夏風の海 2
「・・・ったく、えらい目にあったぜ。」
「全くだ。」
あれからしばらく、青龍組のふたりで必死になって舵を握っていたが、
落ち着いてよくよく辺りを見回すと、特段、何か障害物があるわけでもない。
当然、舵を切る必要もないし、これは、ただまっすぐ進んでいるだけなのではないか?と気づき、
ふたりして、恐る恐る手を離してみた。
・・・・別に何も変わらない。
「あの〜、そろそろ海へ出るので、舵・・変わりますんで。」
どういうことだ?と顔を見合わせているところへ、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、この船の船頭らしい男が立っていた。
再び顔を見合わせる。
「・・・・・おい・・・・。」
「・・・・・・・・ああ、そうだな・・・・。」
謀らずも、ため息が重なる。
「おまえ、馬鹿じゃないのか? あんなに必死に舵なんか握って・・。何の意味もないじゃないか。」
「おまえに言われる筋合いはない。」
よく考えたら、この船を動かしている船頭や水夫たちがたくさん乗っているのだ。
いや、よく考えなくても当然のことなのだが、
例え川を下るだけとはいえ、素人だけで船を操れるわけがない。
ましてや、海へ出ようとしているのだ。
「あの・・・何の意味もない・・ってことはないですぜ?
なんかの拍子に舵が回転しないとも限らないんでね。ほっといたら、川岸に乗り上げちまう。
舵を握ってる人間は必要なんですよ。」
そう言いながら彼は、先ほどまで二人が必死の形相で立っていた場所へ立ち、
慣れた手つきで舵を握った。
「翡翠にいっぱい食わされたぜ。」
「言われてみれば・・・舵を握っておいてくれと言われただけだった様な気もする。」
「おまえ、もっと早く気付けよ。」
自分のことは棚に上げて、とりあえず頼忠に文句を言っておく勝真。
することもなくなったので、どちらからともなく、ふらりと甲板へ出る。
すると、船が、今まさに海へ漕ぎ出そうとする瞬間だった。
「・・・・・・・・っ・・・・・・・。」
目の前に広がった光景に、勝真は思わず息を呑んだ。
今、この船の前を遮るものは、何もない。
青く光る大海原の、底の知れない深い青と、
ところどころに白い雲を宿した空の、手を伸ばせば溶けていきそうな明るい空色が
どこまでも果てしなく続いている。
その二つの青が交わる場所・・・水平線が、180度のパノラマで広がろうとしていた。
なにをどう表現したらよいのか。
この世界に、このような景色が広がっているという、その事実にただ驚く。
先ほどまでは微かに感じる程度だった潮の香りが、今はこの身を全て包んでいる。
それと同時に、風の音にまで、青い色が加わったような気がした。
「勝真さん、海ですよー!」
花梨が先ほどと同じように、嬉しそうに勝真の元へ飛んで来た。
「・・・あ、ああ・・・・・。」
そんな彼女の肩を、無意識に抱き寄せる。
花梨が、皆の目を意識して少し照れたような表情を見せたが、勝真も他の八葉たちも
初めて目にする海の果てしない広大さに、魂を奪われたように惹き付けられていた。
ただ、白虎組の二人だけが、そんな彼らに、微笑みを湛えたまなざしを送っていた。
太陽の光が燦々と降り注いでいる。
船は、左に大きく旋回して南に舵を取り、陸地からそう遠くない海上を、
海岸線に沿うように走っていた。
流れていく潮風が心地よい。
「さてと・・・。あまり遠くない場所で、落ち着けるところを探さないと・・・。」
幸鷹が皆の前で、再び地図を広げた。
「なあ幸鷹、今どの辺りだ? もうここら辺まで来たか?」
イサトが真っ先に寄ってきて、幸鷹の手にある地図の下のほうを差した。
「そんな、ばかな・・・。」
彼が指さしているのは、紀伊半島の最南端、潮の岬である。
「いいですか、イサト。 ここが京、そしてここが、先ほど海へ出た河口です。
この距離を進むのに、どれだけかかりました?」
「え・・・・そうなのか・・・・。」
イサトが目をまん丸にしている。
今、この船がいるのは、河内の国から和泉の国にかけて。
現代でいえば、大阪府中南部の沖合1〜2kmのあたりだろう。
「熊野って、遠いんだなぁ・・・。」
「だから、最初からそう言ってるじゃないですか。」
「・・・だってさ〜、彰紋。」
幸鷹に軽くあしらわれたので、同類の彰紋に振るイサト。
「・・・・・そうですか、やっぱり無理ですか・・・残念ですね。」
二人でどよ〜んとブルーを背負っている。
「・・・・・・・・・・・・。」
この二人、本気で熊野まで行くつもりだったのか・・・・。
とにかく、ここは無視しておくに限る。
幸鷹は、勝真の姿を捉えると、手にしていた遠眼鏡を彼に渡した。
「はい、勝真殿、これで海岸線を見て、遠浅になっていそうな場所を探してください。」
「遠浅・・・・?」
「あのね勝真さん、急に深くなってない場所です。砂浜とかが広がってたりするの。」
「砂浜・・・・。」
幸鷹の指示に首を傾げている勝真に、花梨が説明を加えてくれたが、やはりよくわからない。
なにしろ、海が初めてなのだから、遠浅だの砂浜だのと言われても、イメージが湧くわけがない。
「砂が広がってる浜のことです。」
そんな勝真を見て、再び幸鷹が付け加える。
本当は、幸鷹が自分で探した方が早いのだが、メガネの上から遠眼鏡を覗くと、非常に見づらい。
それに、これは本来、勝真が仕切るべき旅だ。少しくらいは働いてもらわねば。
幸鷹はにっこりと笑って見せた。
「なんだよそれ・・・・。」
その補足説明(?)に、そのまんまじゃないか・・・と文句を言いつつ、とりあえず遠眼鏡を覗いてみる勝真。
人の説明をごちゃごちゃ聞いているより、自分の目で見たほうが早い。
「あ、できたら、近くに岬があるといいですね。船を停泊させるのに都合が良いですから。」
幸鷹がまたややこしいことを言っている。
「みさき〜?」
そんな都合のいい場所があるのだろうか。
だいたい、岬のイメージもイマイチ浮かばないような人間に任せるなんて、人選を間違っている。
勝真がぶつぶつ言いながら遠眼鏡を覗いていると、不意に後ろから抑揚のない声が響いた。
「わたしが探してやろう。式を放てば、さして時間もかからぬ。」
「あ、泰継さん、船にはもう慣れましたか?」
勝真の傍に寄り添うように立っていた花梨が、振り返って笑顔を向けた。
「ああ・・・問題ない。」
その笑顔につられたのか、泰継も、彼にしては珍しく温和な表情を彼女に向けた。
そして、片手をスッと懐に忍ばせると、数枚の形代を取り出して宙に放った。
そして、短く呪を唱える。
するとそれらの紙は、空中でみるみる鳥の形を取り、それぞれに陸を目指して飛んでいった。
「あ! 余計なことを・・・!」
花梨のために、俺が絶好の場所を探してやろうと思っていたのに!
文句を言いながら、一方でそんなことも思っていた勝真は、式神に負けてなるものかと、再び遠眼鏡を覗いた。
「ふっ・・・・わたしの式の方が早い。」
一方、泰継の方も、さりげなく対抗意識を燃やしている。
「あの・・・先ほどから、砂浜とか遠浅とか、聞きなれぬ言の葉ばかりで、
わたくしなどには今ひとつ、理解しがたいのですが・・・・。」
これは意外と早く見つかるかもしれないなと、他の全員が考えていると、遠慮がちな声が聞こえた。
皆の意識が、声の主、泉水に集まる。
「泰継殿の式神は、泰継殿の目であり、耳であるわけですよね・・・?」
「その通りだが?」
泰継が、何が言いたいのだという目で、泉水に視線を投げた。
「あ・・・ええと・・・その・・・・。」
相変わらず、彼のそういう態度に、からきし弱い泉水。
「わたくしはただ・・・・泰継殿は、ずっと京にいらしたはずなのに、
砂浜や岬などというものをご存知なのだな、と感心していただけでして・・・。」
「なんでだ?」
遠眼鏡を覗きながら、勝真が口を挟んだ。
「それは・・・。泰継殿は、式神の目を通して、ご自分で探されるわけでしょう?
砂浜や、岬といったものがどのようなものかご存じなければ、
たとえ式神の目に映ったとしても、気づかずに過ぎてしまうでしょうから・・。
ですから・・・さすが泰継殿、物知りでいらっしゃるのだな・・・と思いまして・・・。」
なんとか言い終わった彼は、泰継への尊敬の思いを込めて、にっこりと笑った。
だが、さりげなくするどい泉水の指摘に、またしても固まってしまう泰継。
本人は、そこまで考えていなかったらしい。
「そうなんだ〜、さすが泰継さんですね!」
くったくのない笑顔を向ける花梨が、それと知らずに更に追い討ちをかける。
「・・・・・・・・・・。」
今更、「実は知らない」などとは言えない。
ポーカーフェイスの泰継の頬が、ひそかにヒクッと引きつった。
「おっ・・・もしかしてあれが砂浜ってヤツか?」
その時、勝真がそれらしきものを見つけて、声を上げた。
「おい泰継、式神を飛ばしてみろよ。ここから若干右方向にある、少し飛び出てる陸地の横だ。」
「・・・・・・・・・承知した。」
勝真に指図されるのは気に入らないが、とりあえず助かったと、こっそり胸を撫で下ろす泰継だった。
なんとか海へ出ましたv でも、上陸地点を探してるうちに2話目が終わってしまった・・・llll 次回こそは、念願の(?)水遊びを・・・!(>0<) (2005 .9. 3) |