夏風の海 7



「勝真さん…。」

「ああ、まずいな。」

雷雲が少しずつ近づいている。

入り江を構成している岬を、その先端に係留している船に向かって進んでいたが、しだいに道がなくなってきた。

盛り上がった樹の根や、雑草などを掻き分けながら進むことはできるが、
こんな調子では、いつ船に辿り着けるかわからない。

立ち往生している間に、雷がどんどん近くなってきた。

「無理だな。」

勝真が歩みを止めて空を見上げた瞬間、薄暗く沈んでいた空が、一瞬まばゆい光に包まれた。
ほぼ同時に、腹の底に響くような雷鳴が轟く。

「きゃーー!!」

飛びついてきた花梨を胸に抱え、とっさにその場にしゃがみこむ。

雷鳴が収まるのを待って顔を上げると、海へと降りていけそうな、なだらかな斜面が目に入った。

「立て、花梨! 走るぞ。」

それを見た勝真は、次の瞬間には花梨の手を引っ張って、そこを駆け下りていた。
あのまま松林の中にいては、いつ雷の直撃を受けるかわからない。

「きゃあぁぁぁ!」

先ほどとはまた違った悲鳴を上げて、滑るように付いて来た花梨を、海に落ちる寸前で抱き止める。

足元は海。
そして目の前には入り江の風景が180度広がっている。

先ほどの場所よりは下へ降りた分、雷に直撃される危険からは遠ざかったが、
稲妻や雷鳴にさらされていることには変わりがない。

今にも稲妻が駆け下りてきそうな空を見上げながらふと視線をずらすと、
斜面の横に、侵食されて出来たのだろうか、小さな窪みが目に入った。

「こっちだ!」

咄嗟にその窪みに飛び込むと、それと同時に再び、雷光とびりびりという振動まで伴った轟きが響き渡った。

「ひ…っっ!」

再びしがみついてきた花梨を、ぎゅっと抱きしめる。

「ふぅ・・・。」

雷鳴が鳴り止むのを待って顔を上げる。

すると、思いがけずふわっとした甘い香りが漂ってきた。
とりあえず、三方と頭上を囲まれた空間へ避難できたので、ホッとしたのだろう。
先ほどまでは感じなかった彼女の肌の柔らかさまでもが、ダイレクトに伝わってきた。

(ま、まずい…。)

ふと勝真は、自分が上半身に何も纏っていないことに気がついた。

「と、とりあえず、ここなら大丈夫だ…。」

やっとそれだけ呟くように言うと、勝真は彼女の身を離そうとしたが。

「やーっっ。」

だが、ひっきりなしに光る稲妻とそれに続く大音響に、花梨はますますきつく抱きついてくる。

「か、花梨、わかったからっ…。」

小さいと思った窪みは、意外と奥が深いらしい。
花梨に抱きつかれた勝真は、無意識にじりじりと後ずさった。

「こら、離れろ…//。」

彼女も、水着とかいう「超」薄着姿だ。
こんな姿で抱き合っていては、理性などあっという間に吹っ飛んでしまう。

勝真としては、吹っ飛ばしても全然構わないのだが、花梨の方はそんなつもりはさらさらないはず。
こんな状態で押し倒したとしても、余計にパニックになるだけだろう。

「やだってばっっ。勝真さんのいじわるーっ。」

だが花梨は、そんな勝真の葛藤に気づくはずもなく、ただ雷鳴におびえて勝真にしがみついている。

「はぁ…。わかったよ。」

勝真は、小さくため息をつくと、花梨を支えながらその場に腰を下ろした。

相変わらず雷の音は響いているが、その間隔も強さも、先ほどよりは幾分弱まったようだ。
雷さえ遠ざかれば、彼女も落ち着くだろう。

油断すると熱くなりかける体の反応をやり過ごそうとして、勝真は花梨を胸に抱いたまま、
小さな洞穴の外へと意識を向けた。

緩急をつけながら轟く雷鳴の中に、規則的に打ち寄せる波音が響いている。



しばらくそうしていると、やがてその中に雨の音が混ざり始めた。
同時に、雷の方はずいぶん小さくなったようだ。

「花梨? もう平気だろ?」

相変わらず自分の胸に顔を押し付けている彼女に声をかけてみる。
だが、どうしたことか返事はもちろん、反応もない。

眠ってしまったのだろうか。
そう思って覗き込んでみたが、そこまで無防備な様子でもない。
体を強張らせたまま固まってしまったような印象だ。

「花梨、どうかしたのか!?」

急に不安を感じた勝真は、彼女の肩をつかんで自分の胸から引き離した。

「あ…だいじょうぶ…です。」

「なんだ、脅かすなよ。」

身を起こした花梨は、少し頬を紅潮させて視線を泳がせたが、特に問題はなさそうだ。

「どうした、ずっと突っ伏してたせいで血が上ったか?」

ホッとした勝真は、微笑みながら彼女を覗き込んだ。
だがその視線に気づいた花梨は、すぐにまた顔をそらせた。

「……か。」

「……? なんだ?」

「勝真さんの……ば…か。」

「は??」

ばか? なにがどうしてどういう理由で、そんなセリフが出てくるのだ。

「勝真さん、はだか…じゃないですか。」

「はぁ? 何をいまさら…。だいたいこんな衣を着ろといったのはおまえだろう?」

勝真は呆れ顔で彼女を見た。

勝真だけではない。
海岸へやってきた他の八葉たちも、花梨が用意した袴だけの「水着」とかいう衣を
身に着けていたはずだ。

「俺も含めて、みんな半裸状態だったじゃないか。」

「さっきと今とじゃ違うの。勝真さんの…香りがする。あったかい…。」

そう言うと花梨は、また勝真の胸に顔をうずめた。
先ほどと同じ体勢だが、雷に怯えていたときと違って、そっと愛しむように頬を寄せている。

「やっと、勝真さんとふたりきり。」

「なんだよ、調子狂うじゃないか。」

いつも勝真の方から迫るばかりで、そのたびに拒否されたり或いは邪魔が入ったりで、
慢性欲求不満の状態に慣れかけていたのに、急にこんな態度に出られては、
どう対応したものかと戸惑ってしまう。

もちろん嬉しくないわけではないけれど。

「わたしはいつも、勝真さんの傍にいたかったもの…。」

「その割には、あんなにぞろぞろ連れて来て…。言ってることとやってることが矛盾してるぞ?」

思わず苦笑いを浮かべながら憎まれ口を叩いたが、花梨はそれには答えず
ふと顔を上げたかと思うと、そっと勝真の頬に口付けた。

「お、おい…。」

「勝真さん、大好き…。」

彼女のささやき声が、耳をくすぐる。

「お…まえ、誘ってるのか? どうなっても知らないぞ…。」

その言葉に、花梨が恥ずかしそうに目をそらせる。
その様子を見た勝真は、押さえつけていた熱い感覚が、再び湧き出してくるのを感じた。

「いいのか?」

花梨が、うつむくように小さく頷く。
その様子に、勝真の中で押さえていた波が大きく動き出した。

「やっぱりイヤだ…なんて言っても止める自信はない…ぞ。」

勝真は、花梨の顎を引き上げると、そっと唇を落とした。
彼女の熱を帯びた吐息が、微かに伝わってくる。



強くなり始めた雨が、海面を激しく叩いている。
だがその音も、次第に意識の外へと消えていった。







「おいおい、花梨は大丈夫なのかよ。勝真は何やってんだ?」

「ひどい嵐になりましたね。」

イサトと翡翠の漕ぐ小船は、雷雨に襲われる前に無事、船にたどり着くことが出来た。

「嵐というほどのものではないよ。ちょっとした夕立だね。」

船室の中から大荒れの海と空を見ていたイサトと彰紋に、翡翠が笑いながら声をかけた。

「夕立ですか。しかしながら、この雷は少しばかり危険では…。」

同じように、恐る恐る外を見ていた泉水が振り返る。

「泉水殿、勝真は雷の術を操る男、そのような心配は無用かと思われます。」

その言葉に、彼らの少し後ろに控えていた頼忠が口を開いた。

「何言ってんだよ、それとこれとは…。」

イサトが呆れ顔で反論しかけたが、その横では泉水が、目からウロコが落ちたような顔で大きく頷いた。

「ああ、なるほど! さすが頼忠殿、同じ四神を守護に持つ者同士の絆を感じさせますね。」

「はい。」

感心する泉水に、頼忠が真面目な表情を少しだけ緩ませる。

「はい。…じゃねえよっ。何でそこでこじんまりとまとまってんだ。
じゃぁ聞くけど泉水、おまえ、術で水を操るけど泳げんのか?」

「え。」

イサトの指摘に泉水が止まる。

「ちなみに俺は火を使うけど、火事が大大大っ嫌いだ!」

「「おお〜〜なるほど〜〜。」」

その言葉に、その場にいた全員が大きく頷いた。

「…って、そこで納得されるのも、なんか腹立つけどな。」

「術の件はおいておくとして。
仮に勝真殿が雷に強いとしても、神子殿を連れているのでは、どこかに避難しなければ危険ですね。
うまくそのような場所があれば良いのですが。」

口を尖らせるイサトに苦笑いを浮かべながら、幸鷹が口を挟んだ。
操舵席の前から見える入り江は、雨に煙って霞んでいる。

雨が降りはじめてから、雷の方は少しばかり弱まったようだが、
とはいえ、やはり夕立というよりも、嵐といった様相を呈している。

「泰継殿、いかがですか?」

幸鷹は、式神に意識を集中している泰継を振り返った。
その言葉に、皆の注目も彼に集まる。
…が。

「泰継殿、どうかしたのかね?」

意識を集中していると見えていた泰継は、よく見ると、船室の隅で壁を見つめたまま止まっていた。

ちょっとした夕立、と大きく構えていた翡翠が、その様子に只ならぬ気配を感じて、腰を上げた。

「二人に何かあったのですか!?」

「おい、泰継!」

「泰継殿?」

皆が顔色を変えて、彼の背を見つめる。

「いや、問題…ない。」

騒然とし始めた八葉たちに、泰継は、ふと我に返ったように顔を上げた。
だが、いつものような切れの良さがない。

「問題ない、じゃねえよ、おまえ明らかに変…。あれ?顔赤いぞ。調子悪いのか?」

泰継を覗き込んだイサトが首をひねった。

「顔が…? もしや、また船に酔われましたか?」

「彰紋様、船酔いなら青くなりますよ。」

反対側から覗き込んだ彰紋に、同じように近づいてきた幸鷹が言った。

「問題ないと言っているだろう。体調が悪いわけでも、船酔いでもない。
二人とも無事だ。しかし…。」

「しかし…?」

皆の間に緊張が走る。

「神子もあのような表情をするのだな。」

「表…情…?」

その台詞にイサト、彰紋、泉水の3人は相変わらず首をかしげたが、
翡翠と幸鷹は目配せをし合った。

「なるほど…。」

「そういうことですか。」

すいっと、二人が泰継に近づく。

「失礼、泰継殿。」

「何をする?」

両側から羽交い絞めにされた泰継が、眉をひそめた。

「泰継殿、そういう無粋な真似はするものではないよ。」

「それ以前に捕まります。軽犯罪法違反ですよ。」

ムッとする泰継に、二人はにっこりと笑ってみせた。


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夏の間に仕上げると言ったくせに、いつのまにか秋になってしまいました。
す、すみませんっ//。
気持ちは夏のままで読んでやってくださいっ(><)

さてさて…。
あ〜危なかったぁ、あやうく裏へ行きかけるとこでした(大汗)
でも、「勝真さんだから、絶対こういう方向に行くよなぁ〜」とは思ってましたが、
意外にも花梨ちゃんが行動を起こしちゃって、自分でもちょっとびっくり(笑)
勝真目線で書いてますが、
花梨ちゃんの中にもそれなりにいろんな想いがあったのだろうと思います(^^;

で、そこで丸く終わらせときゃ良かったのですが。

オールキャラ・ギャグ気味の内容だし、
何よりも八葉たちがおとなしく引っ込んでいてはくれませんでした〜。

で、こんな展開…すみません(><)
この後は、起承転結の「結」に向かって突っ走りますので
もう少しばかりお付き合いくださいませm(_ _)m

(2008. 10. 1)




























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