夏風の海 9
「お頭、手はず通り準備は万全ですぜ。」
「お仲間も皆ぐっすり。行きますか?」
船の甲板で、船乗りたちが数名、膝をついた。
「望月の前の丸みを帯びてきた月、というのも趣があって良いものだね。」
お頭と呼ばれた男は、彼らに背を向けたまま月を見上げながら、優雅にそう言った。
長い髪をさらりと流す。
「あの月のおかげで漕ぎ出すのも楽ってもんです。」
夕方の嵐が辺りの雲をすべて連れ去ってくれたらしく、快晴だ。
月も星もよく見えるので、方向を誤ることもない。
万端の準備を整えた船乗りたちは、頭の言葉を待った。
「ご苦労。だが、明朝まで待とう。
勝真殿はともかく、神子殿をこんなところに置き去りにするわけにはいかないからね。」
「承知。」
その言葉を聞いた翡翠の手下たちは、一礼をして散っていった。
「さて…。今度は私の余興に付き合ってもらおうか。」
誰もいなくなった甲板で、翡翠はひとり、くすっと笑った。
☆
「翡翠殿、これは一体どういうことですか!」
甲板で潮風を受けながら寛いでいた翡翠の元へ、幸鷹が血相を変えてとんできた。
「おや、幸鷹殿。おはよう。」
「もう昼です!」
「今、目覚めたのなら、おはようで良いのでは? それに寝坊したのは君だよ。
そういうのを逆ギレとか言うんじゃないかねぇ。」
噛み付きそうな勢いの幸鷹に、翡翠は余裕の笑みを返した。
「うたた寝をしていただけです!」
今朝早く、勝真と花梨は無事に船に戻ってきた。
それを出迎え、皆で無事を喜びつつ冷やかしつつ、ひとしきり盛り上がった後、
船は岬を離れ、帰路についた。
昨夜、満足に寝ていない勝真と花梨はもちろん、初めての海で遊び疲れた他の者たちも皆、
思い思いの場所で寛いでいたのだが。
いつのまにかうたた寝をしていた幸鷹が、ふと気づいて辺りを見回したところ、
なにやら見覚えのある景色が広がっていた。
見覚えがあるといっても、大坂の沖合いや京へ続く河口ではない。
「こ、こ、ここは! 瀬戸内ではないのですか!?」
「ほう、さすが幸鷹殿。よく覚えておいでだね。」
「あなた、一体何を考えてるんですかっ。」
「何を騒いでるんだ?」
その声を聞きつけて、勝真や花梨、そして他の八葉たちが集まってきた。
「どうしたんですか、お二人とも…。」
「やあ、神子殿。よく眠れたかい?」
幸鷹が口を開くより早く、翡翠が花梨に声をかけた。
「はい、もうすっきり。」
「それは良かった。せっかくお招きしても、疲れの残っている体では、こちらも気が引けるからね。」
「お招き?」
「どういう意味だ、翡翠。」
首を傾ける花梨の横で、勝真が眉をひそめる。
「おー? なんか島がいっぱいだなぁ。すげーー!」
そこへ、やはり騒ぎを聞きつけて現れたイサトが、辺りを見渡して感嘆の声をあげた。
「誠に…。大海原とはまた違った風情がありますね。」
その横で泉水が頷いている。
「ちょっと待て。往路にこのような場所があったか?」
「おや、泰継殿もすっかり回復したようだね。」
地図を片手に現れた泰継に、翡翠がにっこりと笑いかけた。
「あ、泰継殿…。昨日は大変失礼を…。その…動揺のあまり、力の制御が出来ず…。」
「済んだことは、もうよい。」
かしこまる泉水に、泰継はいつものポーカーフェイスで答えた。
だが、仲間への信頼度を大幅に落とした泰継。
協力技はしばらく使えそうにない。
「泰継、それちょっと貸せ。」
だが、そんな微妙な雰囲気をあっさり無視した勝真が、彼の手から地図をひったくった。
「もしかして、こっちの方角へ向かってるのか!?」
京や大坂とは反対の方角に、大小さまざまの島が散らばった海域が描かれている。
「ちょっと里帰りでもしようと思ってね。」
「まさか、伊予へ!?」
血相を変える幸鷹や勝真に、翡翠は事も無げに言った。
「船を提供したのだから、そのくらい付き合ってもらってもバチは当たらないと思うがねぇ。」
「まさか、あなたは最初からそのつもりで…っ。」
「ふふふ…。甘いねぇ、幸鷹殿。わたしが手配した船だよ。わたしの息がかかっていないわけがないだろう?」
翡翠は呆然となった幸鷹にスッと近づくと、くすっと笑いながら囁くようにそう言った。
「…っ…。不…覚っ。」
確かにその通りだ。和気あいあいとした旅行ムードにすっかり油断させられていた。
「神子殿、伊予も良いところだよ。しばらく滞在して骨を休めるのにちょうどいい。」
がっくりとうなだれる幸鷹を尻目に、翡翠は花梨に視線を戻した。
「あ、はい、そうですね。」
にっこりと笑う翡翠につられて、花梨も微笑を返す。
「おい花梨、そうじゃないだろう。俺たちの祝言はどうするんだ。」
そんな天然な反応に、勝真が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あ、そうですねぇ。じゃあ、新婚旅行ってことにしたら?」
「新婚…旅行?」
そんな習慣などない勝真が首をひねる。
「神子殿、私が言うのもなんですが、こんなにぞろぞろとお邪魔虫を連れて新婚旅行、というのもどうかと思いますが…。」
その横で幸鷹が額を押さえている。
「それに私には仕事が…。」
「伊予かぁ、すげーー。俺、いろんな世界を見てみたいと思ってたんだ。」
「そうですね、僕も今のうちに見識を広めておきたいです。」
だがその横で、イサトと彰紋が目を輝かせた。
「おうっ、熊野は無理だったけどな!」
「伊予を経由して、安芸の宮島まで足を伸ばすなんてどうです?」
「お〜、いいじゃんか、それ。」
すっかり意気投合して、そこだけで盛り上がっている朱雀組。
「私は神子殿をお守りする使命を果たせるのであれば、どこでも。」
「なんでおまえがこいつを守るんだよ!」
一方で、真面目な顔でかしこまっている頼忠に、勝真が噛み付いている。
「私には仕事…が…。」
「ははは、幸鷹殿、面と向かって反対するのは君だけのようだよ。あきらめたまえ。」
翡翠は、勝ち誇った顔で笑みを見せた。
「そうだイサト、君には船のことをもっと教えてあげよう。」
「ほんとか!?」
振り返って声をかけてきた翡翠のその言葉に、更に目を輝かせるイサト。
あわよくば、自分の手下のひとりにしてやろうなどと彼が考えているとは、露知らず。
「これからもまだ、こんな状態が続くのか…?」
その横では、勝真ががっくりとうなだれた。
花梨と祝言を挙げることも、ふたりきりになることもしばらくお預けになることは間違いない。
「もう、どうなっても知りませんよっ。」
そして、あの翡翠の本拠地へ行ってただの旅行で済むはずがないと頭を抱える幸鷹。
それぞれの思惑の下、船はさわやかな風を切りながら、花梨と八葉たちの更なる休日を乗せて進んでいくのだった。
〜Fin〜
やっと完結〜〜(^0^)/ いやぁ、たいした内容でもないのに、もたもたと引っ張ってすみませんでした。 翡翠が船を提供した時点で、この最後のシーンだけはイメージが出来ておりましたv 勝真や幸鷹が大反対するのは見えてましたが、 意外だったのはイサト・彰紋・泉水の三人組。 一緒に驚くかな〜と思ってたのですが、とても前向き・乗り気で(@@) やっぱ若いってエネルギーがあっていいですねぇ(笑) 行きの船のなかで熊野がどうとか騒いでたので、帰りは方角的に宮島を出してみました。 (はい、微妙に遙3を意識しております。だからナニって言われるとそれまでですが^^;) この後もいろいろと、てんやわんやの展開が予想できますが、 とりあえずこのあたりで筆を置きます。 (ここまではぎりぎり勝花ライン保ってるけど、これ以上やるとただのオールキャラギャグ^^;) ということで、オールキャストでお送りした勝花、いかがだったでしょうか(笑) 長々と書いた割には、限りなく萌え度の低い作品になってしまい申し訳ありませんでした。 でも書いた本人は…。うん、とっても楽しかったです(爆v) 最後までお付き合いくださり、どうもありがとうございました☆ ( 2008. 11. 20 ) |