手のひらの曙光1
今日こそは、紫姫の屋敷へ出かけよう。
やっと彼女の顔を見ることができる。
その屋敷の奥に住まう天女のように清らかな姫君─────。
(いや、屋敷の奥にじっとしておられる方ではないな・・・。)
今彼女は、龍神の神子という役目を負っているため、毎日のように京の街を飛び回っているが、
もしその役目がなかったとしても、きっと元気に跳ね回っていることだろう。
彼女のことを思い浮かべ、思わずくすりと笑みが漏れる。
先日、ちょっとしたアクシデントのせいで負った怪我は、泰継の応急処置が良かったのか、思ったよりも早く治癒した。
足も肩も、それなりに自由が利くようになった段階で、すぐにでも会いに行きたかったのだが、
やはり万全の体調でないと、供に付いたとき、彼女を護りきることはできない。
幸いここ数日は、東宮としての公務に忙しかったこともあり、逸る心をなんとか抑えることができていた。
だがそれも、そろそろ限界かもしれない。
そう感じ始めていた昨日、それまでにも何度か様子を見に来てくれた泰継がやっと、「問題ない。」と太鼓判を押してくれた。
(花梨さん、つつがなくお過ごしだろうか・・・。)
あれから何度か、文をしたためてはいるが、返事はもらっていない。
こちらの世界での文を書くのに慣れていないだろうから、致し方ないとは思うが・・・・。
案外、自分のことなど、たいして気にも留められていないのではないだろうか。
勇んで早くから準備を始めたものの、いざ行くとなると変に緊張してしまう。
だが、やはり逢いたいという気持ちは抑えられない。
あれやこれやと考えている間に、準備も整った。
長期欠席していた後の、不安と期待の入り混じった気持ちは、押さえつけてもじわじわと沸いてくる。
彰紋は、深呼吸をひとつして、気を引き締めた。
(よし・・・・。)
「彰紋様。」
だが、いざ出かけようとしたとき、お付きの古参女房が慌しくやってきて、彰紋の前に畏まった。
思わずムッとした彰紋に向かって、さも申し訳なさそうな表情で告げる。
「彰紋様、大変申し訳ありませんが、今日は主上を交えての会議がございますゆえ、
お出かけはまた日を改めて、ということにしていただきたいのですが・・・。」
「会議・・・? そのような話は聞いていませんが?」
「申し訳ありません、急な決定だったようで、今、使いが来たところなのでございます。」
「急な決定とは・・・何か問題でも持ち上がったのですか?」
「いえ、詳細は私には判りかねますので・・・。とにかく今日のところは、東宮様としてこちらにお留まり頂きたく存じます。」
「・・・・・・・。」
「・・・彰紋様・・・・?」
「・・・・わかりました。」
主上の名を出されては、元より断れるはずもない。
彰紋がしぶしぶ頷くとその女房は、「申し訳ありません」を連発していた割には、
にっこりと艶やかな笑みを残して下がっていった。
「はあ・・・・。」
思わずため息がでる。
せっかく奮い立たせた心をへし折られたような気分だ。
☆
「これは、彰紋様・・・。もうお加減はよろしいのですか・・・?」
その声にふと振り向くと、泉水が控えめな様子で中腰になりながら、こちらを見ていた。
「・・・・・・ああ、泉水殿・・・。」
宴たけなわのざわめきの中、杯に注がれた酒の中に、花梨の面影を映していた彰紋は、
彼が近づく気配に全く気づかなかった。
今朝、あれから兄帝の元へ赴いてみると、彼は彰紋の姿に喜んではくれたが、
いつまで待っても、これと言って重要な話が始まるわけではなく、
結局、近況を報告し、兄や側近たちとの雑談に興じていただけだった。
そのままの流れで宴になってしまい、今は、なし崩し的にこの場に身をおいている。
泉水も何か所要があって参内していたのだろう、そのまま宴に留まり、彰紋の姿を見かけて声をかけてきたらしい。
「お久しぶりです・・・・お元気でしたか・・・・?」
彰紋は、無沙汰を詫びる挨拶をしようと笑みを作ったが、、
ほんのりと回りはじめた酔いも手伝ってか、その口調は緩慢なものになる。
「彰紋様・・・。 まだ本調子でいらっしゃらないのでは・・・?」
そんな彼の様子を見た泉水が、心配そうに眉をひそめた。
「いえ、もう大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ありません。」
彰紋は、空いていた杯を差し出しながら、にっこりと笑って見せた。
泉水が受け取った杯に、ゆっくりと酒を注ぐ。
「それなら良いのですが・・・。」
少しだけ口をつけながら、そう応じた泉水は、だが意外なことを言い出した。
「今日は、神子のもとへお見えになると、泰継殿から伺っておりましたので、私もお待ちしていたのですが・・・。
いつまでたってもお見えにならなかったので、神子殿も大層気にかけておいでで・・・・その・・・・
泰継殿の思い違いであったのでは・・とお慰めしておきましたが・・・・。」
「・・・・・・・?」
「やはり、体調がすぐれられなかったのではないのですか・・・?」
それならそれで、使いを寄越すなりして、ひとこと伝えてくれればよいのに、あれでは神子がおかわいそうだ・・・
泉水の口からは決して語られることのない言葉だが、彼の言の葉の外からは、そのような思いがにじみ出ている。
彼の言葉に、なにかしら言い表しがたい違和感を感じたものの、
どう表現したらよいのかと、思わず止まってしまった彰紋だったが、
そんな彼を見て、それをどう解釈したのか、泉水がさらに続けた。
「あの・・・このようなことを申し上げるのは、誠にさしでがましいとは存じますが・・・。
神子が、文を出しても一度も返事が届かないとおっしゃって・・・。
いつもは気丈にされておいでですが、やはりまだお若い姫君ですし・・・、
彰紋様のことも憎からず想っておいでのようですし・・・その・・・・。」
「ちょっと・・・待ってください・・・。」
文・・・・?
その言葉に眉を寄せた彰紋を見て、泉水が更に続けた。
「彰紋さまが、不慮の出来事で負傷されながらも神子をお護りされたことは、八葉の鏡と言えますし、
私なども見習いたいと思うのですが・・・・あの・・・・。
神子殿は、一人欠けても残り七人いるから良いなどというような情の薄いことを思われるお方ではありませんし・・・
やはり、せめてお文のお返事くらいは出された方が良いのでは・・・・と・・・・・。」
「あの・・・泉水殿!」
受けた杯を、次第に掲げ持つような体勢になって、恐縮しまくっている泉水の肩を
彰紋は、思わず掴んでいた。
その反動で、彼が持っていた杯がその手を離れ、床に落ちた。
「ま、誠に申し訳ありません・・・差し出がましいことを申しました・・・!」
彰紋の行動に驚いた泉水は、慌てて懐紙を取り出し、彼の衣にかかった酒を拭おうとした。
だが、それを遮った彰紋は、彼の肩を掴んだまま、その言葉を反芻した。
非常に枝葉の多い内容であったが、要するに、
『花梨が、彰紋からの連絡を全く受けておらず、心を痛めている』ということではないだろうか。
「どういうことだ・・・。」
花梨には何度も文を出している。
昨日は『明日参ります』という内容の文を出したし、
今日は今日で『急用で行けなくなりました、申し訳ありません』という詫びの文をちゃんと送ったはずだ。
泉水の肩を掴んだまま、視線を落として考え込んでしまった彰紋を、泉水が驚いたように見つめていた。
以前短編として書いた、「内なる夜明け」の 続きが読みたいという声にお応えして、始めてみました〜☆ 場面の切れ目でUPしようと思ってるので、ちょっと小刻みになりそうですが・・ 4話ほどでまとまるかと思います。 キリリクのくせして長いですねぇ〜いつものことだけど・・。 ・・・ってことで、幻霧さん、すみません、しばらくお付き合いください〜(^^; ( 2005.10.27 ) |