魂の記憶 5

「参ったな。洞穴でもあればと思ったんだが。」

歩き始めてしばらく経つが、森が続くばかりで夜を明かすのに適当な場所が見つからない。
そうこうするうちに日は地平線に近づき、辺りは薄闇に包まれていた。

「あの、忍人さん。暗くなっちゃうし…この辺りでいいんじゃないですか?」

「このように鬱蒼と木が茂った場所で、焚き火をするつもりか?火事にでもなったらどうする。」

せめて、もう少し開けた場所を見つけたい。

「ちなみに、火を起こさないという選択肢はないぞ。」

暖を取るだけでなく、獣から身を守る必要もある。

「でも、あんまり歩き回ってたら体力を消耗しちゃうんじゃ…。」

気遣かわしげにそう言う千尋に内心で首を傾げながら、忍人は彼女に向き直った。

「確かに、君の体力を考えていなかったな。」

千尋は補給部隊と一緒に出かけて長距離を歩いたあげく、常世軍との戦闘に巻き込まれたのだ。
そのまま休むことなく、現在に至っている。

「気付かず、すまなかっ…。」

「私じゃなくて忍人さんです。」

もっともだと頷きかけた忍人を千尋が遮った。

「……?」

「だって忍人さん、病み上がりじゃないですか。」

「…君は…。」

まだそんなことを言っているのかと額を抑えた忍人は、小さくため息をついた。

「姫、俺のどこが病み上がりに見えるんだ。そもそも体調を崩した覚えもないのだが?」

おとなしく監禁…もとい、養生していたのは、彼女の手腕に感心して少しばかり付き合ってやっただけだ。

「そんなこと…忍人さん、自分で気づいてないだけですっ。そういう無理が積み重なったら…っ。」

「積み重なったら?命を落とすとでも?」

「……っ……。」

たかが風邪を引きかけたくらいで大袈裟すぎる。武人にとってそのような心配は逆に腹立たしくさえ感じられる。

「君は俺をなんだと思って…。」 

「……ひっ…っく…。」

半分呆れながらそう言いかけたとき、あろうことか、嗚咽が聞こえてきた。

「なっ……、姫、急にどうしたっ。」

驚いた忍人が彼女の肩をつかむと、千尋はハッと我に返ったように忍人を見あげた。

「あ…れ…?…なんで…。」

「なんでとは。こっちが聞きたい。」

「す…みません…。」

千尋は慌てて涙を拭うと、気まずそうに頭を下げた。

「やはり疲れているのは君の方だろう。」

忍人が半ば呆れながらそう言うと、千尋は胸を抑えながら首を傾げた。

「なんか急にせつなくなって…。すみません、もう大丈夫…みたいです。」

呆れ顔をする忍人を見た千尋は、安心したような笑顔を見せた。

「ごめんなさい、最近変ですよね、私。」

「いや…。君のような年若い女性に軍の全権を任せているんだ。重荷に感じるのも当然だろう。不安定になるのも仕方がない。」

「そういうのとは、ちょっと違う気がするんですけど…。」

千尋は相変わらず首を傾げているが、いつもと変わりない様子に戻ったようだ。

「そうか、ではもう少し歩くぞ。」

「はい…でも忍人さん、本当に体調は大丈夫なんですか?」

歩き出した忍人の後を追いながら、千尋が声をかけてきた。

「………問題ないと言っているだろう。」

珍しくしつこいなと思いつつも、また同じ問答を繰り返すだけなので、相手にしないことにする。

「でも忍人さん、なんだか覇気がないっていうか…。その…さっきのことも怒らないし…。」

後ろからぼそぼそと話す声が聞こえる。
さきほど彼女が走り去って、行方不明になりかけたことを言っているのだろうか。

「………。さっき君が言っただろう、俺に助けられたくはなかったと。」

「…あ…あれは…。」

いつもならこんなことは口にしないはずだが、薄暗い森の中で二人きりという状況だからだろうか。
なんとなく考えていたことがこぼれた。

「さすがに少しばかり堪えたからな。小言ばかり言って君に厭われるのは避けたい。」

「え。」

「なんだ、その反応は。俺も一応人間なのだが。」

千尋が絶句して歩みまで止めてしまったので、仕方なく振り返る。

「ただ、これだけは覚えておいてくれ。俺は君を失いたくないんだ。何をおいてもまずは、中つ国の再興のために。」

「はい…。」

その言葉に、千尋は少しテンションを落とした。

「それに俺個人としても、できるなら君には好かれていたいからな。願わくば俺が説教しなくて済むように、もっと考えて行動を…。」

「………ええ!?」

だが、忍人が何気なく続けた言葉に彼女は大きく仰け反った。

「な、なんだ。」

「いえ、その…。まさか忍人さんがそんなこと言うなんて…。え、えと…どうしよう…ちょっと嬉しいかも…。」

なぜか千尋が顔を赤くしてあたふたしている。

「姫、何を言っている。」

「あ、忍人さんには深い意味はないんですよねっ、気にしないでくださいっ。」

「………。俺は、気にして欲しいと言っているんだが。」

どうも話が噛み合っていない。

だが、なぜか満面の笑みを浮かべる千尋を見ていると、どうでも良くなってきた。

「ともかく。君に心配してもらうような懸念事項は何もない。わかったなら、さっさと野宿できる場所を探すぞ。」

そう言って、踵を返す。

「はい。ええと、火が焚ける場所があればいいんですよね。」

千尋は、先程とは打って変わって嬉々とした様子でついてきた。


木が生い茂る山の中は、闇が次第に濃さを増している。
だが、明るい夕焼けが広がっているのだろうか、木々の間から見える空は赤から青、そして藍へと美しいグラデーションを見せていた。

「わっ、きれいな夕焼け…。今日は星もよく見えそうですね。」

「……。その分、夜は冷え込むだろうがな。」

相変わらず能天気なことを言っているなと思ったが、なんとなく今は小言を言う気にならない。

「あ、忍人さん、空が大きく見えるってことは、あっちの方は森が開けてるんじゃないですか?」

良いことに気づいたとばかりに嬉々とした千尋は、忍人の横を抜けて小走りに駆け出した。

「待て、もうかなり薄暗い、足元に注意して進まないと危ないぞ…っ。」

慌てて彼女を追いかける。
すると、どこからか微かに水の音が聞こえてきた。
その音にハッと息を呑む。

「……っ!止まれ姫っ。その先は谷だ!」

「え…?」

だが、千尋に追いつきその腕を取った瞬間、彼女の体がグラリと傾いた。

「…きゃ…?」

思っていた以上に谷までの距離が近かったらしい。
気づくと忍人の足元もすでに斜面になっていた。

「……しまっ…っ…。」

彼女の背に手を回し、引き戻そうとするが、足元の踏ん張りが効かない。

「…忍人…さっ…。」

「千尋…っ。」

忍人は、咄嗟に彼女の頭を抱え込み、体をひねって斜面に背を向けた。
次の瞬間、浮遊感に包まれる。
が、その一瞬あとには斜面に叩きつけられた。 

「……ぐっ……っ。」

その衝撃を処理する間もなく、二人もろとも斜面を滑り落ちていく。

耳元で土の上を滑るザザザッという不快な音がしばらく響いた後、突然ガツンという衝撃が走った。
だが、止まったかと安堵したのも束の間、そのまま何もわからなくなった。




水の流れる音がする。

「……う…。」

その音に誘われるように千尋が顔を上げると、川の流れが目に入った。
しばらく気を失っていたのだろうか、辺りは夕焼けの明かりが急速に薄れつつあった。

微かに残る光が反射する水面をぼんやりと眺めながら、千尋はふと、さきほど忍人が谷があると言っていたのを思いだした。

「…忍…人さん…?…」

恐らく二人して河原まで滑り落ちてしまったのだろう。
だが、比較的浅い谷なのか、もともと歩いていたところが谷に近い場所だったのか、滑り落ちた距離はそう長くなかったように思う。

「…痛っ…。」

が、身を起そうと手を付いた千尋は、腕や体に鈍い痛みが走るのを感じた。
長くなかったとはいえ、あちこち打撲を負ってしまったのだろう。

その痛みのせいで一気に思考が覚醒する。

滑り落ちる瞬間、忍人が抱きかかえてくれたはずだが、いま千尋は一人で小さな河原に転がっている。

「え?…忍人さん、どこ…?」

慌てて辺りを見回すと、どこからかジャリッと河原の砂を踏む音が聞こえきた。

「忍人さん?」

だが近づいてくるそれは陰の気を放ち、明らかに不穏な気配をまとっている。
目を凝らすと、黒い影がゆらりと動くのがわかった。

「……っ……!」

咄嗟に身構えると、黒い塊に見えたそれは、ゆっくりと近づいてきて薄明かりの中にその輪郭を表した。

「…荒…魂?」

現れたそれは人型をしていたが、体格が異様に大きく、明らかに生きている人間ではない。
だが、甲冑らしきものや壊れかけた刀のような武器を身に着けていた。

「……武器…ヨコせ…。」

呆気にとられた一瞬の間に、千尋の持つ弓を認めた荒魂は、間合いを詰めて千尋に手を伸ばしてきた。

「……なっ……。」

咄嗟に身に着けていた懐剣で、その腕を払いながら後ろへ飛び退く。
その払われた反動で、荒魂は、持っていた一本の刀をガシャンと音をたてて落とした。

「…………え?」

そちらに何気なく目をやった千尋は、その刀を見て、血の気が引くのを感じた。
荒魂が身につけている壊れかけた武具や武器に比べて、その刀は明らかに異質な精彩を放っている。

「まさか…。」

薄明かりの中で鈍く光るその刀は、忍人がいつも身につけている二本の剣に酷似していた。

「なん…で。」

荒魂は落ちた刀に気を取られ、拾おうと手を伸ばす。

「オレ…のカタ…な…。」

「……っ……。」

千尋は咄嗟に弓矢を放ち、荒魂の気をそらすと、間合いに入り込んで剣を拾い上げた。
そのままの勢いで再び距離を取ってから、薄く残る明かりに掲げてみる。

「やっぱりっ…忍人さんの…っ…。」

なぜこれを荒魂が持っていたのか。
嫌な予感に剣を持つ手が小刻みに震え始める。

「返…セ。」

「これはあなたのじゃない!忍人さんの…忍人さんは…この刀の持ち主はどうしたの!?」

「…男……殺っ…タ…。」

「なっっ…。」

手の中の剣に目をやると、ところどころに血の跡が残っている。
まだ新しいのだろう、手を開くと千尋の手にも血糊がついた。

「うそ…。」

あの忍人が、この程度の荒魂に簡単にやられるわけはない。
だが、千尋を庇って谷に落ちたときに深手を負っていたとしたら。

「わたしが…忍人さんを…?わたし…の…せいで…。」

足の力が抜けて、ガクガクと震え始める。

荒魂が再び、武器を奪おうと手を伸ばしてくる。
千尋は、その動きをスローモーションのように感じながら、虚ろな目でみつめた。

応戦しなければと頭ではわかっているのに、体が、心が重くて動けない。

(や…だ。また…忍人さんがいない世界で、生きていくのは…。)

彼との出会いと想い出の数々が、走馬灯のように甦りながら過ぎていく。
そうして巻き戻った想い出は、今世で経験したはずのない光景まで映し出した。

美しく壮麗な宮。
盛大な式典。
民の祝福を受けた舞台の裏で。
その回廊は舞い散る花に包まれていた。

無残なはずのその光景は、花吹雪のせいで美しくさえ見えた。
それは、とてつもなく綺麗でそしてどこまでも冷たく…千尋を心の奥底まで凍らせてしまった。

(もう…いや…。忍人さんを失って…冷えきったままで、生きていくなんて…。)

それならば、いっそ自分もこの場で果ててしまえばいい。
千尋は迫りくる荒魂を前にして、ギュッと目を閉じた。 

この荒魂にどれだけの力があるのだろう。一気にとどめを刺してくれるだろうか。
願わくば、忍人に遅れずに…。

だが、そのとき。
何かに共鳴したような、唸るような音が静かに響き始めた。

ハッとして目を開くと、手にしていた剣が、音とともに鈍く光り始めていた。

「魂を砕き…。」

驚いて刀身から手を離すと、柄を握った手から鞘がするりと抜け落ちた。
抜身になった刀は、千尋の手の中で更に光を増していく。

「唸れ漆黒の刃…。」

「…え…。」

聞き覚えのある術詠唱の声に、千尋は慌ててあたりを見渡そうとしたが、刀が放つ光に目が眩んで何も見えない。

「破魂刀!」

その瞬間、強烈な光とともに強大な力が開放されるのが伝わってきた。

「……っっ……っ。」

その波動を受け止めるべく、必死で刀を構える。
それは文字通り、魂を削り取ってエネルギーにしているような、荒々しい力の爆発だった。

やがて光と波動が収まり、辺りに川の水音が戻ってくる。
刀を構えたままの千尋が恐る恐る目を開くと、目の前にいたはずの荒魂は跡形もなく消え去っていた。

「一体なにが…。」

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