紅葉の舞をあなたと1


「え、花梨さんが?」

世話をしてくれている侍女が何気なく言ったひとことに、幸鷹は驚いて振り向いた。

「あ、いえ…私も詳しく聞いてるわけではないので…。」

幸鷹が情報を求めようと身を乗り出すと、彼女は用意してきた夕餉の膳をそそくさと整えると逃げるように部屋を出ていった。

「あ、お待ちなさいっ。せめて紫姫に取次ぎを…!」

熱も下がり体調もすっかり元通りになったが、なぜか屋敷の西にあるこの離れ屋から出られない。
母屋へ続く道にいつも見張りが立っていて、その先へ行こうとするとさりげなく阻止される。
一応客人として認識されているようで扱いそのものは丁寧だが、これでは軟禁されているのと変わらない。

「全く、紫姫もどういうおつもりなのか。」

こんな状態では、本来の役職である別当としての仕事はおろか、八葉の役目も全うできない。
なによりも、花梨に会えないのが一番堪える。

彼女は「お見舞いに行く」と言ってくれていたが結局、あれから一度も顔を見ていない。
何か不測の事態でも起こったのかと侍女たちに探りを入れても、皆、
「問題ございません。いつも通り神子様としての務めを全うされています。幸鷹様におかれましては、まずはご自身の回復にご専念を。」
などと言うばかり。

「もうすっかり回復したというのに…。」

幸鷹はため息をつきながら、少し早めの膳に向った。
夕餉とはいえ、日が沈むには間があるようで、外はまだ明るい。

それにしても、先ほどの侍女の言葉が気にかかる。
できるだけさりげなさを装いながら話を振ると、彼女はそれと気づかずにポロっと漏らしたのだ。

『神子様も連日のお疲れが出たのか、夕べから臥せっておいでのようで…。』

「………。」

幸鷹は黙々と食事を口に運んでいたが、どうにも気になって喉を通らない。
箸をそろえて膳の上に置くと、庭から入り込んだ秋風が紅葉した葉を一枚、はらりと運んだ。

「お、いたいた! なんだ、元気そうじゃんか。」

そのとき、庭の方から突然、聞き覚えのある快活な声が響いた。

「……?」

驚いてそちらを見ると、イサトが庭の木から飛び降りてきた。

「いや~、なんか警備が厳しくってさ。向こうの木から飛び移って塀を越えてきたんだ。」

へへへと笑いながら、得意そうに胸を張っている。

「ああ、イサト殿…お久しぶりです。先日は世話になりました。」

「先日?あ~、寺でのあれか…。」

幸鷹の言葉に、イサトは少し頬を赤らめて目を泳がせた。

「それは別にいいんだけどさ。あんた重篤だったんじゃないのか?面会謝絶って紫姫が言うから、花梨がめっちゃ心配してたぞ。」

それで見るに見かねて、こうして様子を見に来てくれたらしい。

「…?いえ、疲れが出てちょっと発熱しただけですが…。あの程度の体調不良、2日も寝ていれば治りますよ。」

「そうなのか?…てか、そうみたいだな。でもなんで重篤って話になってんだ?」

イサトが首をひねっているが、むしろこっちが聞きたい。

「紫姫に意地悪されてるんじゃないですか?」

そこへ、縁側から別の声が聞こえてきた。
くすくすと笑いながら、品の良い少年が現れる。

「これは、彰紋様…っ。」

八葉の一人とはいえ、東宮である彼がなぜ、母屋から隔離されたこんな場所にいるのか。
幸鷹が目を丸くしていると、こちらも一瞬呆気に取られていたらしいイサトが、先に口を開いた。

「え?おまえ、どうやってここに忍び込んだんだ?見張りがいただろ?」

「はい、いらっしゃいましたが…。東宮の彰紋ですと名乗ったら、なぜか大慌てで通してくださいましたよ。」

ここも大貴族の屋敷ではあるが、さすがにこんな離れの門番は、東宮がひょっこりやってくるなどとは想像もしていなかっただろう。

「なんだよそれ~。おまえ、そういうのずるいぞっ。」

「イサト、ずるいとかそういう問題では…。」

思わず窘めようとする幸鷹を、彰紋がやんわりと制する。

「ずるくても、使えるものは使った方が良いでしょう?なによりも花梨さんのために。」

花梨のために、というところで、彼は極上の笑みを見せた。

「………。」

その笑みに、なぜだかひっかかるものを感じる。

「ともあれ幸鷹殿、ご健勝のご様子でなによりです。花梨さんもご安心なさるでしょう。」

「ありがとうございます。ですが何故かこの有様で…神子殿にお会いすることもままならず…。」

「あ、そういやおまえさっき、紫姫の意地悪とか言ってたな。」

イサトが座敷に上がり込むのを見て、彰紋も縁側に腰掛けた。

「ええ。なんでも幸鷹殿は嵐の夜、仕方がなかったとはいえ、花梨さんと寺の片隅で夜を明かされたとか。」

「ええ、まぁ…。」

正確には、この屋敷をわざと通り過ぎて、寺に連れ込んだのだが。
その辺りは、幸い彼らには伝わっていないようだ。

幸鷹は、ごまかすようにコホンとひとつ咳払いをした。

「不可抗力だったとしても、年若い女性と二人きりで夜を過ごすのは如何なものかと。」

「いや、不可抗力っていうか、こいつらはもう…。」

イサトがゴニョゴニョと言いかけているが、彰紋は構わず続けた。

「紫姫もその辺りを懸念されたのでしょう。意地悪というより、罰のおつもりかもしれませんね。」

「それはちょっと違うだろ。どっちかってえと、仲良しの花梨を取られた腹いせ…。」

「ちなみに、幸鷹殿の前で申し上げにくいことではありますが、僕も大切な天女を汚されはしなかったかと、後で聞いて肝を冷やしましたよ。」

穏やかな笑みを湛えたままで、彰紋がさらっと聞き捨てならないことを言った。

「え……。」

「……あー、まさかとは思うけど、おまえ花梨のこと…。」

「無垢なお方ですから、幸鷹殿のことは変わらず信頼されてるようですけれど。体調のこともずいぶんご心配なさっておいでで…。」

そこまで話して彰紋は、あっ…と声をあげた。

「そうでした、早く戻って安心させてあげなければ。八葉のひとりひとりにまで心をかけて下さるなんて、本当にお優しい方ですよね。」

「……。」

珍しく一人でペラペラとしゃべる彰紋に、さすがのイサトもどこから突っ込んで良いかわからなくなったらしい。

「お元気そうで安心しました。では僕は花梨さんの看病に戻りますね。」

そう言うと彰紋は、丁寧に一礼をして去って行った。

残された二人の間を秋風が通り過ぎていく。
庭では、木々の葉がこすれる心地良い音がさわさわと響いた。

「…イサト、私も少しばかり情報が欲しいのですが。」

「ああ、なん…。」

呆気に取られていたイサトは、幸鷹のくぐもった声に何気なく振り向いたが、彼から発せられる気に思わず仰け反った。

「だっ…?」

なぜか、怒りにも似た気がふつふつと立ち上っている。

「お、おい…幸鷹、落ち着けよ…?」

思わず両手を出して彼をなだめながら、後退る。

「落ち着いていますよ…。まずひとつ、花梨さんは寝込んでおられるのですか?」

「あ、ああ。でもま、ちょっと疲れが出ただけだろ。おまえのことも心労になったのかもだけど…。」

「ふたつめです。彼女の世話はどなたが…紫姫ですか?」

「え、ええっとぉ…。」

思いっきり地雷を踏みそうなので、イサトはそろりそろりと庭へ近づいた。

「逃しませんよ。さあ、正直に吐いてください、誰なんです?」

さり気なく逃げようとする彼の腕を、幸鷹ががっちりと捕まえた。

「あー、俺が昼過ぎに様子を見に行ったときには、彰紋がいたような〜?」

実際には、朝からべったり付きっきりで花梨のそばに居るのだが、そこは全力でにごす。

「そうですか。」

だが意外にも幸鷹は、あっさりとイサトの腕を離した。

「イサト、あなたが通ってきた道を教えてください。」

「俺が通ってきた道って…。ええ〜っ、お貴族様のあんたに通れるのかよっ。」

「成せばなりますっ。」


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