紅葉の舞をあなたと2

秋の日は釣瓶落とし。
あれからしばらくして日が沈むと、辺りはあっという間に闇に包まれた。

「さあ行きますよ、イサト。」

幸鷹は重い上着を脱ぎ捨て、身軽になった着物の袖をたすきがけにしている。

「マジかよ…。」

やる気満々の出で立ちに、イサトは頬を引つらせた。

「怪我しても知らねーからな。あ、大怪我するのだけは勘弁だぜ。俺が花梨に恨まれるっ。」

「大丈夫ですよ、たかが木に登るくらい。」

そう言うと幸鷹は、竹を編んで作られた塀に近づいた。そのそばにある大きめの木の幹に手をかける。

「それじゃなくて、こっちの木から登るんだよ。枝が大きく張ってるからな。一気に塀の向こうへ出られる。で、あっちの木に飛び移って…。」

「なるほど…。」

イサトがひょいひょいと登ると、幸鷹も見様見真似で登ってきたが。

「うわ…っ。」

いきなり、足を掛け損なってずり落ちそうになっている。

「おいおい、ほんとに大丈夫かよ…。」

「だ、大丈夫です…っ。」
 
その後も幸鷹は、足を滑らせたり、ずり落ちかけたり、小枝をバキバキと折ったりしながらも、なんとかイサトについてきた。
見張りが立っている場所と反対側だったとはいえ、気づかれなかったのは奇跡としか言いようがない。

「ほら、ここまでくれば花梨の部屋まであと少しだ。」

前方に建つ母屋から、ぼんやりと部屋の明かりが見える。
庭園の中に出たので、あとは普通に歩いていればたどり着けるだろう。

「感謝します、イサト。」

「俺は先導してただけだぜ。だけど、その格好でほんとに花梨とこ行くのか?」

「なにか問題が?」

「いや、まぁ…あんたが気にしないなら俺はどうだっていいんだけどさ。」

どこからどう見ても、ボロボロだ。
これが検非違使別当という重職についている人間には、とても見えない。

「んじゃ、俺はこのへんで帰らせてもらうぜ。紫姫に見つかったら面倒だし。」

だが、これはこれで面白いのかもしれない。
イサトは、笑いを噛み殺しながら踵を返した。

「ええ。このお礼はまた後日。」

「いらねえよ、んなもん。」

イサトはニッと笑うと、頑張れよ!と言い残して去って行った。





「花梨さん、お目覚めですか?」

彰紋が声をかけると、花梨が気怠げに目を開いた。
熱の名残か目は潤み、目元には微かに涙の跡があった。

「なにか嫌な夢でもご覧になりましたか?」

「あ…。彰紋くん…。」

枕元にいたのが彰紋だったと知った花梨は、ほんの少し目を伏せた。

「ううん、大丈夫…。ずっとついててくれたんだ…ありがとう…。」

「ああいえ、ずっとではなくて。花梨さんが眠っておられる間に幸鷹殿の様子を見に行ってきま…。」

「幸鷹さんに会えたんですか!?」

その名を聞いた花梨は、思わず身を起こしたが。

「…あ…。」

「花梨さんっ、急に起き上がってはいけません。」

ふらついた花梨を彰紋が慌てて支える。

「ご安心ください、彼なら大丈夫でしたよ、とてもお元気そうで…。」

「うそ…。だったらどうしてずっと会わせてもらえないの。彰紋くん、隠さないでほんとのこと教えて…っ。」

「それは…なんと申しますか…。」

言い淀む彰紋を見て悪い想像をしたのか、花梨の目元に再び涙が滲む。

「彰紋くん、幸鷹さんのところへ連れてって。お願い…。」

「しかし、まだお体が…。」

「幸鷹さんをひとりきりにしておくのはイヤなの、お願い彰紋くん…っ。」

花梨は、彰紋にすがりついた。

「花梨さん…。」




灯りを頼りに部屋へ近づくと、微かに話し声が聞こえてきた。
御簾の向こうで人影が揺らめいている。

物音を立てないよう気をつけながら、階から簀子縁に上がると話し声が近くなった。

花梨と、恐らくは彰紋だろう。
日が落ちて薄暗くなった部屋の奥は、燭台の灯りがゆるりと二人を包んでいる。

(……っ……。)

彼女が伏せっている状態とはいえ、そんな環境で他の男性と二人きりというのは耐え難い。

(とはいえ、どうしたものか…。)

勢いでここまで来たのはよいが、声をかけるタイミングを測りかねた幸鷹は、簀子縁に膝をついた。

そのとき、それまでボソボソと不明瞭だった声が、やけにはっきりと聞こえてきた。

『幸鷹さん………いや…彰紋くんっ…。』

「…え?」

切羽詰まった様子の花梨の声にハッと顔を上げる。
すると、彰紋が花梨を抱き寄せるようなシルエットが飛び込んできた。

「な……っ。」

思わず立ち上がる。

『花梨さん…。』

彰紋のせつなげな声。
それを聞いた瞬間、花梨の様子だけそっと確認しようなどと控えめに考えていたことが、全部ぶっ飛んだ。

大股で近づき、力任せに御簾をめくり上げる。

「彰紋様!」

幸鷹の声と同時に、御簾が派手な音を立てて落ちた。

「たとえ東宮様といえど、彼女に手を出すことは看過できませんっ。今すぐお退きくださいっ。」

「………え?」

「ゆ、幸鷹さん……?」

あまりに突然の幸鷹の登場に、二人は呆気に取られて口をぽかんと開けた。

仁王立ちで二人を見下ろす幸鷹は、単衣の袖をたすきがけ、何故か髪や肩にこれでもかと枯れ葉を纏い、おまけに顔は擦り傷だらけだ。

「え、ええと…どこから突っ込んで良いか迷うのですが…。なぜここに?」

「花梨さんに会いに来たのですっ。彰紋様、その手っ。」

「え?あ、はい…っ。」

彼の迫力に押され、彰紋は花梨を支えていた手を離した。
それと同時に花梨がよろよろと立ち上がる。

「幸鷹さん…。ほんとに…?」

「花梨さんっ。」

幸鷹は、ふらつく彼女に慌てて近寄り、その身を支えた。

「幸鷹さん…っ。」

幸鷹を目の前にして間違いなく本人だと確信した花梨は、その胸に抱きついた。

「良かった…。心配してたんです、ずっと…。」

「ご心労をかけてしまったようで申し訳ありません。ああでも…私もあなたの心配をしていたのですよ。」

幸鷹は熱っぽい花梨を感じて、額をコツンと合わせた。

「まだ熱があるようですね。」

「大丈夫です。幸鷹さんの元気そうなお顔を見たら、私もエネルギーが沸いてきました。」

花梨が熱のせいで潤んだ瞳を向けたまま、嬉しそうに笑う。

「……っ…。」

その表情にトクンと胸が波打った。


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