想心を梛にのせて 2
illustration by 喜一さま
「やはり、君か。」
頭上から降ってきたその声に、顔をしかめながら視線を上げると、忍人が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「…あんたねぇ、いきなり何するのさ…。」
「それはこちらのセリフだ。」
忍人は、再びシャランと音をさせて剣を鞘に収めると、先ほどの木の実を那岐の前に突き出した。
「これは君の仕業だな。」
「……。だからって、木の上に寝てる人間を枝ごと落とすなんて、乱暴すぎるんじゃないの?」
木の実ひとつと枝一本とでは、雲泥の差だ。
「いって〜…。コブ出来たんじゃないか?」
那岐は後頭部を押さえつつ、立ち上がった。
「お互いさまだろう。」
「お互いさま、って…。」
どう考えてもこちらの方がやられ損だと思う。
だが、ここで言い争うのも時間とエネルギーのムダだ。
最初に手を出したのは那岐であることに違いはないのだから、勝ち目もない。
このままでは、せっかくの穏やかな午後が台無しだ。
いや、この時点で既にかなり不愉快だが。
フッと息を吐いただけで、那岐は何も言わずにくるりと背を向けた。
「どこへ行く?」
その背に、忍人のするどい声が飛んできた。
「姫が君を探しているのは、承知しているだろう。」
「だから逃げるんだよ。あんたがさっき言ってた通り、無視してるんだ。
もっと静かな場所を見つけないと、満足に昼寝も出来やしない。」
「君もよくよく不可解な行動を取るな。」
「……どういう意味?」
数歩、歩き出していた那岐は、含みのあるその言葉に足を止めた。
面倒くさそうに振り返る。
「関わりたくないなら、耳を塞いでとことん無視していれば良いものを。
なぜわざわざこんな物を人にぶつけて、妨害する?」
「……。」
なぜ。
那岐は返答に詰まった。
悔しいが、忍人の言う通りだ。
自分は何故、あんな行動に出たのだろう。
あのまま放っておけば、千尋は忍人に問題を解決してもらえたはずなのに。
「あんたに──関係ないだろ。」
「ああ、関係ないな。更に俺は君のように暇ではない。君が出てきたのなら、俺にはここにいる理由がない。」
忍人の方も、問答をするつもりはさらさらないのだろう。
「優雅な時間を自分でぶち壊したんだ。あとは君が責任をとるんだな。」
彼は手にしていた木の実を那岐に向かって放り投げると、くるりと背を向けた。
「失礼する。」
「え、ちょっと。」
その時、軽やかな足音が近づいてきたかと思うと、千尋が息を弾ませながら現れた。
「お待たせしました、忍人さんっ。……あれ、那岐?」
傷薬を手にした千尋は、切り落とされた大振りな枝といきなり現れた那岐を見て、目を丸くした。
「姫、その薬は彼に使ってやるといい。では、俺はこれで。」
忍人はそう言い残すと、スタスタと去っていった。
「え、忍人さん…? えと…那岐…?」
状況が理解できず、「?」マークを飛ばしながら振り返る千尋に、那岐は肩をすくませて応えた。
「那岐ってば、どこにいたの? ずっと探してたんだよ。」
千尋が那岐の腕をめくり上げて、消毒薬をペタペタとつけている。
「い…っっ…。」
知ってたけど無視してた、とも言えない。
言ってもよいが、どうして、なんで、とうるさく追求されるのがオチだ。
それ以前に、薬が滲みてそれどころではない。
「それにしても、なんでこんなに傷だらけなの?」
地面に叩きつけられたとき、咄嗟に防御体勢はとったはずだが、それでもあちこち擦りむいてしまったらしい。
それらの傷に、千尋が片っ端から消毒薬を塗りたくっている。
「ちょっ…千尋…っ、もうちょっと優しくできないわけ?」
「仕方ないでしょ、傷薬ってのは滲みるものなんだから。ちゃんと消毒しとかないといけないし。」
「適当でいいよ、こんなかすり傷…。」
「ダメだよ、忍人さんにもちゃんと手当てしてやれって言われたし。」
「……。」
いつ彼がそんな親切なことを言っただろうか。
そもそも、こんな状態になったのはあいつのせいではないか。
「ふーん。 千尋は忍人に言われたからやってるんだ…。」
「なにそれ。…これでよしっと。あとは──。」
那岐のセリフを軽く流した千尋は、膝立ちになるとおもむろに那岐に覆いかぶさるように迫った。
「な、なんだよ…っ。」
「逃げないで。」
illustration by 喜一さま
思わず後ずさりする那岐に、千尋の手が伸びてくる。
「何する気…っ。」
那岐は目を丸くして頬を引きつらせた。
「うわ、やっぱり。大きなコブが出来てるじゃない。ぷっくり膨らんでるよ。」
「え…。あ、ああ、コブ…ね。」
千尋の行動の意味がわかったので、ほんの少し気が抜けた。
けれど。
千尋の左手は那岐の首筋を押さえ、右手は後頭部のコブを包み込むように触れている。
そして、彼女の体勢のせいで、那岐の視界の大半は遮られている。
いや、遮られるというより目の前いっぱいに彼女の胸元が。
「ち、千尋っ…。」
彼女の香りに酔いそうになって那岐はハッと我に返った。
慌てて彼女の腕を押しのける。
「大丈夫だからっ!」
「でもちゃんと手当てしないと。」
「コブにする手当てって、なにっ。」
なぜか心臓の音が聞こえる。
「えーと…。湿布でも貼っとく?」
「こっちの世界に貼り薬なんてあるのか? だいたい髪が邪魔でくっつかないしっ。」
いつものように話そうとするのだが、平静を保とうとすればするほど声がうわずりそうになって、那岐は焦った。
「あ、包帯があるよ。これで巻いとけば。」
「千尋、僕をミイラ男にするつもり?」
逃げなければ。
ミイラ男にされてしまう──。
いや違う、そういう問題ではなくて。
那岐はずりずりと後ずさりした。
だが、今いるのは例の秘密のベランダ。
すぐに壁にぶち当たった。
しかも、かなり焦っていたらしく、今度は壁に後頭部を打ちつけてしまった。
「あっ…痛ぅ…。」
「もう、何やってるの。ミイラ男になんかしないから。」
後がないためそれ以上逃げられず、結局、額から後頭部にかけて包帯でぐるぐる巻きにされてしまった。
「これでよしっと。」
千尋が、那岐の横にちょこんと膝をついて薬を片付けている。
「ほんと、おせっかいだな、千尋は…。」
大げさに巻かれた包帯から、千尋の柔らかな香りが漂ってくるような気がして、
那岐は思わず、額を押さえてため息をついた。
「それで…。」
「で、なんでこんなに傷だらけになったの?」
自分を探し回っていた理由はなんなのか、それを聞こうとしたとき、千尋が先に口を開いた。
「何でって…。そうだな、ひとことで言うなら千尋が僕をうるさく探し回ってたせいだな。」
「えー、私のせいなの? どうしてっ?」
千尋が目を丸くして、ずいっと近づいた。
「……っ……。どうして…って…。」
彼女の反応はある程度予想がついていたが、那岐は反射的にのけぞった。
もう少しでまた頭をぶつけるところだった。
「あ〜、もういいよ。説明するのも面倒くさい。」
改めて聞かれると、どう説明していいのかわからない。
那岐は、ふいっとそっぽを向いた。
「で、そっちの用はなに。」
「え?」
「僕のことをずっと探し回ってた理由。」
千尋から目を逸らせたまま、膝を立てて、その上で頬杖を付く。
「ああそっか。ええと、実はね…。」
千尋がそう言いながら何かを取り出そうとしたので、那岐も釣られるようにそちらへ視線を向けたが、
千尋はそこでピタッと手を止めた。
「ねぇ、那岐。」
那岐の視線を正面から捉える。
「な、なに。」
「わたしが那岐をずっと探してたって、どうして知ってるの?」
「そりゃ、あれだけうるさく名を呼びながら歩き回ってたらイヤでも…。あ。」
「ふ〜ん、知ってたのに無視してたんだ…。」
顔はにこやかだが、目が笑っていない。
「さっき私が忍人さんと話してたときも、近くにいたんでしょ。」
するどい。さすがに長年付き合っているだけあって、那岐の行動を見抜いている。
こうなったら、開き直るだけだ。
「…だからなに? 千尋こそ、忍人でもいいと思ったんだろ。
あのままあいつに相談すればよかったんじゃないか。」
「それは…。」
千尋は一瞬困った顔をしたが、那岐はそれ以上突っ込むのをやめた。
彼女は気づいてないだろうが、それを邪魔したのは他ならぬ自分だ。
「はぁ。なんか疲れた。」
矛盾してると思う。
けれど、何をどうしたいのか自分でも分からない。
那岐は不機嫌な表情で立ち上がった。
「部屋に戻って休む。コブも痛むし…。カギはないけど、勝手に入ってくるなよ。」
「待ってよ、那岐っ。」
ベソをかきかけているような彼女の声が聞こえたが、那岐はそのまま背を向けた。
那岐VS忍人の図が出来ちゃいました…。 やっぱ相性最悪?(^^; 加えて、相方さんの挿絵でダメ押し!(笑)←(見た瞬間ウケましたvv) さて、ずっと首を突っ込んでた忍人が退場したので、やっと二人の世界だ〜と思ったら。 ああ、那岐だった…。 そんなに簡単に「甘い世界→ハッピーエンド」になるわけがないのでした(汗) それでも、突き放す態度の奥底にあるのは、本人も気づかないくらいの小さな嫉妬心でしょう。 難しいお年頃?(笑) ( サイト掲載日 2009 .10. 19 ) |