魂の記憶 1


澄んだ空の下、穏やかな空気の中で幾多の星々が小さな光を放っている。

季節柄か、ひときわ目を引くような明るい星も、目立つ星座もないが、それでも雲の少ない晴天の空に光る数多の星たちの輝きは、見るものを神秘の世界へと誘ってくれる。

そんな夜空をちらりと見上げながら、忍人は補給のため着陸している天鳥船を出て、大股で歩を進めていた。

「全く、何を考えているんだ。」

手には小振りの竹簡が握りしめられている。
こんなものを持参する必要はなかったのだが、自室の前に置かれていたこの竹簡をなにげなく手に取って内容を見たとき、その内容に驚いて踵を返したため、そのまま持って来てしまった。

「このような軽率な行動は慎めと、いつも言っているというのに。」

自然と歩みが早くなる。
よほど慌てていたのだろう、松明も持たずに出てきてしまったが、昇り始めた月が辺りを薄く照らし出してくれている。

「この辺りか?」

忍人は立ち止まると、手にしていた竹簡を開いてみた。

走り書きのような文の横に、ご丁寧に図解がされている。
地図のつもりだろうか。

天鳥船を出て、右に山、左に森らしきものが描かれ、そこへ矢印が書いてある。

「下手だな、役に立たん。」

最初からわかっていたのに、こんなものを開いた自分が馬鹿だった。
忍人は無造作に竹簡を巻き上げると、辺りをうかがった。

走り書きによれば、小さな泉があるはずだ。

微かに水音がする。
その音を頼りに歩を進めると、木々の間から水に反射したらしい月灯りが見えた。
水の動きに応じてゆらゆらと揺れている。

更に近づくと、ちゃぷんちゃぷんと水を叩くような音が聞こえてきた。
滝のように継続的に水が落ちる音ではなく、川のように流れていく音でもない。

「……?」

不思議に思った忍人は、辺りを警戒しながらそっと近づいてみた。
不意に視界が開ける。

思ったとおり小さな泉が現れたが、その泉の真ん中に予期せぬものを見て、忍人は絶句した。

微かな月明かりに照らし出された水面に浮かぶ、白い背中。
短く切られた淡い色の髪と、水色の髪飾り。

背を向けているので顔は見えないが、手を動かして水面を叩いて楽しんでいるようだ。
先ほど聞こえた水音はこれだったらしい。

浅い泉のようだが、水を叩くために膝立ちになっているのだろうか、背中だけではなく腰のくびれまで見える。
その白さと、柔らかな曲線を描くシルエットの美しさに、忍人は思わず目を奪われた。


どのくらい時間が経ったのか、手にしていた竹簡が滑り落ち、地に落ちてガサッと音をたてた。
その音にハッと我に返ると、泉の中の人物も驚いて振り向いた。

「お、忍人さんっ? いつからそこに…!」

突然現れた忍人に、水浴びをしていた少女──千尋が両手で胸を抱きながら、慌てて水の中に沈んだ。

「す、すまない! 覗き見するつもりは…っ。」

思いがけない事態に動揺して、どうしていいかわからず、とりあえず落とした竹簡を拾い上げる。
が、それを手にしてふと気づいた。

「ちょっと待て、姫。俺をこの場に呼び出したのは君だろう。俺が来るとわかっていて、水浴びをするなど無用心にもほどがあるぞ。」

千尋が水の中から顔だけを出した状態になったので、ホッとして小さく息をつく。

「それに、真夏でもないのに、しかもこんな夜更けに水浴びをするなど、何を考えているんだ。わざわざ風邪を引くつもりか!?」

ここでしっかり言っておかねばと千尋に視線を戻した忍人だったが、彼女がおとなしくしているせいで水面が穏やかになったのか、月の光が泉の中の彼女をぼんやりと映し出していることに気づいた。

「忍人さん、気がつかないんですか?」

慌てて目を逸らしたが、千尋の問いにチラリと彼女を見る。

「何を?」

千尋の姿が透けて見えていることには気づいている。彼女の方こそ、気づいていないのではないか。
しかし、それを告げるべきなのだろうか。

だが彼女は、片手を出して水をすくい上げながら嬉しそうに言った。
滴り落ちた雫が水面で跳ね、月の光をきらりと反射させる。

「これ、温泉ですよ。疲労回復に効くって評判なんですって。布都彦が教えてくれたんです。」

言われてよく見ると、確かに、微かではあるが湯気が立っている。
これならば、風邪を引く心配はないだろう。しかし。

「そ、それにしてもだ。このような場所に供も付けずに一人でやってきて、衣を脱ぎ捨てるなど…。不貞の輩に襲われでもしたら、どうするつもりだっ。」

「忍人さんって、やっぱりそうなんですね。」

それを聞いていた千尋は、再び腕を水──温泉の中に戻すと、顎先まで沈んで少し口を尖らせた。

「やっぱりとは?」

正視できないので、腕を組んでそっぽを向く。精一杯の虚勢だ。

「忍人さんと初めて出会ったときも、わたし、水浴びしてました。」

「ああ、そうだったな。それが何か?」

「女の子が裸で水の中にいるのを見ても、何とも思わないんですね。」

「…?」

「武器を離すなとか身を守れとか、そんなお説教ばっかり。 忍人さんにとって私は軍の旗印にすぎないってこと、よーくわかりました。」

「ちょっと待て、姫。 俺は君の身を案じて…。」

そうだ。あのとき千尋に注意した内容と、今のそれとでは決定的に違うことがある。

だが千尋は忍人の言葉を聞かずに、おもむろに立ち上がった。
ザバッと大きな音がして、小さな泉の水面が大きく揺れる。

「なっ? 姫っ。なにを…!」

彼女の白い肌が露わになったので慌てて横を向くが、千尋はそのままザバザバと音を立てながら温泉から出てきた。
一応、薄布を巻いているようだが、目のやり場に非常に困る。

「名前で呼んでってお願いしたのに、やっぱり「姫」って呼ぶし。」

「それは…。」

自分の中でのけじめだ。
一軍を、いずれは国を背負って立つであろう姫を支える立場である自分と、彼女を個人的に想う気持ちとは別物であるべきだ。
だから彼女を名で呼ぶことは極力控えている。

それをどう説明すれば良いのだろう。
軍の将としてどうあるべきかという指南なら、いくらでも言葉が出てくるのに、今はいろんな想いが交錯するばかりで何も出てこない。

「一応言っておきますが、あっち向いてて下さいね。」

そんな忍人の反応をどう受け取ったのか、千尋はその様子をチラリと見ながら、木の枝にかけていた白い大きな布を手に取って体にかけた。

「女の子ですから、一応。」

そう言いながらにっこりと笑っているらしい。だが、その笑顔になにやら含みを感じるのは気のせいだろうか。

「わかっているから、早く服を着てくれ。」

「忍人さん。」

体に布を巻きつけた千尋が、必死に横を向いている忍人を覗きこんだ。

「な、なんだっ。」

「わたしが忍人さんをここに呼び出した理由わかります?」

「いや…。それより早く身づくろいを整えないと本当に風邪を引くぞ。」

「疲労回復、滋養強壮って聞いたから。」

「ここの湯のことか?」

疲労回復はともかく、滋養強壮はかなり尾ひれが付いていると思うが。

「だから忍人さんに教えてあげたかったんです。自分の身が辛くても言わない人だから…。」

「……。」

「ほんとはとっても優しい人だから、みんなのために自分を犠牲にしちゃうし。わたし、忍人さんにはずっと元気でいて欲しい。もう二度と失いたくないの。」

「……?」

もう二度と、とはどういう意味だろう。

「俺は君の前から消えた覚えはないが?」

「え…あれ? わたし何言ってるんだろ。」

思わず千尋を振り返ると、彼女もきょとんとした顔で忍人を見ていた。
だが、それと同時に彼女の白く細い肩が目に入り、忍人は再び焦って目を逸らした。

「ほら、早く服を着ないか。人の心配をする前に自分の心配をしろ。」

言いながら、とりあえず上着を脱いで、千尋の肩にかけてやる。

「あ、はい…。」

すると千尋も、自分の姿と忍人との距離感に気づいてさすがに恥ずかしくなったのか、
照れ笑いをした。

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「薄紅の宴」の続編です。
前作もそうでしたが、「ゲーム中の忍人ED後、また生まれ変わってきた世界」の設定で書いています。

忍人HAPPY EDが、大団円ED(でしたっけ?)の中で描かれてるのが
取ってつけた感じでどうにも納得できないので、
じゃ、自分なりに書いてみよう〜と思って出来た話です。

前世で千尋を、文字通り体を張って守った忍人は本望だったかもしれませんが、
残された千尋の方は、彼を失った傷を一生背負って生きたはず。
それは彼女の心に深く残っている痛みではないかと思います。

そんなことを思いながら、新しい生での千尋と忍人の行動を考えてみました。

(サイト掲載日 2011. 10. 16)


2020年以降、この話の前段階の話として「春風の贈り物」を加筆しました。

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