夏風の海 8
「けいはんざい…法ですか。そのような法、ありましたか?」
幸鷹の口上を聞いた彰紋が首をひねった。
「ああ、失礼しました。神子殿の世界の法律です。 しかしながら、覗き見は取り締まらねば。プライバシーの侵害ですからね。」
「はぁ、まぁ…。」
「覗き見って何の話だ?」
ところどころ意味不明の単語を交えて話す幸鷹に対して、 相変わらず首をひねっている彰紋の横から、
イサトが口を挟んだ。
「イサト、君には5年ばかり早いのではないかな。」
「なんでだよ。」
ムッとするイサトに、翡翠がくすりと笑いながら続ける。
「勝真殿の乳兄弟とはいえ、そちらの経験も度胸も手の早さも、天と地ほどに違うようだからね。」
「手の早さ…??」
その言葉に、イサト・彰紋・泉水の三人は一様に首をかしげたが。
「あ。」
「もしかして…。」
「そ、そういうことですか…。」
次の瞬間には三人同時に顔を赤らめた。
「ということで、皆さんに納得いただけたところで …泉水殿。」
「はい。」
そんな彼らの様子を見ていた幸鷹が、にっこりと笑いながら泉水に声をかけた。
「泰継殿は我々が取り押さえておりますので、雨縛気で彼の術の自由を奪ってください。」
「あ、はい、承知しまし……。え、ええええ〜〜〜〜!!?」
あっさりと言う幸鷹につられて、思わず頷きかけた泉水だったが。
その意味に気づいて、ザザザーーっと後ずさった。
「わ、わ、わ、たくしが、や、や、やす、つぐ、どのに、じゅ、じゅじゅ、じゅつ、を!!?」
顔面蒼白、ろれつが絡まりまくっている。
「確かに、式神を操る自由を奪えるのは、勝真の神鳴縛か泉水殿の雨縛気のみですね。」
後ろで黙って聞いていた頼忠が追い討ちをかける。
「そ、そ、そんな…。」
「泉水、泰継に対する苦手意識を克服するいい機会だぜ。頑張れ。」
その横では、イサトがにやっと笑いながら言った。
「そんなぁ〜〜〜。」
嵐の入り江に、場にそぐわない情けない叫び声がこだました。
☆
波の音が聞こえる。
身も心も包み込まれていくような優しくリズミカルなその音に、勝真はふと目を覚ました。
「眠ってたのか。」
嵐はすっかり収まり、辺りは穏やかな闇に包まれている。
月が出ているのだろうか、小さな洞穴の入り口からは薄い明かりが差し込んでいた。
「ん…。」
勝真の腕の中で、花梨が小さく身じろぎした。
「花梨。」
「勝真さん…。ここ、どこ…?」
ゆっくりと目を開いた花梨が、まだ半分夢の向こう側へいるような声で呟いた。
「夕立ちのときに飛び込んだ洞穴だ。おまえ、あの後のこと、覚えてないのか?」
「あの後…?」
花梨はまだ覚めきってない顔で首をかしげたが、ふと、 自分を包んでくれている勝真の胸が、素肌であることに気づいた。
「きゃっっ。」
「きゃっ…て、おまえ…。何を今更…。」
勝真は、思わず額を押さえた。
「おまえだって、似たようなものだぞ?」
彼女の方は、日よけ用にと持ってきていた薄衣を一枚、引き被っているだけだ。
「え…。や、やだー! あっち行って!」
「あっち行って…って…。」
そりゃないだろう、と絶句する勝真に、花梨は「はずかしいもんっ。」と口を尖らせ、
薄衣を頭まで引き上げてくるまると、背中を向けてしまった。
「ま…いいけど…な。」
花梨が勝真の腕枕を外してしまったので、勝真は苦笑い交じりにため息をひとつ付くと、 起き上がって洞穴の外に出た。
ああいう反応もまた、微笑ましいと言えなくもない。
夕刻の嵐が嘘のように収まった入り江には、波音だけが穏やかに響いていた。
中空には、満月に程近い丸みを帯びた月が浮かんでいる。
その光のおかげで、岬を入り江の輪郭がきれいに浮かび上がっていた。
船の姿はさすがに見えないが、岬の先端に係留しているだろう。
そういえば泰継の式神は、あれきり姿を見せていない。
心配しているはずだが、どうしたのだろう。
あの程度の夕立ちで船がどうにかなるとは思えないが。
「なんにしても、朝までは動けないな。」
まさか覗き見されていたなどとは思いもよらない勝真は、小さくため息をついた。
「勝真さん。」
その時、少し戸惑いを含んだ声が聞こえた。
振り向くと、衣を身に着けた花梨が、洞穴の入り口からこちらを覗いていた。
「花梨、出て来い。」
勝真が促すと、花梨は足元を気にしながら恐る恐る出てきて、勝真の隣に立った。
「うわぁ、きれい…。」
月の光が波間に反射して、きらきらと光っている。
「ああ…。」
海など見たこともなかった勝真には、想像したことさえない幻想的な風景だ。
「いろいろ気を揉むことも多かったが、来て良かったぜ。」
「ほんと?」
「ああ。こんな景色、京の中に閉じこもっていたら一生拝めなかったしな。それに──。」
そこで言葉を切った勝真は、花梨の肩を抱き寄せると、その耳元でそっと囁いた。
「おまえのことも…全部見せてもらったしな。」
「…なっっ…!」
そのセリフに花梨が思わずのけぞる。
「勝真さんのばか…っっ。」
だが勝真を突き飛ばそうとした花梨は、不安定な足元に逆にバランスを崩した。
「え?」
「あ、こらっ!」
勝真が慌てて彼女の腕をつかんで、自分の胸に引き寄せる。
「馬鹿はどっちだ。」
ひとつ間違えたら、夜の海へ真っ逆さまだ。
「ごめん…。」
「…ったく。おまえはおとなしく俺に抱かれてればいいんだよ。 あ、変な意味じゃなくて、だぞ。」
また突き飛ばされてはかなわない、と勝真は急いで訂正したが、花梨はしおらしく頷いた。
「うん…。」
「なんだよ、やけに素直だな。」
そんな彼女の様子に思わず苦笑いがもれる。
照れて突き飛ばそうとしたかと思えば、おとなしく胸に抱かれていたりする。
乙女心とは複雑なものらしい。
「花梨。今更こんなことを言うのもなんだが…。」
勝真はふと思いついて口を開いた。
「その…。悪かったな、こんなところで…。」
あの時点で自分を抑えられたかというと、それはやはり自信がないが、
彼女には申し訳なかったという気持ちがどこかにある。
「……波の音を聞きながらって、素敵ですよ。」
花梨は勝真の胸の顔を押し付けたまま、呟くようにそう言った。
「そう…か?」
実際には、激しい雷雨の音だったように思うが。
それとも、今、この穏やかな波音の中でもう一度…と解釈しても良いのだろうか。
(さすがに都合が良すぎるか。)
ひそかに苦笑いを漏らしていると、そっと顔を上げた花梨が ほんのりと顔を赤らめながら囁いた。
「勝真さん、大好き…。」
透明な月の光を受けて微笑む彼女が、今までになく美しく見える。
「ああ…。」
他の誰のものでもない。もちろん、龍神のものでもない。
自分だけの神子をこの手の中に大切に包みこんでおきたい。
「俺も…。」
彼女に応えるように、勝真も顔を近づける。
「おまえだけを…。」
恋人たちの姿を隠すように、小さな雲が月の光を薄くさえぎる。
打ち寄せる波の音だけが、小さな入り江にいつまでも響いていた。
──愛してるよ──。
やっぱり、このくらいのラブシーンの方が書いてて落ち着きますね〜(^^; ということで、川遊び編から延々やって来たこのお話、 次回でやっと完結です☆ オールキャラは難しかった〜。 でも楽しかったですv では、あともう少しだけお付き合いくださいませ m(_ _)m (2008. 10. 17) |