空色の景色 3






「熱…?」

そう言われてみると、妙に口が渇くし、吐く息が熱いのが自分でもわかる。
そういえば昼ごろから体調がおかしかったように思う。

「参ったな…。」

翔はベンチに腰掛けたまま、頭を押さえた。
体調不良を意識したせいか、どんどん体が重くなっていく。

「一橋くん、家はどこ?」

「ふたつ先の駅。近いから大丈夫だ、ひどくなる前に帰るさ。」

「送って行くわ。」

「女子に送ってもらうなんて、逆だろ…。」

心配そうに見る樹梨に、翔は苦笑いを見せながら立ち上がったが。
その瞬間、体がふわっと浮くような感覚に襲われた。

「…?」

「あぶないっ。」

めまいのような感覚から立ち直ってふと気がつくと、樹梨の体が翔の懐へすっぽりと収まっていた。

「え…。」

「全然、大丈夫じゃないでしょっ。」

翔の胸の中で顔を上げた樹梨が、抗議するように言う。
どうやら、慌てて翔の体を支えてくれたらしい。

「わ、悪い…。」

腕の中にある彼女の温もりとその柔らかさに、頬に血が上って行く。
熱のせいでもともと顔が赤いのだろう。気づかれていないのがせめてもの救いだ。

樹梨は、翔の体から身を離したが、その腕をしっかりと抱いたまま歩き始めた。
だが向かっている方向は駅の外。

「どこへ行くんだ、改札はあっち…。」

「じゃべらなくていいから。」

そう言うと樹梨は、駅の外にあるロータリーへ向かった。
タクシーが何台か停まっている。

「一橋くん、住所は?」

「タクシーで帰る気か?そんな大げさな…。」

先ほどは少しふらついただけだ。体を立て直せば普通に歩ける。

「一橋くん、自分で思ってるより重症よ。少しでも早く家に帰った方がいい。」

「さっきまでちゃんと歩いてきたんだ、そこまで心配される覚えは…。」

「翔くん!」

だが樹梨は、拒否しようとする翔を真正面から遮った。

「…っ。」

突然、名前で呼ばれた翔が、驚いて動きを止める。

「いいから。乗って。」

樹梨は先にタクシーへ乗り込むと、呆気に取られている翔を引っ張り込んだ。


樹梨に促されるままに翔が住所を告げると、二人を乗せた車は滑らかに走り始めた。
雨から守られ、空調の効いた空間は心地よい。

樹梨は相変わらず、翔の腕を支えるように抱え込んでいる。

そこから伝わってくる熱を感じてドクンと波打っていた心臓は、クールダウンしつつも、やはりまだドキドキと音を立てている。
だが、それもいつしか心地よい振動へと変わっていった。





「…ん。」

暗い部屋の中だ。
いつの間に夜になったのだろう。

(俺の…部屋だよな…。)

薄暗いが、ここが自分のベッドだということは感覚でわかる。
だが、どうやって帰り着いたのか記憶がない。

(確か、彼女と一緒にタクシーに乗って…。)

その後、どうしたのだろう。
ここ居るということは、家の前でタクシーを降りて、歩いて家に入ったのだろうと思うが。

(そういえば…。)

男性が支えてくれていたような覚えがある。
おそらく樹梨がタクシーの運転手に頼んでくれたのだろう。

翔はゆっくりと上半身を起こした。
まだ少し頭がふらつく。

思わず額を手で支えたが、そのまま目がテンになった。

「なんで脱いでるんだ?」

布団をめくると、着ているのは下着1枚きり。

「……。でも、まぁ…。濡れてたからな、あのまま寝たらまずいし…な。」

無意識に脱ぎ捨てたのかもしれない。
どうせ他に誰もいないのだ。気にすることもない。

それに、頭が回らない。
深く考えるのをやめ、とりあえず何か飲もうと立ち上がった。

手探りで電灯を点けてから冷蔵庫を開けると、スポーツドリンクが入っていた。
それを一気に飲み干す。

「はぁ…。」

人心地ついて、改めて冷蔵庫の中を見てみる。
他にドリンクの買い置きはない。

親元を離れての一人暮らし。
勝手気ままに出来る反面、こういうときは辛い。

「参ったな。」

麦茶パックならあるが、お湯を沸かして冷まして冷蔵庫へ…なんて手順は、体調が最悪の今、考えただけで息苦しくなる。

とりあえず寝よう。

「スウェットくらい着ておくか…。」

朝、脱ぎ捨てて放っていたスウェットを拾って、ズボンを履く。
そして上を着ようとしたとき。

突然、玄関ドアにカギを差し込むような、ガチャガチャという音がした。
玄関の横にキッチンのついた1DKの部屋。
寝室とDKの間にはドアがあるが、基本的に開けっ放しだ。

DK寄りの場所でTシャツを手にしていた翔はそのまま動きを止めた。

「…?」

帰ってくる家族などいないはず。
なにが起きているのかわからないまま、回らない頭でボーっとドアを見ていると、カギがカチャンと回り、
遠慮がちにドアが開いた。

「よいしょっと…。お邪魔します〜というか、ただいま…。」

控えめな声でそう言いながら、大きな包みを抱えた人物が入って来た。
抱えている包みのせいで顔は見えないが、この声は。

「あ〜重かった。あれ、電気つけっぱなしにしてたっけ…?」

「君…なんで…。」

呆気にとられる翔の前に現れたのは、買い物袋を抱えた樹梨だった。

「あ、翔くん、起きてたの。具合はどう…。…え?」

翔に気づいた彼女は笑顔を浮かべたが、すぐにその笑顔が張り付いて止まった。

「きゃー、いやー!!」

「…え?え??」

「服…服着て、服!!」

樹梨が買い物袋で顔を隠したまま叫ぶ。

「あ、悪い…っ。…て、それより中、中へ入ってくれっ。」

玄関先で悲鳴を上げられたら、あらぬ誤解を振りまく。
翔は、樹梨の手から買い物袋を奪いながら、その手をつかんで彼女を引っ張り込んだ。

「きゃっ…。」

バランスを崩して倒れこんでくる樹梨を受け止めながら、もう一方の手でドアを引っ張る。

バタンとドアの閉まる音が聞こえ、ホッと息をついた瞬間、翔はフッと意識が遠のくような眩暈を感じた。

「……っ。」

慌てて壁に片手をついて体を支える。

「翔くん?」

それを感じ取った樹梨が、驚いて顔を上げた。
が。

「き、きゃあぁぁぁ!!」

上半身裸の彼に抱きとめられていたことに気づいた樹梨は、再び悲鳴をあげ、反射的に彼を突き飛ばした。

「うわ…っ。」

「え。あ!」

我に返った樹梨が慌てて手を伸ばしたが、一瞬遅く、翔は呆気なくひっくり返った。

「…てぇ…。」

「ご、ごめんなさい!!」

樹梨は翔を助け起こそうと、傍らに膝をついたが、彼の素肌に触れるのをためらって動きを止めた。

「あ、あの…。」

「…とりあえず、そのTシャツ…取ってくれ。」

高熱と今受けたダメージのせいで、そのまま寝転がってしまいたいという欲求が膨らむ中、なんとか持ちこたえた翔は
腕を伸ばして、先ほど放り投げたTシャツを示した。

「あ、うんっ。」


「待ってよ、樹梨ちゃ〜ん!」

そのとき、再びドアが開いたかと思うと、同時に能天気な声が響いた。

「…晴馬? なんでおまえまで…。」

無駄に元気なその声に、更なるダメージが積み重なる。

「あれ、翔、起きたんだ…。って、こら〜!おまえ樹梨ちゃんに何してんのさっっ。」

晴馬は、半裸の翔とその横で膝を付いている樹梨を見て、目を見開いた。

「え?いや、これは…。」

言い訳をしようと焦って身を起こした翔の手が、計らずも樹梨の手をつかんだ。

「え?」

その反動で再び樹梨は翔の胸元へ倒れこんだ。

「あ、あの…っ。」

「ああ!離れろ〜〜!」

それを見た晴馬の手から、握られていたペットボトルが飛んでくる。

「…げ!?」

だが、避ける体力などあるはずもなく。
開封前のペットボトルは、樹梨をかばうだけで精一杯だった翔の顔面にクリーンヒットし、彼は再びきれいにひっくり返った。

「翔くん!?」

「うわ、よけろよっ。」

「晴馬くん、病人になにするの!!」

二人がギャーギャーと騒いでいるが、もう起き上がる気力もなく。

「……。」

翔はそのまま目を閉じた。



(続く)



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( 2013. 7. 14 )








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