魂の記憶 6
「一体なにが…。」 呆然としていると、突然、凛とした声が響いた。 「なにをやってるんだ、君は…っ。」 「………え?」 声のした方へ恐る恐る首をまわす。 もしそれが幻聴であったなら、もう二度と立ち直れない気がする。 だが、千尋がその姿を捉える前に、腕を強くつかまれた。 「どういうつもりだ、攻撃体制に入っている敵を前にして、ただ突っ立っているだけとは…!あの荒魂にやられるところだったぞっ。」 「お…忍人…さん…?」 千尋の目に映った愛しいその姿と、腕から伝わってくる力強いぬくもり。 間違えようのない彼の存在感に、心から安堵した途端、膝からカクンと力が抜けた。 同時に涙があふれ出してくる。 「千尋…っ?」 忍人が慌ててその体を支えた。 「死んでもいいと…。忍人さんがいなくなったのなら…もう…生きていたくないって…そう思って…。」 涙でにじむ視界の中で、忍人が目を見開いた。 「なっ…?なにを馬鹿なことを…っ。いつも言っているだろう、俺は常に、君の盾となって死ぬ覚悟を持っていると。君と俺とでは命の重みが違うんだ、俺の後を追おうとするなど、言語道断…。」 「違いません…っ。」 千尋は、自分を支えてくれている腕にしがみついた。 「違わない…っ。同じです…忍人さんが私を守ろうとするのと同じように、私も忍人さんを守りたい…っ。」 涙があふれ出し、ぽろぽろと頬を伝っていく。 「千尋…君はこの国を背負って立つべき王族の姫君だ。いま君が守るべきは、何を置いてもまず君自身なんだ。俺と同列にすべきでは…。」 「姫も、王族も関係ない…っ…。わたしは忍人さんに無事でいて欲しいっ…ずっと…ずっとそばにいて欲しいんです…っ。」 「千尋…。」 突然の千尋の剣幕とその涙に驚いた忍人は、トーンを下げた。 「わかった…。わかったから、とりあえず落ち着け。」 だが、忍人を絶対に離すまいとするかのように、千尋は必死しがみついてくる。 忍人は、その背をなだめるように両腕で包んだ。 「お…忍人…さん…っ…っ。」 そっと抱きしめられた千尋は、忍人の温もりを全身で感じ、自らも無意識に彼の背に腕を回していた。 嬉しいはずなのに、更に涙があふれ出して止まらない。 「…っ……。…よか…ったです…無事…で…。」 「ああ……君も…。」 すっかり日が暮れた河原に、夕日と入れ替わるように上ってきた月が、水面をキラリと反射させていた。 パチパチと焚き火の爆ぜる音がする。 さきほどの河原からほど近い場所に、雨露をしのげる程度の小さな洞穴を見つけ、なんとか夜明かしできる場所を確保した。 「忍人さん、大丈夫ですか?」 落ち着いてからよく見ると、忍人はあちこちに傷を負っていた。 額には血の跡があり、もう止まってはいるようだったが、それなりの出血量だったのだろうと想像できる。 「腕の方はまだちゃんと止まってないみたい…。」 が、重症なのはむしろこちらの方で、破れた袖から覗く傷は深手に見えた。 「谷を滑り落ちるときに、木の枝でも突き刺さったんだろう。さきほど川の水で洗ったから大丈夫だ。」 忍人は千尋を軽く遮ると、小さな洞穴の壁に背を預けた。 「君も疲れただろう、少し体を休めるといい。」 「ちょっと待ってくださいね、遠夜にもらった傷薬を持ってたはず…。」 だが千尋は、身に着けていた巾着袋を取り出して、中を探り始めた。 「気にするな。この程度の傷、放っておけばそのうち治る…。」 「ダメですっっ。絶っっ対にだめっ。」 千尋はその言葉を全力で拒否して、傷薬を忍人の目の前に突き出した。 「………。」 その迫力に思わず絶句する。 「上着、脱いでください。」 忍人が目を丸くして停止してる間に、千尋は彼の上着を奪い取り、腕の傷に薬をたっぷりと塗りつけた。 「……つ……っ。」 その刺激に忍人は思わず眉を寄せた。 「ほら、やっぱり痛いんじゃないですかっ。ちゃんと治療しないと。」 「だ…大丈夫だと言っただけで、痛っ…くないとは…言っていない…っ。」 「そういうの、屁理屈って言うんですよ。」 千尋は薬と一緒に持っていた布を傷口にあて、包帯で縛った。 「とりあえずこれでよし…と。そういえば、刀に付いてたのは、この腕の血だったんですね…。」 「…ああ、そうだろうな。」 「そういえば、どうして荒魂が忍人さんの剣を持ってたんですか?」 千尋は素朴な疑問を口にした。 忍人ほどの剣士が、なぜ大切な武器を奪われてしまったのだろう。 「寝込みを襲われたんだ。」 忍人は、憮然として言った。 正確には、谷へ滑り落ちたあと、地面に叩きつけられて気を失っていたのだが。 不穏な気配にハッとして目を開いた時には、荒魂に見下ろされていた。 反射的に起き上がろうとしたが、激痛が走った。 (くそっ…肋骨をやられたか…。) 受け身を取ったはずだったが、無意識に千尋を守ることを優先したのだろう。 その瞬間、荒魂が襲いかかってきた。 咄嗟に腰に差していた剣を鞘ごと抜き、攻撃を受け止めたが。 「…つ……うっ…。」 浅からぬ傷を負っていた腕では支えきれず、剣を弾き飛ばされた。 「しまっ…っ…。」 荒魂の攻撃を避けるべく、痛みを無視して飛び退き、もう一本の剣を抜く。 だが、荒魂はそれ以上忍人に興味を示さず、弾き飛んだ剣を拾い上げた。 「オレの…カタナ…オレの…チカら…。」 その間に、なんとか体勢を立て直した忍人は、すばやく辺りを見渡した。 「千尋は…。」 不覚にも地に叩きつけられた瞬間に、彼女を離してしまったらしい。 だが、森はいつの間にか闇に包まれ、暗く沈んでいた。 さほど離れていないはずだが、早く見つけ出さねば彼女が危ない。 焦る気持ちを抑えながら呼吸を整え、痛みが収まるのを待つ。 しばらくそうしていると、少し離れた場所から千尋の切羽詰まった声が聞こえてきた。 「忍人さんは…この刀の持ち主は、どうしたのっ。」 (無事だったか…。) 見たところ、大きな傷はなさそうだ。 だが。 まずい。 なぜか本能的にそう思った瞬間、千尋から戦闘意欲がスッとなくなるのがわかった。 「……っ!?」 荒魂が襲いかかろうとするのを、ぼうっと眺めている。 だが、先刻の戦いの時のように千尋と敵との間に飛び込む余裕も体力もない。 「魂を砕き…。」 咄嗟に、手にある刀に気力を込める。すると、千尋が持っているもう一本の刀も共鳴し始めた。 これならば、千尋も攻撃側に回れる。 忍人は、躊躇なく力を放ったのだった。 かいつまんで話すと、千尋はしばらくおとなしく聞いていたが。 「忍人さん、骨まで折れてるんですかっ?」 やはりそこに食いついたか…と忍人は小さくため息をついた。 「いや、せいぜいヒビが入った程度だ。大したことはない。」 「……。」 千尋が妙な間を取りつつ、じぃっと忍人を見る。 「な、なんだ。」 「……大したことはなくても、痛いんですよね?」 「それは…まぁ…。」 先程そう言った手前、虚勢を張ることもできない。 「わたしのせいで…本当にごめんなさい…。」 千尋は肩を落としてうなだれた。 心の底から申し訳ないと感じているようだ。 「君のその行動パターンは今に始まったことじゃないだろう。確かに、もう少し落ち着いて欲しいとは思うが…。」 行動を慎め、自覚を持てと事あるごとに言ってはいるが、実際のところ、そういう部分を取ったら彼女らしさがなくなってしまう、とも思う。 「そういうところも含めて、君を守りたいと思っているんだ。俺の全てをかけて。」 「それは…。」 千尋がなにか言いかけているが、忍人は洞穴に背を預けて目を閉じた。 「だが今は、少しだけ休ませてくれ。」 浅いとはいえあちこちに傷を負っている。そして彼女には言わなかったが、そんな状態で破魂刀を使ったことも、かなりのダメージになっていた。 「…忍人さん、遠夜にもらった薬の中に痛み止めもあるんです。」 一瞬眠っていたのか、その声にふと目を開けると、千尋が薬湯らしきものを差し出していた。 「飲んでください。少しはラクになると思うから…。」 |