野分の風 4

「いたぞ、あれだ!」

幸鷹と並んで馬を走らせていた勝真が、前方に花梨らしき姿を認めて叫んだ。
だが共にいる男と、その尋常でない様子に顔色を変える。

「あいつは…っ。ちっ、悪い予感が当たったか。」

急いで弓をつがえようとしする勝真を幸鷹が慌てて制した。

「いけません、この距離では神子殿にっ。」

「俺がそんなヘマするかっ。」

尚も弓を構えようとする勝真を制したまま、幸鷹はやや後方を走っていた翡翠に馬を合わせ、その腰から彼の武器・流星錘を抜き取った。

「は…っ?幸鷹殿なにを…。」

翡翠が呆気に取られている間に幸鷹は馬を突出させると、手にした流星錘を勢いよく回し始めた。

「おいおいおい、別当殿…。」

「あの、幸鷹殿はいったい何を…?」

翡翠の馬に相乗りしていた泉水が、恐る恐る顔を出す。

「さてね、お手並み拝見といこうか。…勝真殿っ。」

翡翠は尚も弓を構えようとしている勝真に近づくと、その手綱をくいっと引っ張った。

「うわ…っ。」

勝真が態勢を崩した隙にさらに前へ出た幸鷹が、勢いづいた流星錘を鮮やかに放った。



「いいからさっさと寄越せっ。」

男が花梨の懐へ手を突っ込もうとする。

「いや、やめ…っ。」

「神子殿!」

そのとき聞きなじんだ声と同時に、空気を切り裂くような鋭い音が耳元をかすめた。
思わず身をすくめた瞬間、目の前の男がのけぞった。

「ぐぇっ。」

男の頬に球がめり込み、紐で繋がれたもう一方の球がそこを支点にしてくるくると回る。
花梨が恐る恐る顔を上げると、雅な気を放つ細い紐が、男の腕をがんじがらめにしていた。

「ご無事ですか…っ。」

目を丸くしている花梨の前に、馬を飛び降りた幸鷹が走りこんでくる。

「ゆ、幸鷹…さん?」

呆気に取られている花梨を抱き寄せる。

「怪我は……ないようですね。」

花梨の様子をざっと確認した幸鷹は、ほっと安堵のため息をついた。
が、彼女の乱れた服装に気づいて僅かに眉を寄せる。

「…っ…。」

先ほど遠目に、男が花梨の懐へ手を伸ばしていた様子が思い出された。

「あなたですね、このところ京の街を騒がせていた辻強盗というのは。」

着ていた上着を脱いで花梨の肩にかけると、幸鷹は彼女を背に隠して男に向き直った。
言葉は穏やかだが、怒りのオーラがゆらりと立ち上る。

「よもや貴族の端くれだったとは。情けない。」

「お、俺は…癒しの札ってやつを、龍神の神子とその周りの奴らだけが独り占めするのを許せなかっただけだ!」

「癒しの札…?」

聞きなれない単語に眉をひそめたとき、後から追いついてきた八葉たちが馬を降りて駆け寄ってきた。

「幸鷹、大丈夫か?……こいつは…。」

幸鷹の横に並んだ勝真が、貴族風の男を見て眉を寄せる。

「例の辻強盗だと思われます。勝真殿、捕縛を。」

「まさか、お貴族さまだったとはね。全くもって世も末だね。」

呆れ笑いを浮かべた翡翠が、男の後ろへ回って流星錘を解いた。

「返して頂くよ、幸鷹殿。全く何をするのかと思えば…。」

「すみません、あなたの武器が最適だと判断したので。」

「まぁ、その判断は間違っていなかったとは思うがね。」

翡翠が流星錘を回収すると同時に、勝真が男の腕をひねり上げる。

「ちょっと待て、おまえ京職だな。おまえのような身分の者が俺にこんなことしていいのか。それにさっきから言っているが、おれは民の正義のためにやったんだ。」

「何言ってるの、困ってる人たちに高く売りつけようとしてたくせに!」

それまで黙って成り行きを見ていた花梨が、幸鷹の後ろから姿を現して抗議の声を上げた。

「…だそうだぜ、中流貴族の坊ちゃん? 話は役所に行ってからゆっくり聞いてやるよ。」

勝真が男の腕をさらにひねり上げる。

「…っ…。お、俺の親戚筋には蔵人にまで出世した方もおられるんだっ。おまえら京職ごときがこんなことをしたとわかったら、ただでは済まないぞ!」

「はぁ、蔵人殿…ですか。」

泉水が間の抜けた声で呟く横で、幸鷹が凛として言い放つ。

「身分など関係ありません。あなたのやったことはどう言い繕っても犯罪だ。強盗しようとしただけでなく、あまつさえ神子殿を汚そうと手をかけるとは…っ。」

「汚そうと…? おい勝真殿、わたしにはよく見えなかったのだが、そうだったのかい?」

「い、いや…俺もそこまでは…。」

「幸鷹殿…。」

幸鷹の怒りがなんだかおかしな方向へ向いている。
勝真と翡翠は顔を見合わせ、泉水はひきつった笑みを浮かべた。

その空気をどう読んだのか、男が勢いづいてまくしたてる。

「蔵人殿は殿上人だ、この不始末、帝に訴えることもできる。そうなればお前らのような下級貴族、ひとたまりもないぞっ。」

男は勝ち誇ったようにそう言うと、今のやり取りでほんの一瞬緩んでいだ勝真の手を振り払い、花梨に飛びかかり彼女の身を拘束した。
手にはいつのまにか短刀が握られている。

「な…っ。神子殿!」

幸鷹が血相を変えて手を伸ばしたが、短刀が向けられるのを見て踏みとどまる。

「おいおい勝真殿、職務怠慢じゃないかい?」

「す、すまんっ、一生の不覚っ。」

翡翠の言葉に、勝真が悔しそうに地団駄を踏む。

「さぁ神子殿とやら。こいつらはもうあてにならないぜ。心配するな、癒しの札を出したら解放してやるよ。」

自分が捕らえられるとは露ほども思っていないのだろう。
男は勝ち誇ったように花梨に顔を近づけた。

「だから、そんなもの持ってないってば…っ。」

「まだそんな戯言を言うのか。では仕方ないな、無理やり頂くまでだ。」

そういうと男は花梨の胸元に手を突っ込んだ。

「や…だっ、やめて…っ。」

「神子殿!」

カッと頭に血が上った幸鷹が、男の短刀も顧みず飛び出そうとしたとき。

「札が欲しいならくれてやる。」

どこからか、淡々とした声が響いた。

「ただし、札は札でも呪符だがな。」

それと同時に放たれた白い札が、空を切り裂き、意志を持って男の手首に巻き付いた。

「なんだこれ…、う?…わぁぁぁ…っ。」

次の瞬間、呪符が男の手首を締め上げる。

「幸鷹、今だ。」

「言われなくとも…っ。」

すでに飛び出していた幸鷹は懐剣を取り出し、鞘に収めたままの状態で男の短刀を叩き落した。

「往生際が悪すぎますね、いい加減、観念しなさい。」

転がった短刀を踏みつけ、改めて鞘を抜き去った懐剣を突き付ける。

「さすがだな、幸鷹。」

その後ろから、じゃりっと砂を踏んで泰継が姿を現した。

「こ、今度は陰陽師風情か。このような無礼の数々、許されるものではないぞっ。」

だがその姿を見た男は、自らの優位を信じて疑わない様子で二人を睨み上げた。

「幸鷹、この者は何を言っているのだ。」

泰継が、心底意味が分からないという様子で幸鷹を見る。

「誠に言いにくいことではありますが…あなたや勝真殿の身分が低いと見て、我らを侮っているようです。」

「ほう…。ならば言ってやれば良いではないか。権力にすがる者は権力で押さえつけてしまえば良い。」

「泰継殿の言うとおりだね。君がさっさと名乗らないから、ややこしいことになってるんじゃないのかね?」

泰継の単純明快な意見に、翡翠が苦笑いを漏らす。

「全くだ。」

男の背後に回って再び腕をひねり上げた勝真が、捕縛用の紐を取り出しながら同意している。
幸鷹はそんな彼らを見ながら、懐剣を収めた。

「権力をかさに着るのは好きではないのですが…。」

「お前ら何をごちゃごちゃとっ。おいお前っ、俺様に縄をかけるつもりかっ。」

男は性懲りもなく、悪あがきを続けている。
その様子に幸鷹は観念したように息をついた。

「仕方ありませんね…。確かに彼にはそれが一番効果的なようです。」

幸鷹は改めて男の前に立つと、スッと雰囲気を改めた。

「では…検非違使別当、藤原幸鷹の名において宣します。」

「………。…え?」

「貴殿の名は、後ほど検めることとして。あなたを強盗未遂と脅迫容疑、並びに強姦未遂容疑で捕縛します。勝真殿、この男を引っ立てなさい。」

「承知した。」

「検非違使…別当!?」

凛と言い放った幸鷹の威厳とその言葉に、男は目を見開いて固まった。

「そういうことだ。残念だったな坊ちゃん。こいつは貴族の中でも雲の上級のお偉いさんだ。しかも相当有能ときてる。まぁ強姦未遂については、多分に私情が入ってる気もしないではないが。」

勝真はそこでくくっと笑った。

「ああ、ついでに教えといてやるが、後ろのほうで控えめにこっちを見てるやつ。あれは皇族に連なるやんごとなきお方だぜ。」

男を縛り上げながら、勝真が何気ない調子でそう付け足した。

「そ、そんな馬鹿な…。」

別当宣言と、付け足しのように発せられた皇族という単語が余程ショックだったのか、男はすっかり毒気を抜かれた様子で呟いた。

「なんでお前ら、そんなぞんざいな口を…。どう聞いたって京職のお前が一番偉そうじゃないか。」

「仲間だからですよ。我々は神子殿を守る仲間、同じ目的を持つ同志だからです。」

「そうだね。だがそういう意味では、君ももう少し砕けた物言いをしてもよいと思うがね、別当殿。」

男に厳しい目を向けたままの幸鷹に、翡翠が空気を和ませるように言う。

「これは癖のようなものなので。お気になさらず。」

翡翠を軽くあしらった幸鷹は、花梨の肩から落ちていた上着を拾って土を払った。
呆然と立っている彼女に向き直る。

「大丈夫ですか、神子殿。このような目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした。」

彼女の乱れた衣を隠すように、再びその上着を掛けてやる。

「いえ、わたしの方こそ…。元はと言えば、わたしが勝手に一人になったからですし…。」

そこまで言って、花梨はこんな状況になった原因を思い出した。
幸鷹は今、以前のように暖かいまなざしを向けてくれているけれど。

「そう言えば、なぜ一人でこのような街外れにまで来られたのです。辻強盗の件がなかったとしても、治安が良いとは言えないのです。褒められた行動ではありませんよ。」

「それは…。」

原因となった人物が目の前にいる。

冷静に考えれば、彼が直接何かをしたわけでも言ったわけでもない。
花梨が勝手に思い悩んでいただけなのだろう。

でも目の前で、何事もなかったように以前と同じような優し気な雰囲気を向ける幸鷹を見ていると、なぜだか無性に腹が立ってきた。

「それは…幸鷹さんのせいですっ。」

「……は?」

いきなりキッと睨みつけられ、幸鷹は呆気に取られた。

「私と一緒に居たくないなら、はっきりそう言ってください。気を遣って毎日文を届けてくれなくていいです。」

そうだ、結局それだけのことだったのだ。

朱雀門からここまで思いっきり泣きながら駆け抜けてきたと思ったら、辻強盗に襲われ刃物まで突き付けられ。
挙句に、駆け付けた八葉たちによる捕り物劇。

いろんなことが起こりすぎて、先ほどまでぐちぐち悩んでいたことなど、どうでもよくなってきた。

「私、なにか勘違いしてたみたいです。神子と八葉は京の街を救うための同志で、わたしはその中心となる神子。それ以上でも以下でもありませんね。」

「…え?あの…神子殿?」

先ほどの幸鷹の台詞を引用しているようだが、なんとなく意味合いが違って聞こえる。
しかもなぜか、彼女は静かに怒っているように見える。

だが彼女はその怒りを鎮めるかのように、はぁっと大きく息を吐いた。

「すみません、八つ当たりですね。幸鷹さんはなにも悪くないんです…ごめんなさい。私が勝手に思い込んで、悩んで…。結果として皆さんに迷惑をかけてしまったんです。」

「あの…神子殿がなにをおっしゃってるのか、いまいちわかりかねるのですが…。何を悩んでおられたと?」

幸鷹はなんの裏もなく、ただ素直に疑問を口にしたのだが。

「そんなこと…恥ずかしくて情けなくなるから言えるわけないじゃないですか。」

「なぜ、情けなくなるのです?」

「…っ、もういいですっ。幸鷹さんのばか!」

そう啖呵を切ると、花梨はくるりと背を向け、ずんずんと歩き出した。

「泉水さん、泰継さん、ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。帰りましょう。」

「…え? あ、はいっ。でも、幸鷹殿はよろしいのですか?」

「良いも悪いも、神子が帰ると言うのだ。黙って供をすればよいではないか。」

急に声をかけられておろおろする泉水を尻目に、泰継は彼女の後を追ってすたすたと歩いていく。

「あ、お待ちくださいっ。あの…幸鷹殿、なんというかその…申し訳ありませんっ…ではこれにてっ。」

呆然としている幸鷹を気にしつつも、泉水も彼らの後を追った。

「え…。神子殿…?」

一体なにが起こったのか、全くわからない。

「だから言っただろう、別当殿。君は乙女心に疎すぎると。」

「そのようなことを言われても…。私は神子殿をないがしろにしたつもりは全くないのですよっ?」

呆れたように言う翡翠に、混乱した幸鷹がかみつく。

「彼女が何を怒っているのか、私にはさっぱり…。」

「こういうことは当人同士でじっくり話すのが一番なんだがねぇ。」

だが幸鷹がこんな調子では、分かり合う前にこじれて呆気なく破局しそうだ。
翡翠としてはそれも悪くない展開だが、落ち込む花梨を見るのも忍びない。

「そうだね、ではひとつだけ教えて差し上げようか。神子殿は君に嫌われたと思い込んだのだよ。なぜだか君が心変わりをしてしまった、自分はもう邪魔に思われている、とね。」

「な…っ。」

「いや、そもそも君と想いを交わしたこと自体が錯覚だったのだ、とさえ考えているのかもしれないね。」

「な…っ、なぜですか!」

思いもよらない言葉の連続に、幸鷹は動転した。

「さてね…私が助言できるのはここまでだ。あとは神子殿と話したまえ。」

そう言うと翡翠は乗ってきた馬の手綱を取った。

「ではね、別当殿。幸運を祈っておくよ、一応。」

「待ちなさい、まだ話は…っ。」」

だが幸鷹の制止も空しく、馬にまたがった彼は、器用に片目を瞑って見せると颯爽と走り去っていった。


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