンは千尋が出て行ったドアを見て、苦笑いを浮かべた。 「夢なんかじゃないんだが、な。」 指でゆっくりとなぞった唇には、彼女の柔らかな感覚が鮮明に残っている。 「この続きは、おまえを口説き落としてからの楽しみに取っておくとするか。」 フッと笑みを漏らしながら、呟いてみる。 しかし、こんな中途半端なまま、千尋の温もりが残るベッドで眠れるのだろうか。 「全く、罪作りなヤツだ。」 明日、千尋はどんな顔をしてアシュヴィンの前に現れるのだろう。 眠ったふりをして、彼女が裁縫仕事の続きのためにこの部屋へ現れるのを、こっそりと待っているのも一興だ。 「リブ。リブはいるか?」 アシュヴィンが部屋の外へ向かって声をかけると、誰かが呼びに行ったのだろう、程なくしてリブが足早にやって来た。 「お呼びですか、殿下。 あの、どうかなさいましたか?先ほど姫様がものすごい勢いで走って行かれたようですが…。」 「ああ、気にしなくていい。それより、やはり茶を一杯もらおう。ついでに千尋にも持って行ってやれ。」 「はぁ…姫様にも、ですか。」 「言っておくが、もう夜更けだ、茶を持って行ったらさっさと帰って来いよ。」 「わかってますよ、そんな失礼な真似は致しません。しかし…。」 気になるのならば、アシュヴィンが行けば良いのではないか。 先ほどは言葉を交わしたいと言っていたのに。 リブは怪訝な面持ちで小首をかしげた。 「少しくらい焦らした方が面白いからな。」 リブの言わんとすることを察して、アシュヴィンはフッと笑った。 今ごろ千尋は、アシュヴィンの残した思わせぶりな言葉と、夢か現実かわからない唇の感覚を思い出して、眠るどころではなくなっているだろう。 「なにやらよくわかりませんが…。承知しました。」 背を向けて足早に去っていくリブを見送りながら、アシュヴィンは窓際の椅子に斜めに腰掛けた。 対になったテーブルの上には、千尋が広げたままにしているのだろう、作りかけの縫い物が置かれている。 アシュヴィンはそのひとつを何気なく手に取った。 「なるほど、造花か。ん?これは…。」 笹百合だろうか。 花びらに見立てた白い布は鋭角に切り取られ、縫い合わされている。 「笹百合の園…か。」 出雲で再会したときに、まだ敵同士だった彼女を誘ったことが思い出される。 「まさか、こんな関係になるとは…な。」 あの時、少なからず警戒しながら付いて来ていた彼女の様子が、未だに鮮明に心に残っている。 アシュヴィンは手に取った造花をくるりと回してみた。 きっと千尋の中でも、あの園での逢瀬は特別な思い出として残っているのだろう。 アシュヴィンはしばらくそうやって作りかけの花を眺めていたが、ふと思い立って立ち上がった。 上着とマントを手に取って、出入り口へと向かう。 「お待たせしました、アシュヴィン様。…あの、どちらへ?」 ちょうどそこへ、リブが茶器を持ってやって来た。 出て行こうとするアシュヴィンを見て、首をかしげている。 「ちょっと出雲まで出かけてくる。」 「はぁ、今からですか?…って…ええ?出雲って、あの出雲ですか!?」 アシュヴィンの返答に、リブは呆気に取られた。 「すぐに戻る。千尋には黙ってろよ。」 「しかし、すぐに行って帰って来られるような距離では…。しかもおひとりで?」 「心配するな。千尋の心遣いに応えたいだけだ。」 「気づいておられたんですか。」 リブが苦笑いを浮かべている。 「当然だ。薄暗いとはいえ、これだけ飾り付けられていては、いくらなんでも気づくだろう。」 すこしばかり少女趣味と言えなくもないが、悪くない。 「で、なぜ出雲に?」 領主であった弟のシャニも、今はいないはずだ。 「それはおまえにも言えんな。」 リブの疑問にアシュヴィンは、意味ありげにニヤッと笑った。 あの笹百合の園は、彼女との大切な思い出の場所だ。 「後は任せたぞ。」 そうとは知らないリブが不服そうな顔をしたが、アシュヴィンは軽く手を上げて背を向けた。 小康状態とはいえ、取り巻く環境は厳しい。 ゆっくりと出かけている暇はないのが残念だ。 黒麒麟で星空へ舞い上がると、今までいた宮の明かりが眼下に見えた。 あそこで今頃、千尋はリブの淹れた茶を飲んでいるだろうか。 いつか彼女と一緒に中つ国の思い出の地を巡れたら良いと思う。 今は自分ひとりで動くのが精一杯だが。 先ほどの千尋の顔を思い出して頬が緩むのを感じながら、アシュヴィンは中つ国への入り口を目指して 黒麒麟を走らせた。 笹百合が群生していた花園を目指して──。 〜fin〜 |
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