空色の景色 2



見上げた空には灰色の雲が立ち込めている。
少し小降りになったとはいえ、雨は相変わらずサーッと音を立てて降り続いていた。

しばらく待っていようかと思ったが、どう見ても止みそうにない。
正門に一番近い校舎の出入り口で、翔はどうしたもんかと腕を組んだ。

あのあと、一人で食堂を後にし、早めに講義室に入っていた。
だがそこへ性懲りもなく不機嫌の元凶がやってきて、教授がやってくるまで、あれこれと説教じみた口調でまくし立てられた。

だんだん反論するのも億劫になってきて、最後の方は完全無視を決め込んだが。
そのせいかなんだかひどく疲れた気がする。

「はぁ…。」

空を見上げたまま、翔は出入り口の壁にもたれてため息をついた。
このまま横になって寝てしまいたい気分だ。

「くそう、晴馬のやつ…。」

思い出すだけで頭痛がしてきた。
もう二度とテニスなんかやるもんかという思いがふつふつと沸いてくる。

「…帰るか。」

どう見ても晴れそうにない空を改めて見上げた翔は、手にしていた鞄を傘代わりにして走り出そうとした。

「一橋くん?」

そのとき、急に後ろから声をかけられ、翔は慌てて足を止めた。

「…?」

「ああ、やっぱり。もしかして傘がないの?良かったらこれ…。」

振り返ると、樹梨が傘を差し出してにっこりと笑っていた。

「この学舎にいるなんて珍しいのね。」

「ああ…。極力濡れずに校外へ出ようと思って。」

何気ない受け答えをしながらも、内面では、彼女に会えたことで気持ちが軽くなるのを感じる。

「一橋くんって、いつも不測の事態に備えていそうなのにね。晴れてても折り畳み傘持ってるイメージ。」

そう言ってくすくすと笑いながら、樹梨は持っていた傘を開いた。

「はい、どうぞ。」

「いや、でも君は…?」

「えーと。できたら相合傘でお願いします…。」

翔の問いかけに、樹梨は少し恥ずかしそうにそう呟いた。



雨は少しばかり小降りになっていたが、それでも足元が濡れる程度には降り続いている。
樹梨の傘を受け取った翔は、彼女が濡れないように気遣いながら歩いていた。

腕でも組めばいいのだろうが、そんなことをするわけにもいかず、極めて微妙な間合いを保ったまま歩く。

「その…昼間は悪かった。」

せっかくの食事時に、険悪なムードを残して立ち去ってしまった。

「ううん。一橋くんの気持ち、わかるから。でも…。」

晴馬の言うことも理解できると、樹梨は困ったような顔で笑った。

「そうか。」

どちらの味方も出来ない、と言われているようで少々気落ちした気分になる。

「晴馬くんには全然悪気はないと思うの。ただ少し極端っていうか…猪突猛進っていうか。」

「悪気があったら、即、絶交してる。」

その言葉に、翔は苦笑いした。
同時に胸の中にもやもやとしたものが渦巻いてきて、少しばかり戸惑ってしまう。

「あの後、晴馬くんにはやんわりと釘を刺したんだけど…。」

「やんわりと言って聞く相手なのか? あ…いや。」

無意識に意地悪な言い方をしてしまい、翔は焦った。

せっかく彼女と二人きりなのに、雨のせいなのか、話しているのが晴馬のことだからなのか。
なんだかすっきりとしない。

翔は、気持ちを切り替えるように、ふぅと小さく息を吐いてから口を開いた。

「あいつは俺がテニスに未練を残してると言うが、それはちょっと違う。
未練があるとしたら、全国の舞台をこの足で踏めなかったこと。それだけだ。」

「全国…。」

その言葉に樹梨は改めて、あの日の試合のことを思い出した。

あの時、彼が無理を押してプレイし続けたことが、チームの勝利につながった。
言わば、彼がその手でつかんだ切符だったのだ。

確かにその気持ちはよくわかる。
でも、それが心残りだと言うのなら。

「こんなこと言ったら酷かもしれないけど。ちゃんと治療して復帰して、3年生の夏にもう一度というチャンスもあったんじゃ…?」

「簡単に言ってくれるな。」

樹梨の言葉に、翔は苦笑いした。

「リハビリの成果が思うように上がらなかった。冬になっても先が見えなかったんだ。」

何が何でも復活してやるという強い思いを持っていれば、樹梨の言うようにもう一度チャンスを掴めたかもしれない。
けれど、それは一種の賭けだ。

その先を見据えたときに、その賭けに乗る価値が果たしてあるのかどうか。

「いろんなものを天秤にかけて、考え抜いて選んだ答えだったんだ。」

「うん…。」

「とはいえ、俺も出来た人間じゃないからな。自分で納得して決めたことでも、やっぱりあのとき…って魔が差すように思うことはあるさ。」

そこを晴馬はしつこく突いてくる。
能天気なように見えて、そういうところだけは何故か鋭い。

「あいつにはないのか? こんなふうに選択を迫られて何かを諦めた経験が。」

「どうなんだろうね。もしかしたらあるのかも…。だから一橋くんのことが他人事とは思えないのかもね。」

「だったら、人の心配する前に自分をなんとかしたらいいだろう。」

気にしてくれるのは有難いが、行き過ぎると大きなお世話だ。
翔は思わず頭を押さえた。

「ああいう性格だから。」

樹梨は晴馬を思い出して、くすっと笑った。

それをちらりと見た翔は、彼女の笑顔を遮るように、傘を半開きにたたんでバサバサと振った。
いつの間にかずいぶん小雨になっている。駅ももう目の前だ。

「ありがとう、助かった。」

水滴を落とした傘を再び開いて、樹梨に返す。

「え?でもまだ降ってるよ?」

樹梨は怪訝そうにしながら傘を受け取ったが、翔を見上げて眉をひそめた。

「一橋くん、肩が半分すっかり濡れてちゃってるじゃない。それになんだか…。」

言葉を切った樹梨は、ほんの一瞬、翔を見つめていたが、ハッと何かに気づいたように目を見開くと、いきなり翔の手をつかんで走り出した。

「お、おい…っ?」

樹梨に引っ張られて、駅の構内へ飛び込む。

「な、なんなんだ、いきなり…。」

突然走ったせいか、息が切れる。
翔は荒く息を吐いた。

「変だな…。」

数十メートル走っただけなのに、一試合こなした後のような倦怠感に襲われる。
先ほどから妙に頭も重い。

「こっち。」

樹梨は手近なベンチを見つけると、翔にそれを示した。

「じっとしててね。」

言われるがままに翔がベンチに座ると、それと同時に手を離した樹梨は、そのまま翔の首筋へ手を滑らせた。

「…?なにを…っ。」

思わぬ行為に狼狽した翔は体を硬直させたが、そんな彼の反応に構わず、樹梨は翔を覗き込んだ。

「やっぱり…! 一橋くん、熱があるじゃない。いつから調子が悪かったの?」



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(サイト掲載日 2013. 7. 6)









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