内なる夜明け
「僕は・・・身を引くつもりはありません。」
「へー、言うじゃん。意外と骨があるんだな。」
イサトが不敵な笑みを浮かべながら、彰紋を見ている。
とはいえ、その目はこちらを威嚇するような強いまなざしだ。
その瞳に気圧されそうになりながらも、彰紋は必死で耐えていた。
ここで目を逸らせたら、負けを認めることになる。
それだけは・・・出来ない。したくない。絶対に・・・!
「彰紋くん・・・? 彰紋くんってば!」
隣から自分を呼ぶ声がする。その声に彰紋はハッと我に返った。
ふと見ると、花梨が小首を傾げながら、心配げにこちらを見つめている。
「あ、すみません、ちょっとぼんやりしていて・・・。どうかしましたか?」
「彰紋くんこそ、どうかしたの? 最近なんだか変よ。何か心配なことがあるんなら相談にのるよ?」
「いえ・・・、大丈夫ですよ。」
彼女に余計な心配をかけまいと、にっこりと笑っては見せたものの、正直あまり大丈夫な状態ではない。
だが、その悩みごとの中心にいる彼女に相談するなんて、できるはずもない。
花梨を神子と認め、八葉として行動する機会を重ねるうちに、彼女への想いが少しずつ膨らみ始めた。
出来る限りのことをして、力になってやりたい。
彼女の支えになりたい。
自分でも気付かぬうちに膨らんだ想いが、彼女を見つめるまなざしや、彼女に対する行動に現れていたのだろう。
「おまえ、どういうつもりだよ。」
花梨を屋敷まで送っていった帰り道、その日一日行動を共にしていたイサトに、ふいに呼び止められた。
「・・・・?」
「この間まで、神子とも八葉とも認めていなかったくせして、最近はずいぶんと慣れ慣れしいじゃねえか。」
いつも以上に棘のある態度に一瞬怯んだが、なんとか気を取り直した彰紋は、イサトと向かい合った。
「あの・・・何のことでしょう?」
「しらばっくれるなよ、花梨のことに決まってんだろ!?
言っとくけどな、この世界に紛れ込んで途方にくれてたあいつを見つけて、ずっと面倒見てきたのはこの俺だ。
ほんとの妹のようにかわいがってきたのに、後からポッと出てきたヤツにちょっかい出されるのは不愉快なんだよ。」
イサトが正面から、まっすぐで強い視線を投げてくる。
「ちょっかいだなんて・・・。僕はただ─────。」
この身のすべてを賭けて、彼女を守りたい。
彼女にとっての一番でありたい。
(え・・・?)
・・・・・彼女にとっての、一番?
それは何を意味するのだろう───。
ふいに考え込んでしまった彰紋だったが、そんな彼を見たイサトは更にイライラを募らせた。
「そんなつもりはないって言うんなら、これからは必要以上にあいつに近づくな! 目障りだ。」
そういい捨てるとイサトは、くるりと踵を返して立ち去ろうとした。
「待ってください!」
言いたいことだけ言って帰ろうとするイサトを、彰紋は思わず呼び止めていた。
確かにずっと花梨の面倒を見てきたのはイサトだろう。
だが、今は同じ八葉。対等な立場なはずだ。
なかなか彼女のことを認められなかったという負い目はあるが、そこまで言われる筋合いはない。
「なんだよ。」
イサトがムッとした表情で振り向く。
「僕は・・・身を引くつもりはありません。」
その言葉にイサトは、一瞬意外そうな表情を見せたが、一番驚いたのは当の彰紋だった。
(何を言ってるんだ? 僕は・・・)
だが今更引くわけにはいかない。
張り詰めた空気が二人の間に漂った。
「どうかしたのか?」
どのくらいそうして睨み合っていたのか。
ほんの数瞬のことだったのかも知れないが、ふいに声をかけられて彰紋は我に返った。
見ると、泰継が怪訝そうな顔をしながら歩いて来るところだった。
「あ、いえ別に・・・。」
「・・・ふん、まあいいさ。これからお手並み拝見といかせてもらうぜ。」
同じように我に返ったものの、その泰継をあっさり無視したイサトは、
そう言ってもう一度、彰紋に強いまなざしを投げかけると、身を翻して走り去っていった。
(なぜ僕はあんなことを・・・。イサトと溝を深めてしまっては、花梨さんを悲しませるだけなのに。)
思わずため息をついてしまう。
今日は洛中を離れ、なだらかな山道を歩いている。
木々を揺らす風が時折、紅葉した葉を枝からすくいとっては、舞わせる。
今までずっと複数の八葉を伴っていた花梨が、今日は自分と二人で出かけたいと言ってきた。
嬉しい反面、その時のイサトの険しい表情を思うと、気が重くなる。
「彰紋くん・・・・。」
大丈夫だと言いながらも全然そうは見えない・・・・。
そんな彰紋を心配げに見ていた花梨だったが、ふいに辺りを見回し、何かを思いついたように頷くと、いきなり駆け出した。
「え・・・花梨さん!?」
その突飛な行動に驚き、彰紋が慌てて追いかけていくと、唐突に林が途切れ、目の前が開けた。
そこから先に道はなく、急な斜面を下った先には川が流れているらしく、清い水音が微かに響いてくる。
対岸には美しく紅葉した山々が折り重なり、そのわずかな隙間からは京の街が微かに見え隠れしていた。
規模は小さなものだが、峡谷といってもよい体裁を整えている。
「ここは・・・。」
京の街からさほど離れてはいないはずだが、洛中とはまるで別世界だ。
今まで、ほとんどの時間を大内裏の中で過ごし、たまにお忍びで街に出る程度でしかなかった彰紋には、
殊更、新鮮な景色に映る。
「きれいでしょう?」
先に来て待っていた花梨が、にっこりと微笑んだ。
「彰紋くん、最近元気なかったから、この景色を見せてあげようと思って。」
「花梨さん・・・。」
この世界へ来てまだ日の浅い彼女が、これまでに回った中でのとっておきの場所なのだろう。
知らず、彼女に心配をかけていたことを申し訳なく思うと同時に、
そんな自分を気にかけてくれていたことに、彰紋は胸が熱くなった。
「ほら、もっとこっちに来てみて! ここから見ると、下を流れている川も見えるのよ。」
表情が明るくなった彰紋を見て、嬉しくなったのか、花梨は足取り軽く、斜面ぎりぎりの所まで近づいた。
再び彰紋の方を振り向いて、手招きをしている。
だが─────。
「花梨さん、危ないですよ!」
その行動にひやりとしながら、慌てて彰紋が近づいた時、
斜面に背を向けたせいで目測を誤ったのか、足を踏み外した花梨が、バランスを崩した。
「え?」
「花梨さん!!」
彰紋は、咄嗟に彼女の腕を掴んでその身を引き寄せたが、踏ん張ろうとした足がわずかに、平らな地面を踏み外した。
( しまっ・・・!)
花梨を抱きかかえたまま、斜面に向かって投げ出される。
下方を流れる川が一瞬目に入ったが、次の瞬間には何もわからなくなった。
無意識のうちに身を捻ったおかげで、最初の衝撃は自分の背に感じた。
だがその後は、ごろごろと斜面を転がっていく。
下草の擦れる感触と、背の低い木の小枝が折れるバキバキという音が聞こえてくるが、どこか遠い世界のことのように思える。
ベールがかかったような意識の中で、イサトの声だけがこだましていた。
『お手並み拝見といくぜ・・・。』
☆
さらさらという涼しげな水音がする。
その音に混じって、小鳥の賑やかなさえずり声も聞こえてくる。
(・・・・?)
未だはっきりしない意識の中で、ゆっくりと目を開くと、自分の腕の中で瞳を閉じている花梨が目に入った。
その彼女の背の上では、白い小さな鳥がちょんちょんと跳ねていたが、
彰紋の視線に気付くと、すっと飛び去っていった。
その姿をしばらく眺めていた彰紋だったが、やがてハッと我に返ると、慌てて身を起こした。
左肩がズキンと大きな音をたてて痛んだが、今は構ってはいられない。
「花梨さん!? 花梨さん、しっかりして下さい!」
痛みをこらえながら彼女を抱き起こし、必死に声をかけると、花梨の瞼が微かに動いた。
「ん・・・・」
ゆっくりと開かれた瞳は、始めうつろに彷徨っていたが、すぐに光を取り戻し彰紋をみつめた。
「彰紋・・・くん?」
「花梨さん、よか・・・・った・・・。」
ホッとして身体から力が抜ける。
見たところ、これといって大きなケガはしていないようだ。
だが安心した途端、花梨を支えていた腕に激痛が走った。
「っ・・・・!」
「ありがとう、花梨さん。大丈夫ですから・・・。」
花梨が、水に浸した布を肩に当ててくれたおかげで、少し痛みが和らぐ。
だが・・・。
肩の痛みほどではないが、どうやら足首も捻挫してしまっているらしい。
(まずいな・・・。)
今、転がり落ちてきた斜面をちらりと見上げる。
思ったほど高くはなく、先程立っていた場所もだいたいわかるのだが、
こんな状態では、この急な斜面を花梨を連れて登るのは、まず不可能だ。
花梨は、あるいは手助けがなくとも一人で登って、帰ることができるかもしれないが、
どこに怨霊が潜んでいるかわからないこの京の街を、一人で歩かせるのは出来るだけ避けたい。
こういうときは、その場から動かずに助けを待つのが一番なのだが、
このような状況に陥っていることに気付いてもらうには、しばらく時間がかかるだろう。
(情けないな・・・。)
自分の全てをかけて、この人を守りたいと思っていたのに、肝心な時に役に立てない。
こうして、ただ助けを待つことしか出来ないなんて・・・。
イサトならきっと、どんな状況に陥っても自分の手で切り開いて、困難を克服していくのだろう。
『身を引くつもりはない』、そう言い放った自分がとても遠くに感じられた。
「彰紋くん、どうしたの? 痛む!?」
押し黙ってしまった彰紋を、花梨が心配そうに覗き込んできた。
「いえ・・・。」
思わず、彼女から目を逸らせる。
痛いのは身体ではなく、心の方だ。
「花梨さん・・・無事に戻れたら、しばらくあなたの供に付くことを遠慮させて頂いても良いですか。」
俯き加減に目を逸らせたまま、くぐもった声で彰紋は小さく言った。
自分以外にも、彼女を護れる八葉はたくさんいる。
いやむしろ、彼女に心配をかけるばかりで、何の役にも立てない自分よりも、
他の人間が供に付いたほうが、よほど花梨のためになるだろう。
「申し訳・・・ありません、花梨さん・・・。」
「彰紋くん・・・・? なんでそんな・・・・。」
花梨が蚊の鳴くような声で、つぶやくのが聞こえたが、
彰紋は、その後に続くであろう花梨の答えを待たず、木の幹にもたれたまま頭を垂れた。
身体が重い。
いや、重いのは心・・・。
微かに、すすり泣くような声が聞こえる。
(・・・・・?)
一瞬、意識を失っていたのだろう。ふと気が付くと、花梨が彰紋の袖を掴んで俯いていた。
時折、ぽたぽたと雫が落ちてくる。
それが彼女の涙だと気付くのに、しばらく時間がかかった。
「花梨さん・・・・・? どうしたのですか、どこか具合でも・・・?」
だが、花梨は俯いたまま、小さく頭を振った。
「・・・ごめん、彰紋くん。」
微かにしゃくりあげながら、消え入りそうな声で呟く。
「気をつけるから・・・」
「え、何を・・・。」
「もう、迷惑かけたりしないから・・・だから、嫌いにならないで・・・!」
花梨は、あふれ出る涙を拭こうともせず、流れ落ちるに任せている。
彰紋は、慌てて花梨の方へ向き直った。
「ちょ、ちょっと待って下さい、花梨さん。『迷惑』?『嫌いに』って・・・なんのことですか?」
彼女の言っていることが、泣いている意味が、まるでわからない。
彰紋は、自由が利く方の手をそっと花梨の肩にかけると、彼女の顔を覗き込んだ。
ゆっくりと顔を上げてこちらをみつめる瞳は、涙に濡れて美しく光っている。
いつもとは全く違う表情を見せる花梨に、彰紋は思わず我を忘れて見惚れた。
だが、その花梨の口から、意外な言葉が漏れた。
「だって・・・もう供に付くのはイヤだって・・・。 私が彰紋くんをこんな目に遭わせたから・・・。」
「・・・ええ!?」
全く予期していなかった言葉に、一瞬思考が止まった。
花梨がそんなふうに受け止めるなんて、思いもしなかった。
「そんなこと・・・・! そんなんじゃ、ありません、僕はただ・・・!」
ただ、これ以上、不甲斐ない自分を彼女の前に晒したくなかっただけだ。
「花梨さん、泣かないで・・・。違うんです、そうじゃなくて・・・。」
誤解を与えた申し訳なさの中に、小さく愛しさが膨らみ始めた。
彰紋は花梨の肩にかけていた手を背中に回すと、その身をそっと引き寄せた。
「ごめんなさい・・・言葉が足りなくて・・・。」
彼女を自分の胸に抱き寄せて、そっと囁く。
「嫌いになんて・・・あなたのことはずっと前から、大好きです。」
そう言ってからハッと気が付いた。
そうだ。
彼女を神子と、自分を八葉と認める前から、彼女のひたむきな姿をいつも追っていた。
自分でも気付かぬうちに、花梨のことを心ひそかに想っていた。
「あなたのお傍にいることを・・・許してくれますか?」
彼女がそう願ってくれるのなら。自分を必要としてくれるのなら。
それは大きな自信になる。
ふと、何かが吹っ切れたような気がした。
意外と長くなったので、前後編にすることにしました(^^; 珍しく、シリアス系?〈笑) それにしても、イサト君の描写がひどくってすみません・・・/// 彰紋くん側から書くとどうしてもあんなふうになってしまうのですが、 基本的にはハッピーエンドですので♪(^^) それから・・・このエピソード、どこかで聞いたような気が・・・?と思われた方、 まあ、細かいことはお気になさらずに・・・(苦笑) (自分の作品パクッてるんだから、ま、いいか〜と☆・・・そういう問題か?汗) (2004.6.6) |