「お願いだから・・・離してっ・・・・!」
その優しい瞳に、言の葉に、心がときめき始めたのはいつの頃だったろう。
さりげない仕草さえも気になって、気が付けば目で追っていた。
でも、彼の周りから感じるのは、いつも大人な女性たちの影。
自分のような何も知らない小娘など・・・きっと、彼の瞳には映っていない。
自分たちの関係は『神子と八葉』というだけで、それ以上の何ものでもない。
だから・・・見ないようにしていた。
無理やり目をそらせて、考えないようにしていた。
想いが膨らめば、その分、傷つくだけだから。
・・・・・それなのに。
なぜ、追いかけて来てしまったのだろう。
今まで、心にさざ波ひとつ立てぬよう、彼に関する全てのことは必死で抑えこんでいたのに。
『大切な女性との逢瀬』と彼は言った。
拠りにもよって、そんな場面に出くわすなんて。
その時点ですぐに、この場を離れれば良かった。
だが、月光に照らし出される彼の姿に目を奪われてしまった。
紡ぎだされる言の葉が心の琴線に触れ、その意味に心を捉えられてしまった。
そして、淡い期待を抱いた瞬間・・・思わず、隠しとおしてきた気持ちを告げそうになって、慌てて我に返ったのだ。
「君は・・何か誤解をしているね・・・?」
あかねの腕をしっかりと捕えたまま、そんな力強さとは裏腹な優しげな声が聞こえた。
その声を聞くたび、何度、彼に寄り添ってみたいを思ったことか。
「誤解なんて・・・友雅さんの周りにはいつも素敵な女性がいるって・・・わかってましたから・・・・!」
「・・・素敵な女性・・・・?」
「早く戻ってあげてください。大切な・・・・方なんでしょ・・・。」
こんなセリフなど言いたくはない。
そして、こんな場所にも居たくはない。
だが友雅は、あかねの手を離すどころか、ますますしっかりと握りしめたまま、
あろうことか、くすりと笑った。
「神子殿・・・・。もしや君は・・・嫉妬しているのかな?」
「なっ・・・・・!?」
思わず、彼の方へと振り向く。
友雅は、言葉にならずに口をパクパクさせているあかねを、愛しげに一瞬見つめたが、
すぐに自嘲気味な笑いを漏らして、視線を外した。
「いや・・・そうあって欲しいという、わたしの願望か・・・。」
月の光が互いの姿をくっきりと浮かび上がらせる。
「ここには、わたししかいないよ・・・。一番傍らにいて欲しいと願う姫君は、もうすぐ自分の世界へ帰ってしまうからね。」
「友雅・・・さん・・・・・?」
「・・・・・いや、なんでもない。・・・わたしらしくもないね、あの月の美しさにあてられてしまったかな・・・?」
斜め後ろから光を受けている友雅の表情は、少し影になっていて読み取りにくい。
だが、軽い口調とは裏腹な、憂いを秘めた雰囲気とその佇まいに、あかねは思わず吸い込まれそうになった。
「ああ、すまなかったね・・・。」
あかねの腕を強く掴んでいたことをふと思い出し、友雅はゆっくりとその手を離した。
「引き止めて悪かった・・・。さあ、もう行きなさい。」
「さよなら」と言って背を向けた姿に、思わず腕が伸びてしまったが、
この場に彼女を引きとめておく権利など、自分にはない。
・・・・そういえば・・・・。
あかねはどこへ行くつもりだったのだろう。
天真は酔いつぶれかけていたし、他の八葉もみな、あの場にいたはずだ。
わざわざ宴会を抜け出して、ひとりで出かける理由などあるのだろうか。
「他に行くところなんて、ありません・・・・。わたしは・・・・。」
そんな小さな疑問に答えるように、あかねが伏目がちに言った。
そして、なにかを決意したように顔を上げると、友雅の顔がよく見える位置に回りこみ、
それまで目が合いそうになると逸らせていた視線を、今度はまっすぐに友雅の瞳に定めてきた。
「・・・神子殿・・・?」
あかねの意図がわからない。
先ほどは、離してくれとあんなに抵抗したのに、いざ離したところで、この場を離れるわけでもなく、
それどころか、どういうわけか今は、こちらをじっと見つめてくる。
だが・・・・そうだ、こんなふうに自分を見つめてくれる彼女を見ていられるのも、これが最後か・・・。
ならばその面影をしっかりと、この心に刻みつけよう。
友雅は愛しい彼女の瞳を、優しく包み込むように見つめ返した。
「・・・・・・っ・・・・・!」
胸の奥がドクンと波打つ。
そういえば、彼の瞳をこんなふうに真正面から見るのは、どのくらいぶりだろう。
懐かしい香りを感じる。
あたたかな眼差しに吸い込まれそうになる。
「と・・・友雅さん・・・・・わたし・・・・・。」
どうしたというのだろう。
自分は何を言おうとしているのだろう。
『嫉妬』・・・。『願望』・・・・。『帰っていく姫君』・・・・。
先ほどの言葉の意味を聞いてみたかった。
だから、はぐらかされないように、彼の瞳を捕えようと思った。
ただ、それだけだったのに・・・。
心の奥底に封印してきた箱の蓋が、開きかけている。
今まであんなにしっかりと鍵をかけていたのに。
「わたし・・・友雅さんだけを見つめていました。ずっと・・・ずっと前から・・・。」
やめなさい、傷つくだけと、どこかで声がしている。
だが、彼のこの瞳の前では自分を保てない。
そして・・・先程、彼の唇から紡ぎだされた言の葉。
その言葉が、「もしや・・」と淡い期待を抱かせる。
たとえ、全てが自分の誤解でも、傷つくことになったとしても、構わない。
もう二度と逢えなくなるのなら・・・せめて今は、嘘、偽りのない自分でいたい。
「帰りたくない、ここに居たい・・・。ここに・・・。」
視界が霞む。
今まで抑えていた分、込み上げてくるものが止まらない。
「神子・・・・殿・・・・・?」
これは、どうしたことだろう。
彼女の瞳、その眦に光るもの、そして・・・紡ぎだされる言の葉。
それらはまるで愛の告白をしているかのようだ。
遠く微かに聞こえていた宴のざわめきが、木々をかすめていく微かな風の音が、すっと聞こえなくなった。
この場だけが切り取られ、時間までもが止まってしまったように感じる。
「ここに・・・・友雅さんのそばに──────。」
自分の名を呼ぶ声が聞こえる。切なげな声が・・・。
これは・・・夢かうつつか?
「と・・とも・・ま・・・・・・・!?」
あかねの声にふと気付くと、いつのまにかその細い体を抱き寄せていた。
驚いたあかねが、反射的に離れようと抵抗している。
友雅は、そんな彼女の身を改めて抱きしめた。
「じっと・・・していなさい・・・・。」
その声にピクリと反応したあかねが、動きを止めた。
だが、何が起こっているのか理解できずに、固まってしまったらしい。
そんな反応も、愛しい。
友雅は彼女の耳元にそっと唇を寄せた。
「・・・神子殿、君は・・・・わたしの心の内に気付いてはいなかったのだね。
いや・・・・当然かな・・・。君はいずれ、この世界から去ってゆく姫・・・。
そのような姫君を相手に、戯れではない恋など・・・できはしないからね。」
「戯れではない・・・・恋・・・・・?」
あかねが、掠れ気味の声で問い返す。
「・・・・・・君のことだと・・・・わからないのかな?」
柔らかな耳たぶに、掠めるように口付けると、彼女の体がびくっと震えた。
細い髪が、友雅の頬をくすぐる。
彼女を包んでいる優しい香りが、ふわっと漂った。
「神子殿・・・・先程、君がささやいてくれた言の葉、そのまま君に返そう。
顔をあげて・・・・わたしをみつめてごらん。」
言いながら友雅は、あかねの顎を引き上げた。
「と・・・・・!友雅さん・・・・・!」
「月の女神は、いじわるだと思っていたが・・・・なかなか粋なことをしてくださるね。君の表情が手にとるようにわかるよ。」
「・・・・なっ・・・・!」
狼狽したあかねの頬が、みるみる朱に染まっていく。
「可愛い神子殿・・・。できることならば・・・この胸の内を開いて君に見せたいね。
ずっと秘めてきた君への想いが、溢れそうだ・・・。」
涙の跡が微かに残る眦を、そっとなぞってみる。
「ずっと、抑えてきたのだがね。 君は・・・いとも簡単にその戒めを解いてしまったようだよ・・・。」
先程まで涙を浮かべていた瞳が、今は驚きで大きく見開かれている。
友雅の告白を信じられない思いで聞いているのだろう。
だがそれは、友雅にとっても同じこと。
あかねを前にして、このようなことを口にしている身が、自分自身のものではないように感じる。
それでも、今この腕の中に感じるのは、まぎれもなく愛しい姫のもの。
友雅を見つめる潤んだ瞳、友雅を特別な存在だと言った艶やかな唇・・・。
それは、今まで何度思い描いた姿だったことか。
「帰りたくない、と・・・言ったね?」
ふと、頭上に輝く月を見上げてみる。
「・・・帰さないよ。月の使者達が舞い降りてきても、決して君を渡しはしない。」
「友雅・・・さん・・・・。」
腕の中から、自分の名を呼ぶ、せつなげな声が聞こえた。
ゆっくりと視線を戻すと、半開きにされた唇が、微かに震えていた。
ずっと・・・ずっと手に入れたかった娘が、今この腕の中にいる。
「神子殿・・・わたしを受け入れてくれるかい・・・・?」
その答えを待たずに、顔をそっと近づける。
我が名を紡ぐ愛しい唇へ向かって─────。
「・・・愛しているよ・・・。」
月明かりが、池の水面の前に、二人のシルエットを柔らかく浮かび上がらせていた。
〜fin〜
友雅編の後編です・・・。 動きが少なく心情描写メインだったので、難しかった〜(><) ほんというと、もうひとエピソード欲しいところではあるのですが かなり長くなってしまうので諦めました(^^; その分、物足りない感じがしないでもないのですが・・・。 ・・・ということで、これら前後編とは別に、 「シリアスは難しい」「なんか物足りない」を自己満足全開で解消してしまいました〜(笑) あ、この終わり方で充分よ☆とおっしゃってくださる方は、気にしないで下さいませ☆ なんのこっちゃ?と思われた方は・・下へ〜^^; (2004.11.11) |