夏風の海 4
「翡翠さん、泳がないんですか?」
砂浜への上陸組が揃った後、ひとり小船に乗り込んで波に揺られている翡翠に、花梨が声をかけた。
「ああ、遠慮しておくよ。君たちほど若くもないのでね。
それに、こうして舟の上で波に揺られている方が、性に合っているのだよ。」
日差しよけにと言って持ってきた衣を肩に羽織り、寝そべって、立てた腕を枕にしている。
もう片方の手では、扇子を開いて優雅に扇いでいた。
「・・・なんだか、大人の男性・・・って感じですね〜。」
肩に掛けただけの衣からのぞく胸元は、妙に色気を感じさせる。
「おや・・・それは光栄だねぇ・・・。
若さに身を任せた愛には力強さがあるが、落ち着いた大人の愛し方もまた良いものだよ。
どうだい神子殿、考え直してみないかい・・・・?」
なにやら意味ありげな言の葉を紡ぎながら、翡翠はくすっと笑った。
「はぁ・・・・。」
「おい、花梨、泳ぐんだろ!? 早くこっちに来い。」
黙って聞いていたら、意味もよくわからないまま、イエスと言ってしまいそうな彼女を
勝真は強引に翡翠から引き離した。
「おやおや・・・風情がないねぇ・・・。」
閉じた扇を口元に当てながら、翡翠がくすくすと笑っているが、それを無視して、どんどん離れる。
「全く、油断も隙もない。その上、おまえは鈍いんだから・・・。」
勝真が彼女の腕をぐいぐい引っ張っていると、花梨は歩くのを止め、仰向けになって水の中に体を浮かべた。
「わ〜、気持ちいい〜〜。」
何もせずに浮かんでいるだけで、体の周りの水が動いていくのを、感じることが出来るのだろう。
「おまえな・・・。」
勝真は、そんな彼女を呆れ顔で見下ろした。
取り巻く男たちを、軒並み半裸にしたかと思えば、妙に幼かったりする。
いや、逆に深く考えていないからこそ、出来たこととなのかもしれない。
それに彼女が元いた世界では、ごく普通のことなのだろう。
「とはいえ・・・。」
この世界の男たちにとっては、彼女のこの姿はかなり目の毒である。
前回、小川でずぶ濡れになったときの反省を踏まえ、濡れても体に張り付かないようにと、
紫と一緒になって頑張って改良したらしく、以前のように艶かしい姿にはならないようだが・・。
「どう考えたって、露出が多すぎなんだよ。」
波と戯れるなどして、皆、思い思いに初めての海を楽しんでいるようだが、
やはり花梨のことは気になるらしい。
「本当に気持ちいいですねえ。こういう感覚は久しぶりですよ。」
その中の一人・・・。
少し離れたところで、花梨と同じように仰向けで浮かんでいた幸鷹が、
腕を大きく動かして水をかきながら近寄ってきた。
「こんなにお誂え向きのビーチなのに、現代と違って人影もなく貸し切り状態・・・。
のんびりと夏を満喫できて、心が洗われるようです。それもこれも、神子殿のおかげですね。」
「うふふっ・・海の家があれば、言うことないんですけどね!」
「ははは、そうですねぇ。」
二人して、背泳ぎをしながら(花梨は勝真に引っ張ってもらっているが)、
勝真には意味不明な単語を混ぜ込みながら、楽しげに会話を始めた。
「・・・・・・・・・・・。」
癪に障るので、引き離してやろうと、勝真は花梨の手を持ったままスピードを上げて少し歩いてみたが、
水の中では、思うように進まない。
一方、幸鷹は意外と泳ぎが得意らしく、ぴったりとついて来る。
そう、ぴったりと。
「・・・・・・・・・・おい、幸鷹! あんた、なんだってそんなにくっついて泳ぐんだ、もっと離れろよ!」
「おや、そうですか? ・・・・これは失礼しました。
何しろ、眼鏡を外しているものですから、お顔が良く見えなくて・・・。
ああでも、神子殿の素敵なお召し物は、しっかりと目に焼きついていますよ。」
思い余って勝真が抗議の声を上げたが、それをものともせず、幸鷹は花梨ににっこりと笑いかけている。
しかも、ひとこと多い。
「しかしながら勝真殿のご機嫌を損ねるのもなんですし、仰せのとおり離れることにしますよ。
ああ、そうそう・・・神子殿、あとで私と一緒に、少し沖まで泳いでみませんか?
それまでに泳ぎの勘を取り戻しておきますので・・・。」
二人から離れながら、だが幸鷹は、花梨にさりげなく誘いをかけた。
「沖にですか? 楽しそうですね! じゃあ・・・・。」
「あ! おい、花梨! そこに綺麗な石があるぞ!」
OKと言いかけた花梨の気を逸らすべく、勝真は大声でそれを遮った。
川遊びしか経験のない勝真には、海での遠泳など出来るはずがないので、ついて行きたくても絶対に無理だ。
ここは、二人きりになどさせないように、妨害するしかない。
姑息なことをしていると思う。
だが、ただ一緒に泳ごうとだけ言っているものを躍起になって阻止するのも、
人間としての器が小さいような気がして、それはそれでイヤなのだ。
「あ、ほんと!」
そんな勝真の思惑を知ってか知らずか、その声に身を起こして海中を覗き込んだ花梨は、嬉しそうな声を上げた。
対して、離れながら声をかけてきていた幸鷹は、そんな花梨に苦笑いを残しながら、そのまま先へ泳いでいった。
(よしっ!)
それを目の端でちらりと捕らえた勝真は、心の中で拳を振り上げた。
だが・・・。
(俺・・・何しにこんなところまで、来ているんだ??)
ふと、一抹の疑問が掠めたりする。
「う〜ん、取れない・・・・。」
その石を拾おうと、屈んで手を伸ばしていた花梨が、眉を寄せながら呟いた。
だが、水深が彼女の胸元近くまであるので、顔を出した状態では届かないらしい。
「潜るのはいやだしなぁ・・・。」
立ち上がり、思案顔でその石を見つめている。
「なんだ、それくらい。俺が・・・。」
「取ってやるよ!」
そのとき、バシャバシャと近づいてきたイサトが、勝真のセリフを綺麗に奪った。
「川の中にも、いろんなもんが落ちてたからな。よく潜ったもんだぜ。なっ、勝真!」
「あ?・・・ああ、まぁ・・・。」
「川に比べれば、流れがない分、ずっと楽だぜ。おい、勝真、競争するか?」
呆気に取られた格好で頷いた勝真に、イサトがにっと笑いかけた。
その表情に、幼い日にイサトと二人でこっそりと山間の川に出かけたときの光景が、勝真の中でよみがえってきた。
「でも、イサト君、川とは・・・。」
それを見ていた花梨が何かを言いかけたが、イサトはそれを待たずにザブンと潜った。
彼が跳ね上げた水しぶきが高く飛び散って、きらきらと反射する。
「ああ、受けてたつぜ!」
それを見た勝真は、負けてなるものかと彼に続いた。
「泳ぎの出来る方というのは、良いですね・・・。」
「誠に・・・。我々には、そのような経験はございませんものね、彰紋様・・・。」
一方こちらは、お坊ちゃま育ちの異母兄弟。
勇んで上陸したのは良いものの、海はもちろん、川遊びの経験さえない。
屋敷内には、人工的に造られた池や、それに繋がる小川などがあったが、
それらはあくまでも、見て楽しむためのものであって、例え真夏といえど、そこで水遊びをするなど考えもしなかった。
最初は、波打ち際で、白く砕ける小さな波に足を浸したり、砂の上に手を置いたりして、
波が手足の周りにある砂を攫っていく感覚に、ひとつひとつ感動しては、
ふたりしてはしゃいでいたが、やがてそれにも飽きてきた。
今は、寄せた波が引いていく場所・・・・水にほんの少しだけ触れられるところに腰を下ろして、
海の中で遊んでいる花梨たちをぼ〜っと眺めている。
「暇ですねぇ・・・。」
「誠に・・・・。」
花梨たちは、ゆったりと水に浮かんでみたり、あるいは潜ってみたりと、楽しげに水と戯れているようだ。
跳ね上がる水しぶきが、きらりと光って、とても涼しげに見える。
「・・・暑いですねぇ・・・。」
「・・・・誠に・・・・。」
対して、こちらは太陽がじりじりと照りつけている。
水と戯れているときには感じなかったが、この姿勢でじっと座っていると、さすがに汗ばんでくる。
「水の中で涼みましょうか。」
彰紋は泉水にそう声をかけると、先に腰を上げ、先ほどより少し深い場所を目指して、ゆっくりと歩を進めた。
「うげっっ!」
潜ったときよりも、もっと派手な水しぶきを上げて、勝真とイサトが同時に飛び出した。
「痛ってー! しみるーー!!」
「なんだよ、これは!!」
二人とも、顔についた海水を拭い取ろうと、必死になっている。
「だから、川とは違うって言おうとしたのに・・・・。」
花梨が困ったもんだという顔で、二人を眺めた。
海独特の香りは、塩のにおい。
真水と違って塩分を含む海水は、慣れていないとかなり目にしみる。
「知らなかったぜ・・・。」
勝真が、髪の毛からポタポタと雫を落としながら呟いた。
【海とは────広い。波がある。そして塩辛い。】 勝真の辞書に加わった知識より
「そうなのか・・・だけど、そうと知って潜れば、どうってことないぜ! 要は慣れだろ?」
イサトが自信たっぷりに言い放った。
「あ、それとね、もうひとつ・・・・。」
花梨がまた何かを言おうとしたが、それに全く気づかなかったイサトは、再びザブンと潜った。
だが、なかなか底に届かないらしく、水中で手足をじたばたと動かしている。
「海の水って、体が浮きやすいのよね・・・。」
その背中に向かって、花梨が呟いた。
塩分を含んでいるせいで真水より浮力が多く働く分、潜るのも難しいのだ。
「へえ・・・そうなのか。」
【追記・・・・潜りにくい。】 勝真の辞書より。
一度、顔を上げればよいものを、意地になっているのか、イサトはまだ水中でもがいていた。
だが、手で水をかいているので、下ではなく前に進み始めた。
これがまた、意外に速い。
「お〜い、イサトー。」
「イサト君、どこまで行くのー?」
二人して声をかけてみたが、潜っている彼には聞こえるはずもない。
「・・・あ、彰紋君・・・?」
花梨がふと前を見ると、イサトの向かう先に彰紋の姿があった。
自分の足元を見ながら、水の中を恐る恐る歩いている。
対して、イサトの方も、下へ潜ろうとしているので底ばかり見ているのだろう。
二人とも互いの姿には気づいていないらしく、どんどん接近していた。
「水の中を歩く感覚というのは、おもしろいですね・・・。」
水を踏みしめるように歩くと、心地よい抵抗が伝わってくる。
少しずつ深くなるにつれ、その抵抗も徐々に大きくなり、
膝が隠れる程度に深くなると、一歩進むたびによろめいたりもするが、
それもまた楽しい。
「泉水殿もいらっしゃいませんか?」
彰紋は、相変わらず浜辺でぼ〜っとしている彼を振り返った。
「泳げずとも意外に・・・・。」
楽しいですよ・・と言いかけたとき、急に近くでばしゃばしゃという水音がした。
「彰紋君、あぶな〜〜い!」
同時に花梨の声も響いてきて、何事だろう?と彰紋が振り向いた瞬間、
何か硬いものが、ゴン!と彰紋のむこうずねを直撃した。
「・・・・い"っ・・・っっ!?」
【弁慶の泣きどころ】 注 : だがこの時代にはまだ、こういう言い方は存在しなかったと思われる。
骨が折れたのではと思うほどの衝撃が、彰紋の体の中を突き抜け、
ただでさえ、よたよたと不安定だった体勢が、呆気なく崩れた。
体を支えきれなくなった彰紋が、背中から水の中へ倒れ込んで派手な水しぶきを上げ、
それと入れ違いに、イサトが海中から慌てて顔を出した。
「痛てーーー!!」
急いで立ち上がり、頭を押さえている。
「なんだ、今の・・っっ!・・・・って、彰紋? 何してんだ?」
イサトが頭を撫でながらふと見ると、足元の水中で、彰紋がブクブクと気泡を吐きながらもがいていた。
やっっと上陸!(よっしゃ〜!>▽<) ・・・・・・って、それはいいのですが、果たしてこれは勝花なのでしょうか・・・・。 (まだまだ、しつこく続く・・・・lll) (2005 .9. 28) |