「花梨!!」
いつも聞いていたような、心が温かくなるような・・そんな声が聞こえた。
が・・・。
次の瞬間には何もわからなくなった。
何かにぶつかり、そのまま地面の上をグルグルと転がる。
あちこちにぶつかっている感触が伝わってくるが、それに伴うはずの痛みがほとんど感じられない。
まるで、エアークッションにでも包まれているようだ。
(あたたかい・・・。)
なんだか、とても懐かしいような感じがした。
でもそれはたぶん、一瞬のことだったのだろう。
ガツンという音とともに、身体の回転が止まった。
ふわっと金木犀の香りが漂ってきた。
「・・・・?」
花梨がゆっくりと目を開けようとした時------。
「っ・・・!」
思いがけず、すぐ近くで声が聞こえた。
慌てて身を起こす。
赤い着物が目に入った。
そして、傷だらけの顔、その額を伝う赤いもの。
「か、勝真さん!?」
一体、何がどうなったのか。
花梨の下に勝真が横たわっている。
花梨は慌てて飛び退いた。
「勝真さん・・・! なんで・・・?」
だが勝真は、堅く目を閉じたまま何も応えない。
その時になって初めて花梨は、勝真の額を伝っているものが何か、気付いた。
「か、勝真さん、ち、血が・・・!!」
すぐ側に大ぶりな岩がひとつ、転がっていた。たぶん、これにぶつかって止まったのだろう。
花梨は慌てて懐からハンカチを取り出すと、額の傷口に押し当てた。
「花梨!! 大丈夫か!?」
「花梨さん、無事ですか!?」
その時になって、ようやくイサトと彰紋が駆け寄ってきた。
「か、勝真!?」
「どうしてここに・・・!?」
だが、花梨の横に勝真の姿をみつけ、二人は呆気にとられて立ち止まった。
「イ、イサトくん・・・! か、勝真さんが・・・ち・・血!!」
花梨が泣きそうな顔で振り返った。
イサトは、ハッと我に返り、彼女に注意を戻す。ざっと見たところ、花梨に大きな怪我はないようだ。
とりあえずホッと息をつくと、イサトは勝真の横にひざをついた。
「落ち着け、花梨。このくらいの出血、たいしたことねえよ。」
「で、でも、気を失って・・・!」
イサトはそれには答えず、おもむろに勝真に顔を近づけると大声を出した。
「おい、勝真! 起きろ!!」
「イ、イサト、そんな乱暴な・・・。」
彰紋がオロオロとしている。
だが勝真は、少し顔をしかめた後、ゆっくりと片目を開いた。
「イサト・・うるさい・・・。」
「勝真さん!! よ、かった・・・。」
花梨はヘナヘナと力が抜けるのを感じた。
「よかったも何も、最初から意識なんて飛んじゃいねえんだよ。全く大げさなヤツだぜ。」
イサトは腕を組み、そっぽを向いて、言い放った。
「たく、心配させやがって・・・。」
横を向いたまま、ぼそりとつぶやく。
「素直じゃありませんね。」
その様子を見ていた彰紋が、クスリと微笑んだ。
「そこの岩にぶつかった衝撃が大きくて・・・、しばらく口がきけなかっただけだ・・・。」
勝真は、ふうと息をつくと、また目を閉じた。
そのまま、額に置かれた花梨の手にそっと触れる。
「あったかいな・・・。」
「えっ・・・?」
そんなはずは・・・。
今の騒ぎで、緊張して血の気の引いた指先は、凍えるほど冷たい。だが、彼の手もまた似たようなものだ。
花梨は慌てて、勝真の頬に触れた。自分の手に負けず劣らず冷たい。
「勝真さん!? しっかりして! イサトくん、勝真さんの体温が・・・!」
イサトが驚いて、勝真に触れた。
「そんなはずは・・・。あの程度の出血で・・・!?」
「騒ぐなよ、傷に響く・・・。」
勝真がだるそうに目を開けた。
「ふて寝してやろうと思ったら、本当に熟睡しちまって、身体が冷えただけだ・・・。」
三人で顔を見合わせる。
「ふて寝・・・??」
「ああ、こっちの話・・・。花梨、無事か・・・?」
勝真は、改めて花梨を見た。
顔面蒼白で、今にも泣き出しそうな顔をしているが、めだって大きな怪我はしていないようだ。
「よかった・・・。」
勝真は、心底ホッとした。
半分以上イサトが原因とはいえ、花梨を投げ飛ばしたのは自分の馬だ。
少し離れたところで寝ていたので、気付くのが遅れた。
間抜けなことに自分のくしゃみで目が覚めたのだが、
そのうち、馬をおいた辺りから三人の騒いでいる声が聞こえ、慌てて戻ったものの・・・。
彼らを見つけると同時に目に飛び込んできたのは、宙に投げ出された花梨だった。
その後のことは、よく覚えていない。
気がつくと、花梨の蒼白な顔が目の前にあった。
「悪かったな、怖い思いをさせて・・・。」
そう言うと、勝真はゆっくりと身を起こした。
「な! なんでおまえが謝ってんだよ!! 悪いのは俺なのに・・・!」
勝真の言葉を聞いたイサトが気色ばんだ。
「イサト、大声出すな・・・。」
勝真が顔をしかめる。
「っ・・・!」
「勝真さん、大丈夫!?」
花梨が急いでその背を支えた。
「イサト・・・。」
ふいに彰紋がイサトをひっぱった。そのまま、二人からどんどん離れる。
「ちょっ・・、おい彰紋! 何すんだ!!」
「いいから! 僕らはこのまま帰りましょう。」
「な! おまえ、どういう・・・!」
ぺた。
どういうつもりだ、と大声で言いかけた口を、彰紋の手がふさいだ。
「そっとしておいてあげましょう。僕らの出る幕ではありませんよ。」
モガモガと抵抗するイサトを無視して、彰紋はにっこり笑いながら言った。
「は、離せ!」
やっとの思いで、彰紋の手を払いのけたイサトは、肩で大きく息をした。
華奢なくせに、意外と力が強い。
「お、まえ・・・! ふさぐなら口だけにしとけよ、い、息できねえじゃんか・・・!」
「ああ、すみません。」
彰紋は大して悪びれもせず、相変わらず、にこにこと微笑んでいる。
「・・・も、もしかして?」
ワザとか? 今までいじめられた恨み、はらそうってんじゃ・・・。
イサトは、前かがみになって息を整えながら、彰紋を見上げた。
「何か?」
「い、いや、なんでもねえ。」
どうせ、「そうです」なんて言うわけがない。
それより今は・・・。
「俺たちの出る幕じゃねえって、どういう意味だよ!?」
少なくとも、怪我をした勝真を放って帰るわけにはいかない。
「・・・勝真殿、本当なら岩にぶつかる前に、身体の回転を止められたはずです。」
彰紋は、イサトの問いには答えず、視線をはずし少し遠くを見つめながら言った。
「はあ?」
話が見えない。
だが、彰紋はおかまいなしに続けた。
「でも、そうしなかった。いえ、出来なかったんですよ。」
「なんでだよ。」
彰紋に主導権を握られるのは癪だが、仕方がない。
ここはおとなしく、彼の話を聞くことにする。
「止めようとするなら、花梨さんを抱いている手を、どちらか一方は離さねばならないでしょうからね。」
「あ・・・。」
言われてみれば、その通りだ。
緩やかとはいえ、傾斜の付いた斜面だったため、かなりの反動がついていたはず。
片腕だけでは、たぶん守りきれない。
下手をすれば、自分の身体は止められても、花梨だけ腕をすり抜けてしまったかもしれない。
そうなれば彼女は、かすり傷程度では済まなかっただろう。
「けど・・・。」
自分が勝真の立場だったとして、同じことが出来ただろうか。
イサトは考え込んだ。
「たぶん勝真殿は、無意識のうちにそうしていたのだと思いますよ。」
彰紋も先程より、声のトーンが落ちている。きっとイサトと同じことを考えているのだろう。
「かなわねえな・・・。」
「ええ・・・。」
傾き始めた夕日の中を、並んで歩く。
しばらくして、彰紋がぽつりと言った。
「僕、あんなに取り乱した花梨さんを見たのも、初めてでした。」
勝真の出現に同じように驚いていても、彰紋のほうがイサトよりは冷静に見ていたのだろう。
「怨霊との戦いで仲間が傷ついても、いつもの花梨さんなら、もっと気丈に対応してくれますよ。」
「・・・そういや、そうだな。今日だって、回復札の何枚かは持ってたはずだし・・・、あ!!」
そこまで言って、イサトは立ち止まった。
「馬鹿だな、あいつら! 教えてやらなきゃ!」
急いで今来た道を戻ろうと、きびすを返す。
が・・・。
「イサト。」
彰紋に腕をつかまれ、あやうくこけそうになった。
「て、てめ! 一度ならず、二度までも・・・!!」
ぺた。
「はい。今度は口だけにしておきますね。」
腕と口を押さえて、イサトの動きを封じた彰紋は、にっこり笑って言った。
「言ったでしょう? 僕達の出る幕じゃないって。」
イサトがモガモガと抵抗している。
「いいじゃないですか。僕の天女をかっさらっていくんですから、少しくらい痛い思いをしてもらっても。」
「・・・・・。」
イサトがピタッと動きを止めた。
目を丸くして、唖然とした表情でこちらを見ている。
「行きましょうか。」
もう走って行くつもりもなさそうなので、彰紋は手を離した。
彰紋が歩き出すと、少し遅れて、あきらめたようにイサトもついて来た。
「俺、誤解してたかもしんねえ・・・。おまえの性格・・・。」
伊達に東宮はやっていない。
彰紋、あなどりがたし・・・。
南の札が手に入って、万々歳なはずなのに、なぜか敗北感だけが残ったイサトであった。
☆
「大丈夫ですか、起き上がって・・・」
「ああ・・・。」
勝真の背を支えたまま、花梨が顔を覗き込んだ。
相変わらず、強張った表情をしている。
「ずいぶん、怖い思いをさせちまったようだな・・・。あいつは、普段は気の優しいやつなんだが。」
勝真は、少し離れたところにいる馬を見ながら言った。
手綱が解けたままだが、そこにおとなしく立っている。
花梨もつられてそちらを見たが、すぐに俯いて、首を振った。
「違います、怖い思いなんて・・・。そうじゃなくて・・・。」
言いかけて、言葉が続かなくなった。
「そうじゃなくて・・・。」
不可抗力とはいえ、馬を走り出させたのは自分。
そのせいで落馬したのだから自業自得なのに、結果的に花梨の代わりに怪我を負ったのは、
勝真だった。
のどの奥が熱くなる。
自分で自分の身を守れなかった悔しさ、情けなさ。
勝真に対する申し訳なさ、そして・・・。
「花梨、どうした?」
勝真の心配気な声が聞こえた。
自分を思いやってくれる、とてもあたたかな響き。
花梨の中で、何かが弾けた。
次第に大きな波となって、こみあげてくる。
「大丈夫か、・・・え?」
「勝真・・さん、ごめん・・なさ・・・」
花梨の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
『紅葉狩り』の中で、「守ってみせる」と言い切った勝真さん。
では、守っていただきましょう!と思ったらこんなんなってしまいました(笑)
さて、 乳兄弟と同じくらい書いてみたかったのが、ある程度仲良くなった後の朱雀組の絡み。
なんのかんの言っても、彰紋くんは東宮という地位にいるのだから
ある程度のしたたかさはあるんじゃないかと・・・。(笑)
勝真×花梨といいながら、
そんなこんなで寄り道が多くてすみません(^^;