手のひらの曙光2



「あ・・の・・・彰紋様・・・。お戻りになった方が・・・・・。」

遠く、宴のざわめきが微かに伝わってくる。

外縁には吊り灯篭がぽつりぽつりと灯り、人が歩くに不自由しない程度の灯りを提供しているが、
皆、宴の手伝いに赴いているらしく、人影はない。


その長い廊下を、彰紋はひとつの部屋を目指して歩いていた。

泉水が不安げな様子でそわそわと辺りを見回しながら付いて来る。
時折、後ろから小声で引きとめようとしてくるが、それには答えずに早足で歩く。

「ここだな・・・。」

しばらく歩き、目的の部屋を見つけた彰紋は、そこでぴたっと歩みを止めた。

「・・・戻りましょう・・・あき・・ふっ・・・!」

彰紋に付き従うようにくっついて歩いていた泉水が、それに反応しきれず、背にぶつかった。

「あっ・・・・し・・失礼を・・・!」

「し・・・っ!」

あたふたとしながら声を上げようとする彼を、するどく制した彰紋は、
中の様子を伺いながらそっと妻戸に手をかけると、音を立てないようにスッと引いた。


人の気配はない。
それを確認した彰紋は、部屋の中へ身を滑り込ませた。
ついでに、戸口で顔を引きつらせて突っ立っている泉水を引っ張り込む。

「・・・っ・・・!・・・あき・・・っ・・・。」

思わず大声を上げそうになった彼の口を手でバンッと塞ぐ。

「・・・泉水殿・・・僕はついてきて欲しいと頼んだ覚えはありませんよ?
邪魔なさるのなら、お帰りください。」

暗闇の中なので表情はよくわからないが、彰紋の迫力に押されたのか、口を塞がれたままの泉水がこくこくと頷いた。

彰紋が手を離すと、鼻まで塞がれてしまっていた泉水は、ゼーゼーと肩で息をしながら、
途切れ途切れに返事をした。


「し・・・承知・・・致しました・・・・。」

彰紋の尋常ではない様子に、泉水は彼を止めることを諦めた。

仮にひとりで帰路に着いたとしても、女房たちの部屋が集まったこのような場所でひとりうろうろしていては、
誰に見咎められるかわかったものではない。
人が出払っているとはいえ、誰にも見つからずに帰り着けるとは限らないのだ。

そもそも、足を踏み入れたことなどない場所なので、どこがどこだか皆目見当がつかない。
それに元はといえば、彰紋の様子がおかしかったので心配になって付いてきたのだ。
帰れと言われても、彼を置いてひとりで帰ることなど、泉水には出来はしない。

「・・・おとなしくしておりますので・・・どうかお早めに・・・。」

彰紋が何をしようとしているのかわからないが、先ほどの自分の話が原因になっていることは間違いない。
泉水は肝を据え、見張りをするように戸口付近に陣取って正座をすると、彰紋をみつめた。



そんな泉水に軽く頷くと、彰紋はこじんまりした部屋の隅に置いてある文机に向かった。
文箱を開いてみる。

新しい御料紙が数枚入っているようだが、それ以外には何もない。

机の周りに文を収納できるような入れ物がないかと、見回してみたが、
綺麗に整えられた部屋の中に、それらしいものは見当たらない。
強いて言えば、箪笥だが・・・・さすがにそれを開くのは躊躇われる。


どうしたものか・・・・。

彰紋が、一瞬、思案顔になったそのとき、戸口の辺りでカタンと微かな音がした。

はっと振り向くと、同じように驚いて体制を崩した泉水と、
妻戸に片腕をかけて、こちらを覗いている背の高い男の影が目に入った。

向こうからは、吊り灯篭の灯りでこちら側が見えているのだろう。
こちらからはシルエットしかわからないその男は、くすくすと笑いながら、彰紋と泉水を眺めているようだった。


「これはこれは・・・先客かと思い、息を潜めて近づいてみれば・・・。
高貴な若君方がそろって何をしておいでかな?」

「翡翠・・・殿・・・っ!」

そう名を呼ばれた男は、慣れた身のこなしで部屋の中に身を滑り込ませると、
部屋をぐるりを見回して、再びくすりと笑った。

「このような古参女房の部屋にご興味がおありとは・・・。若君方も隅におけないねぇ。」

突然現れた人物に驚いた上に何を言われているのか理解できず、呆気にとられている二人に向かって
翡翠はさもおかしそうに続けた。

「だが、おふたりとも・・・夜這いをかけるなら、お相手の姫君の在宅を確認してからにしなくてはね。
もぬけの殻の部屋に忍び込んだところで、空しいだけだと思わないかい?
・・・・それに夜這いというのは、一人でするものだがねぇ。」

「な・・・っっ・・・!」

「そのようなことでは・・・・っ!」

思わず顔を赤らめ、大声で否定しようとした二人を、翡翠は両手を挙げて制した。

「落ち着きたまえ・・・冗談だよ♪ しかし、何をしているのか知らないが、もうそろそろ大人の時間だからね。
人気がないように見えて、部屋でじっと恋人の来訪を待っている姫君もいるのだよ。
秘め事を漏れ聞いて、取り乱さないように気を付けることだね♪」

くすくすと笑いながら、翡翠は、本来の目的を思い出したのか、
「では若君方、わたしはこれで・・・。」と言いながら、部屋を後にしようとした。

「・・・・・・あ・・・・・ちょっと待ってください!」

そんな彼にハッと我に返った彰紋は、慌ててその後姿を呼び止めた。











「これで良いのかな、若君?」

木の葉の上に、朝露が美しい円形の水滴を作っている。

まだ薄暗く、静けさに包まれている庭園の中、一際大きな木に近づきながら辺りを見回していると、
頭上から、いきなり声が降って来た。

「翡翠殿・・・?」

彰紋が慌てて見上げると、その瞬間、小さな包みが目の前に落ちてきた。

「・・・っ・・と・・・。」

「まさか本当にあの女房が隠していたとはね・・・。
しかしながら・・・寝物語に問うただけで、あのようにすらすらと話してしまうとは・・・。」

太い枝の上に腰を下ろして幹に凭れた翡翠は、興ざめだね・・・といった風情で、あくびをかみ殺した。

「そう・・ですか。はは・・・。」

翡翠に押し倒されて、甘く迫られては、隠し事などできる女性はいないのではないか・・と思ったりもする。
彼がどのようにして、その女房の口を割らせたのか、思わず想像した彰紋は、急速に顔が赤らんでくるのを感じた。

「ごほん・・っ・・。」

朝っぱらからそのようなことを考えていたら、山並みの向こう側でようやく力を付け始めた日の光に、当てられそうになる。
彰紋は慌てて咳払いをして、妄想を振り払った。

ともあれ、その若手の女房がこれを持っていたということは、
その上司であるあの古参女房が全て握りつぶしていたのだと、これではっきりした。

「お手数をおかけしました。」

頭上にいる翡翠に向かって、頭を下げる。

「・・・それは、君の文だね? 神子殿のものもあるようだが・・・。」

「・・・・・そのようですね・・・・・。」

翡翠の言葉に、彰紋は改めてその包みをみつめた。
自分が送ったはずの文と、花梨が寄越したらしい栗色の紙が見え隠れしている。

どのような言の葉がしたためてあるのだろう。

夕べの泉水の話から推測すると、
彰紋の身を案じ、また、何の連絡もないことを恨み、様々に心曇らせているのではないかと思える。

「東宮様というのも、因果な役回りだね。思いを寄せる姫との恋ひとつままならないとは・・・。」

翡翠が、けだるそうに髪をかき上げながら見下ろした。

「まあ・・・彼女のせいで、あのような怪我をしたのでは、周りが引き離そうとするのも無理のないことだろうがね・・。」

「彼女のせいではありません!」

その言葉に彰紋は、思わず翡翠を見上げた。

「彼女が危ない目にあったのは・・・元はといえば僕のせいで・・・僕は、ただ彼女を守りたかっただけで・・・。」

崖から転落した瞬間の映像が、彰紋の中で切れ切れに再現されては消えていく。

「ああ、わかっているよ・・・君も立派な八葉だ。」

そんな彼を見て、翡翠はふっと表情を和ませた。

「守ってやりたまえ。・・・同じ八葉でも、君にしかできないことがあるさ。お手並み拝見させてもらうよ。
・・・では、わたしはこれで失礼するとしよう。」

どこかで一眠りさせてもらうとするかな・・・と呟きながら、枝の上で立ち上がった翡翠は、
そう言い残すと、姿を消した。






山の端にようやく顔を覗かせたすがすがしい日の光に、辺りの景色が急速に色彩を取り戻しつつある。

「お手並み拝見・・・・ですか。」

以前、イサトにも同じことを言われたな・・・。

先ほどまで翡翠を乗せていた木の枝が、彼の名残を表すようにわずかに揺れている。
その枝を眺めながら、彰紋はふとその言葉を思い出していた。

あのときのイサトと今の翡翠とでは、同じ言の葉でもそこに込められた感情には、かなりの違いがある。
だが、花梨に対する彰紋の態度を興味を持って静観する・・という意味ではほぼ同じだ。

花梨に対する・・・自分の態度・・・。




「・・・あ・・・そうだ、花梨さん・・・。」

秋の朝の透き通った空気の中で、翡翠の去った木をしばらく眺めていた彰紋は、ふと気付いて手元の包みを開いた。














「なんでもっと早く気付かなかったんだ・・・!」

花梨からの文を握り締めたまま、彰紋は屋敷の廊下を小走りになる一歩手前で歩いていた。
一刻も早く、ここを抜け出して彼女の元へ行かねばならない。

だが、普通に出かけようとしても、この調子ではまず無理だろう。
女房たちの阻止はなかなかに手ごわい。

この廊下も、本当は駆け抜けたい気分だが、朝早くからそのようなことをしてはかなり目だってしまうので、
細心の注意を払いつつ、誰かとすれ違いそうになったら、何食わぬ顔をして歩く。


それにしても、まどろっこしいこと、この上ない。
ふと、先ほどの翡翠の言葉が甦ってきた。『思いを寄せる姫との恋ひとつままならないとは・・・』

「花梨さん、こんな僕を・・・許してくれますか?」

彼女のあどけない笑顔がふと浮かんだが、それも次の瞬間には、何かに絡め取られるように消えてしまった。

「・・・っ・・・。」

心の底が絞られるように痛い。
このままでは、永遠に彼女を失ってしまう。





「泉水殿・・・!」

やっとの思いで、目的の部屋にたどり着いた彰紋は、その名を呼びながら中に飛び込んだ。

「これは・・・彰紋様・・・。このように早くから、いかがなされましたか?」

夕べ、すっかり遅くなってしまったため、そのまま屋敷の一室を借りて留まっていた泉水が、
驚いて振り向いた。
なんの取次ぎもなく、また外から声をかけることもせずいきなり飛び込んできた彰紋に、目を丸くしている。

よく見ると、身なりを整えている最中だったのか、締めかけた帯の端を握ったまま、止まっていた。
これは好都合だ。

「脱いでください!」

「・・・・・・・・・・はっ?・・・・・・・・・・・・・え、えええ!!?」

一瞬呆気にとられた後、ハッと我に返った泉水は、顔を引きつらせながら後ずさりを始めた。
そんな彼に構わず、彰紋は自分の上着を脱ぎながら更に近づいた。

「あ・・彰紋様? あの・・お気を確かに・・・もう朝ですし・・・ではなくて!・・・わたくし、そのような趣味は・・・・!」

「ごちゃごちゃ言ってないで、早く! もう皆が起き出してきますから。」

泉水を部屋の隅に追い詰めた彰紋は、彼の衣を奪い取ると、代わりに自分の上着を押し付けた。

「それを纏って、僕の部屋に来てください!」

「・・・え・・・彰紋様の衣を・・・・? ・・・・わ・・・わかりました・・・。」

何がなにやらさっぱりで目を丸くしつつも、衣を纏えと言われてとりあえず安心した泉水が、
そそくさと袖を通している。
それを確認した彰紋は、自分も彼から奪った衣を羽織ながら、部屋の外を伺った。

ざっと見たところ、人影はない。

「よし、今のうちだ。」













牛車独特の緩慢な揺れが伝わってくる。
その揺れを感じながら、彰紋はホッと一息ついていた。

車寄を出た頃には、内裏の中も慌しくなり始めていた。

「間一髪だったな・・・。」

あれから、泉水を自分の部屋に押し込み影武者に仕立てた彰紋は、
彼の衣を身につけ、薄衣を頭から被って顔を隠しながら、彼が乗ってきた牛車に乗り込み、宮中を後にした。

泉水には、体の具合が悪いことにして横になっておくように・・と言ってきたが、
替え玉だと気付かれるのは時間の問題だろう。
それまでに、できるだけ離れてしまいたい。

そして・・・花梨に会いたい。


彰紋は、彼女が贈ってきた十数通の文を、もう一度開いた。

最初の頃のものは、彰紋の身を案じている内容が多いが、
泰継あたりから回復の状態を聞いていたのだろう、
次第に、彰紋が何も言ってこないことに不安をにじませる文面になり、
数日前に寄越した文では、自分が彰紋に怪我をさせたことが彰紋を怒らせ、
それ故になにも連絡をして来てくれないのだと思いつめているような内容になっている。

「ごめんなさい・・・・。」

女房たちの仕業とはいえ、彼女にそのような辛い思いをさせていると思うと、情けなくて涙が出てくる。

思えば、もっと早くに「おかしい」と気付くべきだった。
文を書くのが苦手とはいえ、彰紋があのように何度も文を出しているのに、全て無視するような女性ではないはずだ。


そして、昨日の夕方書いたらしい文。

泉水が言っていた通り、泰継に彰紋が来ると言われてずっと待っていたのだろう。
現れなかったことを責めるでもなく、憂うでもなく、ただ淡々とその事実だけを述べているが、
それゆえ余計に、彼女の落胆ぶりがひしひしと伝わってくる。

そして、その文の最後の言葉。
「怪我をさせて本当にごめんなさい。彰紋君に嫌われても仕方ありません。
こんな私に神子の資格なんてないと思います。・・・明日、龍神様にお願いに行きます。」

『龍神様にお願いに行きます』・・・その言葉に、彰紋は文を握り締めて目を閉じた。

「だめです、花梨さん・・・僕を置いて帰らないで・・・!」




「手のひらの曙光3」へ





いつもの優しい彰紋君らしくない展開になりました・・(^^;
でも、いくら穏やかな彼でも、おかしいと感じたらそれなりの行動に出るんじゃないかな〜と思ったり☆

それにしても、もしこれが勝真さんだったら、きっと、真っ先に女房たちに怒鳴り込みに行って
堂々と内裏(屋敷)を出て行くとこでしょうね〜(笑)

それはいいとして・・彰紋×花梨と言いながら、ふたりの絡みが全くなくてすみません//
次回には・・・!(><)

( 2005.11.4 )





























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