野分の風 3

「行方不明、とはね。」

「私どもがついていながら…。誠に申し訳ございませんっ。」

ため息混じりに呟いた翡翠に、泉水が縮こまるように頭を下げる。

花梨の姿を見失った後、その場に居た者たちで方々探したが結局見つからず。
とりあえず紫姫の屋敷に集まったところへ、騒ぎを聞きつけた翡翠も姿を現していた。

「泉水だけの責任じゃないさ。そもそも花梨が自分から離れたんだろう?」

そんな彼に勝真が助け舟を出す。

「それはそうなのですが…。」

「今日の神子は様子がおかしかった。泉水、おまえは何か知っているのではないか?」

泰継がふと思い出したように口を開いた。その言葉に皆の視線が泉水に集まる。

「いえ、知っていると言うほどのことは何も…。ただ、その…。」

泉水が一瞬言いよどんだとき、捜索の手配をしていた幸鷹が戻ってきた。

「幸鷹、なにか進展はあったか?」

それを見た勝真が声をかける。

「いえ…。全力で神子殿の行方を捜していますが、いまのところまだ何も…。」

「愛しい姫君がこの不穏な街で行方不明になっているというのに、ずいぶんと余裕だね。」

伏目がちに言う彼に、翡翠が横を向いたまま、挑発的ともとれる言葉を放った。

「余裕…?」

「そういえば君と図書寮で会った後、神子殿に出くわしたそうだが、声もかけずに無視して通り過ぎたとか?」

「……。」

幸鷹は一瞬、翡翠に厳しい視線を向けたが、すぐに目を逸らせた。

「どうした翡翠。珍しく攻撃的だな。」

二人の間に漂う緊迫した空気を感じ取った勝真が、眉をひそめながら言った。

「攻撃などしているつもりはないがね。ただ、少々苛つくのだよ。心を通わせた女性を遠ざけようとする彼の意図が理解できなくてね。そもそも今回の事態は別当殿の煮え切らない行動が引き起こしたことなんじゃないのかね?」

「幸鷹の…?」

その言葉に、勝真と泰継が同時に幸鷹を見た。

「幸鷹殿…僭越ながら私も翡翠殿と同じように感じております。」

皆を見守っていた泉水が、控えめながらも珍しくまっすぐな視線を向けた。

「そういえば、さっきなにか言いかけてたよな。」

「はい。」

勝真に頷いた泉水は、今朝の花梨の様子をかいつまんで話した。

「翡翠殿がおっしゃるように、あなた方は八葉と神子という間柄を超えた関係におありなのですよね?」

「八葉と神子を超えた関係?」

「有体に言えば、恋仲ということだよ。」

首をひねる泰継に翡翠が微笑んで見せた。

「恋仲ぁ?うそだろ、朴念仁のかたまりみたいなこの男が…?」

翡翠の言葉に勝真が素っ頓狂な声をあげる。

「あ…いや…。確かにおまえらの雰囲気がなんかおかしいとは思っていたんだが。」

二人の関係がぎくしゃくしているように感じていた勝真は、てっきり神子と八葉としてうまくいっていないのだと思い込んでいた。

「おい幸鷹、なにがどうなってそんな間柄になったのか詳しく…っ。」

「あの勝真殿、今はそういう話をしている場合では…。」

野次馬根性丸だしで迫る勝真を、泉水がやんわりと止める。

「あ…。ああ、そうだったな、悪い。」

さすがに泉水の言うとおりだと思った勝真は、幸鷹から一歩引いた。

「そういやさっき翡翠が言っていた件だが。朱雀門での様子なら俺もひっかかっていたんだ。あれはどういうことだ、幸鷹。」

恋仲というのが本当なら、あの場面で花梨を無視するのは有り得ない。

「神子に飽きたのではないのか? 男女の仲というものは、簡単に懇ろになったり別れたりするものだと聞くが。」

「泰継、どこからそんな情報を…。」

しれっとそんなことを口にする泰継に、勝真が苦笑いを浮かべる。

「書物に書いてあった。」

「ほう、泰継殿もそんな書物を読むのだね。これは意外な一面を見せてもらった。」

淡々と答える泰継に、翡翠はおもしろそうにくすくすと笑った。

「あ、あの皆さんっ、ですから今はそんな話をしている場合では…。」

またしても泉水が困ったように皆を止めに入ろうとしたとき。

「……り…ません。」

どこからかくぐもった声が聞こえてきた。

「…え?」

「飽きるなど…。わたしが神子殿を飽きて捨てるなど…。ありえません…っ。」

皆が驚いて振り向くと、幸鷹がこぶしを握り締めてにらんでいた。

「捨てたなどといった覚えはないが。」

「泰継殿、さすがにもう茶化すのはやめたまえ。」

幸鷹の迫力に、今度は翡翠が引きつり笑いを浮かべる。

「茶化してなど…、…む。」

真顔で反論しかけた泰継だったが、さすがに幸鷹の雰囲気に気付いたのか、しぶしぶ口を閉じた。
その様子に泉水がホッと息をつく。

「さきほど翡翠殿や勝真殿も仰ってましたが…。幸鷹殿は神子を避けておられたのですか?」

「それは…。」

「今朝の神子の様子を思い出すと、幸鷹殿の真意がどうあれ、神子はあなたに疎まれていると感じておられたのではないかと。私はそのように思うのですが。」

「私が神子殿を疎んじる…? 確かに少し距離を置こうと思ってはいましたが、そんなつもりは毛頭ありません。彼女へは常に文をしたためていましたし、彼女を不安にさせるようなことは何も…。」

文も通り一遍のものではなく、じっくりと選んだ紙に香を焚き染め、心をこめて文字を綴ったのだ。
毎日。毎日。

「幸鷹殿、君は仕事のできる優秀な男だが。前々から思ってはいたが、人の心の機微というものに疎すぎるね。」

「どういう意味ですか。」

「そのままの意味だよ。文さえ届けていれば大丈夫と思いこんでいるなんてね。乙女心というものを全く分かっていない。」

翡翠がこれ見よがしにため息をついてみせた。
そのとき。

「皆さま、神子様の行方がつかめましたわっ。」

別室で花梨の気配をたどっていた紫姫が、小走りに走りこんできた。

「どこですか、紫姫っ!」

真っ先に幸鷹が詰め寄る。

「はい、朱雀大路を下って少し西…右京六条の辺りかと…。」

息を整えた紫姫は、手を胸の前で組み薄く目を閉じて、もう一度花梨の気配を確かめながら言った。

「六条ですか、それはまたずいぶん遠くへ…。」

「意外と健脚だな、神子。」

とりあえず居場所がつかめたので、皆の間にホッとした空気が漂う。
だが、その場所を聞いた勝真が眉を寄せた。

「右京六条…? あの辺りは洛中とはいえ、昼間でも人通りが少ない。まずいぞ、幸鷹。」

その言葉にハッとした幸鷹は、何も言わずに部屋から飛び出した。





「ここ…どこ?」

闇雲に走っていたがさすがに息が切れてきて足が止まり、大きく息を吐くと同時にふと我に返った。
辺りを見渡すと、大内裏はおろか貴族の屋敷界隈からも離れてしまったらしく、どこかのんびりとした風景が広がっている。

「ああ、やっちゃった…。」

幸鷹に背を向けられたことがショックで、とにかくあの場から離れたかった。
涙でぐちゃぐちゃになりながら走ってきたので、どこをどう通って来たのか全く覚えていない。

「泉水さんたち、心配してるだろうな。泰継さんは絶対怒っていそう…神子としての自覚があるのか?とかって…。」

ふふっと力なく笑ったものの、気持ちが晴れるわけもなく。
花梨は、四辻の傍らに植えられている樹の根元に座り込んだ。

「よく晴れてるな…。」

見上げると、生い茂った樹の枝葉の間から日の光が惜しみなく降り注いでいた。

「なにがいけなかったんだろ…。」

遠くに浮かぶ雲が意外に速いスピードで動いていく。
その雲に幸鷹の後姿が重なって、またじわりと涙が浮かんできた。

そのとき、背後でじゃりっと土を踏む音がした。

「……!?」

よからぬ雰囲気に慌てて振り向いて腰を上げる。

「やっと見つけたぜ。あんただよな、最近うわさになってる龍神の神子様とかいうやつは。」

「だ、誰ですか? わたしに何の用が…。」

「さっきの朱雀門での立ち回り、見物させてもらったぜ。」

そこからこの距離をずっと追いかけてきたのだろうか。
花梨は背に冷たいものが走るのを感じた。

「…ったく苦労させやがって。おかげ京職には嗅ぎまわられるし、もう少しで検非違使まで出てくるところだったぜ。」

若い中級貴族だろうか、身なりはそれなりだが、漂ってくる雰囲気がやさぐれている。

「まぁ、そう警戒するな。神子には癒しの力があると聞く。その力を込めた札があるそうだな。それを譲ってもらいたいだけだ。」

「癒しの力を込めた札…?なんですか、それ。」

神子は怨霊を封印することで、その場所の気の流れを正常に戻すことができる。
その話が広まる過程で、人々の希望が混じって都合の良いように変化していったのだろうか。

「それを使えばどんな病もたちどころに治るって話じゃないか。そんな物があるなら貯めこまずに出したほうが世のため人のためになるってもんだろ。ほら、さっさと出せ。」

手を伸ばして近づいて来るその男に、思わず身震いして後ずさる。

「そう怖がってくれるな、お嬢さん。その札を欲しがってる奴は山ほどいるんだ、いくらでも高く売れるってもんだ。」

「売る…? 困ってる人たちを助けるんじゃなくて、お金儲けがしたいだけですか?あなた仮にも貴族でしょう?」

じりじりと下がりながらも、花梨は男をにらみつけた。

「それがなんだ。貴族という肩書きがあるだけで、大した権力もなければ金もない。俺たちみたいな出世街道から外れた貴族は、お偉いさんたちみたいにラクじゃないんだよ。」

逃げる機会を伺っていた花梨は、それを聞いてピタリと動きを止めた。

「ラク…ですって? 官職の人たちの…幸鷹さんたちの仕事がラクだと、本気で思ってるの?」

「な、なんだよ。」

花梨からじわりと怒りのオーラが立ち上る。その妙な迫力に今度は男の方が一瞬ひるんだ。

「彼らが大変な思いをして頑張ってることを知りもしないで。愚痴って盗賊まがいのことしてるなんて、最っ低!」

「盗賊だと?」

一瞬動きを止めていた男は、図星をついたその言葉に逆上した。
一気に間合いを詰め、花梨につかみかかる。

「大きな口たたきやがって小娘がっ。さっさと懐に隠してる札を出せ!」

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