月の姫




今宵もまた、月が昇る。



その光を受けて、青白く浮かび上がる庭を眺めながら、友雅は今宵もひとり杯を傾けていた。
いや、厳密に言うと、ひとりではない。

賑やかな宴の様子がさざなみのように伝わってくる。
先ほどまでその喧騒の中にいたのだが、少し夜風に当たろうと、さりげなく抜け出してきた。

否、抜け出さざるを得なかった、というべきか。







『あ〜か〜ね〜〜、これで晴れてもとの世界に戻れるんだな〜?』

酔っ払ってすっかりハメを外した天真が、杯を片手にあかねの肩に腕を回している。

『天真先輩、そんなに飲んじゃって・・・だめだよ、まだ未成年なんだから・・・。』

その傍らでは、詩紋が困惑顔で、天真を引き剥がそうとしている。
だが、そういう彼も、内心ではやはり帰れることが嬉しいのだろう。
天真に突き飛ばされても、照れ笑いをしている。

そして・・・そんな二人を宥めつつ、天真の腕を振り払いながら笑っているあかねは、いつもにも増して、輝いて見える。


そんな三人の様子にいたたまれなくなって、思わず席を立ってしまった。






らしくない・・・と思う。
いつものように軽口のひとつも投げかけて、やり過ごせばよかったのだ。
今までもそうしてきたように。

彼女を、神子という存在以上の特別なものに感じ始めてから、ずっと秘めてきた心。
その腕を引き寄せ、この胸の中に閉じ込めてしまいたいと、何度思ったことだろう。

だが、一歩踏み出せば、歯止めが利かなくなる。
どんなことをしてでも、彼女を手に入れたいと願ってしまう。

否───本当に手に入れたいのは、彼女の身ではない。
・・・・・・・その心だ。
友雅を愛してくれる彼女だ。



「君は・・・あの月へ帰ってしまうのか・・・・・。」

この世界での役目を終えたあかねは、帰っていく。
自分の世界へ。
それは、彼女が現れた時から決まっていたこと。
どんなに帰らないでほしいと願っても、彼女の意思が、元の世界へ戻ることを選ぶなら、
引き止めることなど、出来はしない。

わかってはいる・・・。
だがそれでも尚、行かないで欲しいと、心のどこかで願っている自分がいる。

「まいったね・・・。かぐや姫を引き止めようとする翁や若者達と、なんら変わらないね、わたしは・・・。」


遠く聞こえる宴の喧騒からさえも離れたくて、
手にしていた杯をその場に置くと、友雅は所在なさげに立ち上がった。











「・・・・・友雅さん・・・・?」



酔った勢いで絡み付いてきた天真を引き剥がして、詩紋に押し付けると、
最初は何やらくだを巻いていた天真だったが、そのうちスースーと寝息を立て始めた。
そんな彼から視線を移し、改めて、皆の方に向き直ってみる。

宴もたけなわを過ぎ、天真ほどではないが、皆それなりに出来上がってきたようだ。
ほろ酔い加減になった八葉たちが、藤姫や女房たちを交えて、思い思いの場でそれぞれに談笑している。

そんな様子をしばらく眺めていたあかねだったが、ふと彼の姿がないことに気付いた。


夜風に当たるふりをして、そっと部屋から抜け出すと、
少し離れたところにある階から庭へと降りていく彼の姿が、かろうじて目に入った。

(・・・・・・・・?)

どこへ行くのだろう。

足音を立てないように気を付けながら、そっとその場を離れたあかねは、
こっそりと彼の後を追った。














白く冴え渡る月の光がふりそそぐ。
母屋から離れた場所のため、その灯りの届かない庭の中、
あの月明かりは、文字通り一条の光。

「・・・あの月が空高く昇りきったとき・・・月の使者が迎えに来る・・・。」

愛しい姫を連れ去って行く。

行かないでほしいと、どんなに叫んでも叶わぬ願い。

それならば、このまま心の内を明かすことなく、潔く見送ろう。
あの月の光のように、真っ直ぐな心を保ったまま、別れを・・・告げよう。

彼女が本当に去っていく瞬間に、偽りのない笑顔で見送れるように、今ここで・・。

───この心は断ち切る。



木の梢にその光を遮られないように、開けた場所を目指して、友雅はまた少し歩を進めた。
しばらく行くと、広大な屋敷の中に趣向を凝らして作られた、大池の前に出た。

昼間は、屋敷の四季を鮮やかに映し出し、その趣きを更に奥深いものにしているが、
辺りが闇に沈む今は、月光のもと、わずかにさざなみ立った水面が幻想的な煌きのみを放っている。


視界の開けた空を見上げると、月が今まさに、天頂高く昇り詰めようとしていた。

・・・月の使者たちの行列が視える・・・。

「さようなら、神子殿・・・。」

白く真っ直ぐな光が、友雅の秘めた想いをゆっくりと引き出していく。

目を閉じれば、思い浮かぶ彼女の可愛らしい笑顔。
少し怒った顔も、拗ねた表情も、すべて愛しい。
それは、決して手放したくはない記憶。

だが、忘れなければならぬ想い・・・。



「・・・・・我が愛しの姫君・・・・・。」















がさっ・・・

そのとき、不意に背後で、木の小枝を掴むような物音が聞こえた。



「・・・・・・・・。」

無粋な輩がいるものだ。
愛しい姫との別れの場面に割って入ろうとは・・・。

思わず小さくため息をついた友雅は、その場でゆっくりと振り返った。

「誰だい? 美しい月の夜・・・珍しく物思いに耽っているというのに・・・・邪魔をするものではないよ・・・?」

口調は柔らかだが、気持ちの整理をしようとしていた友雅は、かなり気分を害されていた。
そんな雰囲気が伝わったのだろう、
そこにいるはずの人物は、何かに躊躇しているようで、なかなか姿を現わそうとしない。

わずかに伝わってくる物腰から察するに、年若い女性のようだが、愛しい男との逢引にでも赴く途中だろうか。

「出てこないのなら、こちらから行くよ・・・? 
大切な女性との逢瀬を邪魔されたのだから、お詫びのひとつくらい頂かなくてはね・・。」

攫ってモノにしてしまおう、などというつもりは毛頭ないが、
こんなに辛い思いをしている男の前を横切って、愛しい男のもとへ赴くというのなら、
通行料として唇のひとつも頂戴せねば、気が収まらない。

その言葉に反応したのか、樹の幹に身を隠したままのその女性が、ぴくっと体を硬直させる様子が伝わってきた。

「おや・・・? なかなかに奥ゆかしい姫君のようだね・・・。」

穢れなき生娘のような反応に興味を覚えた友雅は、澱みない身のこなしでスッとその女性に近づいた。

「君のような女性を虜にしたのは、どのような殿方かな・・・?」

だが、彼女が隠れている木の幹に手をかけて覗き込んだとき、ふいに月の光が翳った。
同時に彼女の方も、慌てて背を向けつつ、数歩離れたので、
顔はおろか、その身なりさえもはっきりとはわからない。

思わず、雲の陰に隠れてしまった月を見上げる。

「おやおや・・・・美しい女性の姿を隠してしまうとは、月の女神は意地悪だね・・・。
・・・いや、君にとっては幸運の女神というところかな?」

いくら姿がはっきりと見えないといっても、その気配をたどれば、その身を捕えることなど、わけはない。
だが、通りすがりの女性の唇を奪ったところで、今の自分には空しいだけと思い直す。

「月の女神殿の気が変わらぬうちに、愛しい男の元へ行くといい。」

ふっ・・・と苦い笑いを漏らした友雅は、木の幹に背を預けると、
薄雲の向こうで微かな光を放っている月を、改めて見上げた。








雲がゆっくりと流れていく。
その動きに合わせて、月の光が増減する。

先ほどまで、くっきりとした輪郭を見せていた月も、今は朧げにその存在を示しているだけだ。

「・・・月の使者たちは今宵、わたしの姫君を連れ帰るのを・・・諦めてくれるのだろうか。」

「・・・・・・・・・。」

先ほどの女性の密やかな気配は、なぜか遠ざかることなく、その場に留まったままだ。

「大切な姫君がね・・・もうすぐ手の届かぬ世界へ帰ってしまうのだよ・・・。引き止めたくとも、わたしには叶わぬこと・・・。」

その女性が、何か言いたげにこちらを盗み見ているのがわかった。
ふと、そちらの方へ顔を巡らせてみる。

「・・・・君は・・・なぜここから立ち去ろうとしないのかな・・・?」

不用意に迷い込んだだけならば、こんな男の傍などさっさと離れればよいものを・・・。

「満たされぬ恋に思い悩む男の傍にいるなど・・・賢明なこととは思えないね・・・。
何が起こっても責任は持てないよ?」

そんなつもりは、もう、さらさらないのだが、彼女を遠ざけるための脅し文句にはなるだろう。

・・・だが、どうしたことか、今度は先ほどのような、おどおどとした反応が伝わってこない。
それどころか、今にも飛び出してきそうな迫力さえ感じる。



(・・・・・・・・・?)


この気配・・・・。






「君は・・・誰だ・・・・。」

胸の奥がにわかにざわめく。

答えは・・・わかっているような気がする。
だが、願わくば外れていて欲しい。

自分は今、彼女に何を聞かせた?










「大切な姫君って・・・だれですか・・・?」

俯いているのだろうか、少しくぐもった感の声が聞こえた。

「引き止めたい・・・って・・・・わたし・・・わたしは・・・・・。」

月を覆っていた雲が僅かな切れ間を作ろうとしている。
辺りは、急速に明かりを取り戻しつつあった。

「い、いえ・・・そんなわけないですね・・・・。ごめんなさい・・・大切な逢瀬のじゃまをしちゃって・・・。」

何かを追い払うように、頭を左右に振っている少女の姿が、周りの景色とともに浮かび上がってきた。

「神子・・・殿・・・・?」

「・・・さよなら、友雅さん・・・どうかお幸せに・・・!」

そう言うなり、あかねは踵を返して走り出そうとした。
再び姿を現わした月が、彼女の姿をくっきりと浮かび上がらせた。

「待ちなさい・・・!」

慌てて追いかけ、その腕を掴む。

「・・・! 離してください!」

あかねは友雅からできるだけ離れようと、精一杯身を捩った。















キリリク創作で、友雅さんに初挑戦です。
そして・・・むちゃくちゃ頑張って今回はシリアスのままで最後まで突っ走ります!
(たぶん・・・^^;)

それにしても・・・動きの少ない方は難しいです・・・(^^;
こんなんで、読者の方の脳裏にちゃんと友雅さんの姿が浮かんでくるのだろうか?///
甚だ不安を残したまま、後編へ続きます・・・。(汗)

( 2004.10.27 )