魂の記憶 4
忍人の迫力に、兵たちはじりっと後退した。 「葛城将軍…だって?」 その中の誰かが、うわごとのように呟いた。 「ひとりで一部隊やっちまうって噂の…?」 それを聞いた兵たちの士気が一気に下がる。 「やばいぜ、俺は下りるっ。」 「お、俺も…っ。」 口々にそう言ったかと思うと、彼らは蜘蛛の子を散らすように呆気なく退散して行った。 「なんと情けない。あれでも武人の端くれか。」 それを見送った忍人は、シャランと音をさせて剣を収めた。 「俺の隊にいたら、叩き切っているところだ。」 「隊にいなくても、現に今、叩き切ろうとしてたのでは…。あ、いえっ。」 布都彦が思わず突っ込みかけたが、忍人にじろりと睨まれて慌てて口を閉じた。 「補給部隊のしんがりをたった二人で引き受けていたのか? 無謀にもほどがあるな。」 「申し訳ありません、私が力足らずなばかりに姫を危険な目に合わせてしまいました…。」 布都彦がうなだれながら頭を下げたが、忍人はそれには答えず千尋に向き直った。 「君は自分の立場がわかっているのか? 君を失えば我が軍は、いや、中つ国は求心力を失う。いい加減、立場をわきまえろ。何度も同じことを言わせるな。」 「わたしは…。」 「あの、葛城将軍…、姫は補給部隊を守ろうとして…。」 「君は黙っていろ。」 布都彦が慌てて取り成そうとしたが、忍人は横目で見ただけで一喝した。 「お〜い、忍人〜。姫さんは無事かぁ〜?」 その時、羽音と共に、場違いなほどのんびりとしたサザキの声が聞こえてきた。 「ったく、ひとりで突っ走って行きやがって…。あんたの部下たち、みんな悲壮な顔で走って来てるぞ。」 「姫は無事だ。こちらは片付いたから、補給部隊の警護に回れと伝えてくれ。」 「そっか、さすがだな。お、姫さん、無事で何より。」 皆の前に降り立ったサザキは、千尋を見てニッと笑った。 「サザキ、補給部隊が戻ったらすぐに天鳥船の停泊地を変えろ。」 千尋のサザキへの返答を待たずに忍人が口を挟んだ。 後をつけられて天鳥船が見つかれば、敵に急襲される恐れもある。 「そうだな、承知した。だが、あんたらはどうするんだ? 補給部隊はもうかなり先に行っちまってるぜ。」 「もうじき夕刻だ。姫を連れていては、日のあるうちには戻れない。」 空をチラリと見上げた忍人は、すぐに視線を戻してそう言った。 どのみち、野宿することになるだろう。 明朝の二の姫の帰還を待っていては、その間に船が襲われてしまう危険もある。 「我々を待つ必要はない。すぐに移動させろ。」 忍人の言葉に、サザキも頷いた。 船が落ち着いたらすぐに、彼らを迎えに出ればいい。 「ま、あんたと布都彦がいれば大丈夫か。じゃ、俺は一足先に船に戻って…。」 そう言って羽を広げようとしたとき、サザキはふと布都彦の視線に気づいた。 すがるような目で、「置いていくな」的オーラを発している。 その様子に首をかしげつつ、千尋に目をやったサザキは、ピンとひらめいた。 先ほどから口数が少ないと思っていたが、きっと忍人に「自覚が足りない」とかなんとか言われて、一方的にやり込められたのだろう。 しゅんとしているように見えるが、なんとなく怒りを抑えているようにも感じられる。 そんな険悪ムードの中に置いて行かれては、布都彦も災難だ。 「あ〜…忍人。布都彦も連れてっていいか?え〜と…少しばかり傷を負ってるような気がするような、しないような〜?」 ちょっと苦しい言い訳のような気もするが、その言葉に布都彦は目を潤ませてコクコクと頷いた。 「それは構わないが。傷を負っている身で、先を行っている部隊に追いつけるのか?」 「だ、大丈夫ですっ。たいしたことはありませんし、補給物資の中に薬もありますし、荷物を持っていない分、身軽ですし、追いつけば部隊の警護もできますし…っ。」 布都彦が、ここぞとばかりに力説している。 だが、そこまで必死になっては、一緒にいたくないと大声で言ってるようなものだ。 「は、ははは…。」 サザキは、引きつり笑いを浮かべたが、忍人は意外にあっさりと頷いた。 そこまで深読みするつもりは、さらさらないらしい。 「そうだな、補給部隊の警護は多いに越したことはない。姫には俺ひとりで充分だろう。君は先に戻ってくれ。」 「はいっ。」 嬉々として頷く布都彦を横目で見ながら、サザキは忍人に近づいて耳打ちした。 「忍人、せっかく姫さんと二人きりになれるんだ、堅苦しい説教ばっかりしないで、素直に話せよ。」 「意図したわけではないが?」 「わかってるけどな、せっかくの機会を逃すなってことだ。じゃ、健闘を祈る。」 サザキが意味深な笑みを向けながら、忍人に軽く手を挙げる。 「では姫、私も先に戻ります。どうかお気をつけて。」 「ええ。そちらも気をつけてね。」 軽く頭を下げた布都彦は、千尋の言葉に頷いて背を向けて駆け出し、サザキは空へと飛び立っていった。 「我々も行くぞ。日が暮れる前に野宿に適した場所を見つけなければ。」 彼らを見送った忍人は、千尋をちらりと振り返った。 夜は冷え込む。敵や獣に襲われる危険もある。 忍人ひとりならどうにでもなるが、千尋を連れているので、できれば洞穴か、それに似たものを見つけたい。 だが、歩き出そうとした忍人に、千尋がぼそりと呟いた。 「忍人さん、ずるい…。」 「……?」 「どうして、姫って知ったら襲ってくるのに、忍人さんの名前を聞いたら逃げていくのっ。」 「何を言っているんだ?」 忍人は、足を止めて彼女の方へ振り向いた。 おそらく、先ほどの敵兵たちのことだろうが、何が「ずるい」のか。 「わたしだって頑張って鍛錬してるのに…。皆を守りたいって思ってるのに…っ。」 それなのに、敵兵は「二の姫」だと知れば捕らえようと迫ってくる。 先ほどのように束になってかかって来られては、どうあがいても敵わない。 千尋は両手をギュッと握って俯いた。 もし千尋が敵の手に堕ちれば、忍人が言ったように軍はバラバラになってしまうだろう。 忍人の言う「立場をわきまえる」とは、結局「おとなしくしていろ」ということなのか。 「守られてるだけなんてイヤなのに…。」 歩き出そうとしない千尋に、忍人はため息をつきながら向き直った。 「姫。皆の先頭に立って戦うだけが、将のすべきことではない。」 むしろ、そういう危険は避けてもらわねば困る。 そこのところを何度も言っているのに、何故この姫はわかろうとしないのだろう。 だが千尋は、小さく首を振った。 「忍人さんの助けなんか、借りたくなかった…っ。」 「……姫。要するに君は、俺が出てきたのが気に入らなかったのか?」 忍人はうつむいてしまった千尋を見て、小さく息を吐いた。 布都彦が言っていたように、彼女は全力で部隊を守ろうとしていたのだろう。 その気持ちはわからなくはない。 そして、そんな姫だから、末端の兵までが、彼女についていきたいと心酔しているのだ。 だからこそ。 「俺は、君を失いたくないだけだ。」 軍のため国のために。 そして。おそらくは、忍人自身のために。 「君の自尊心を傷つけたのなら、謝ろう。だが、もしまた、先ほどのように君の身に危険が迫ったときは、遠慮はしない。俺の命に代えても君を守る。」 そこのところだけは譲れない。 忍人は千尋を見据えてそう宣言した。 だが千尋は、その言葉に目を見開き、すぐに大きく頭を振った。 「だから…それがイヤなのっ。」 そう言うといきなり駆け出し、そのまま林の中へと走り去って行った。 「姫…っ? 待て!」 忍人は慌てて後を追ったが、彼女は夕闇に紛れて、あっという間に姿が見えなくなった。 * * * 「なんで、あんなに簡単に…っ。」 忍人が助けに来てくれて嬉しかったはずなのに、なぜか涙が溢れてくる。 周りの景色が涙で霞んでまともに見えないまま、千尋は走り続けていた。 助けはいらなかったなんて本心ではないのに、なぜあんな暴言をぶつけてしまったのだろう。 いきなり怒られて悔しかったのか、言い争ったことが悲しいのか、自分でもわからない。 ただ、「命をかけて」と言い、本当にそれを実行するだろう彼を、見ていたくないだけだ。 「忍人さんのばかーーっっ。」 立ち止まって大声で叫ぶと、谷間に響いた声が何度か反響して、やがて消えた。 それを聞いていて、千尋はふと我に返った。 そういえば、いつの間にか山の中にいる。 慌てて辺りを見渡したが、もう薄暗くなっていてよく見えない。 空には夕暮れ時の茜色が広がっているが、山の中は木々に日が遮られ、あっという夕闇が漂っていた。 忍人を振り払って駆けてきたので、当然ひとりぼっちだ。 「うそ。どう…しよう。」 自分の置かれた状況に気づいた千尋は、急速に青ざめた。 ここがどの辺りか、さっぱりわからない。 もしわかったとしても、天鳥船は場所を変えてしまっているので、どう進んだらいいのかわからない。 「二の姫が行方不明って、やっぱりマズイよね。…っていうか、また忍人さんに怒られる…。」 千尋は立ち止まって、はぁぁ〜とため息をついた。 「君には王となる人間としての自覚があるのか!とかなんとか言うのよね…きっと。」 忍人の口調を真似て言ってみたが、ひとりでやっていても妙に空しい。 「よくわかっているな。」 その時、いきなり後ろから声が響いた。 「…っ!?」 ピンと筋の通った張りのある声が耳に馴染み、胸がどきんと音を立てた。 「全く君という人は。こんな状況に陥っても、心配するところはそこなのか?」 「お、忍人さん…っ。こんなに薄暗いのによくわかりましたね…。」 闇雲に走ってきたのに、あっさり見つかってしまったことに、驚きを隠せない。 心細くなりかけていたのでホッとしたのと、先ほど言い争った気まずさから、千尋は、バツの悪い顔で苦笑いを浮かべた。 「名指しで、しかもあのように大声で、バカと罵られたのは生まれて初めてだ。」 誇張ではなく本当に初めてだったのだろう、忍人は憮然として言った。 だがそのおかげで、忍人は千尋のいる場所を特定できたのだろう。 「あの…ごめんなさい。」 千尋は、今度は素直に頭を下げた。 さすがに今回は怒られて当然だ。 バカと叫んだことはともかく、自分から行方をくらませるところだった。 だが千尋の予想に反し、忍人はそれ以上何も言わず、背を向けて歩き出した。 「行くぞ。半刻もすれば真っ暗闇だ。」 「え。…あ、はい。」 肩透かしをくらった千尋は、一瞬呆気に取られたが、慌てて彼の後を追った。 |
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忍人に比べれば、素直に彼に対して好意を感じている千尋ですが、
「命を賭けて守る」と言われば普通は嬉しいはずなのに、
どうしても拒否反応をしてしまう。
それは、前世で深く傷ついたトラウマによるものですが、当然彼女にはその記憶はないわけで、
自分がなぜそんな気持ちになるのかがわからない。
対して忍人の方は、千尋を守り抜き、彼女が王となる姿も見届けたので、
前世での悔いはさほど残っていないと思うのです。
冷たい言い方かもしれませんが、本望だったのではないかと。
同じ運命を辿ろうとする忍人と、本能的にそれを拒否する千尋。
そんなこんなで、なかなかうまくいかない二人なのですが、
やはりここは避けて通れない部分なので、とことんやってもらいたいと思います。
(サイト掲載日 2011. 11. 28)
ここから先の5話以降は、2020年以降に大幅に書き直したものです。
最初は6話完結だった話が、全8話になりました。
二人きりになった忍人と千尋を襲うもう一波乱。
お楽しみ頂けたら幸いです。(2022.8)