金木犀




捨ててしまおうかと思った。

今、勝真の手の中にあるもの。
それは、蒸栗色の紙に書かれた文と、金木犀の小枝。


毎日のように届いていた、淡い水色系の紙ではなかったとき、本能的に受け取りを拒否をしたのだが
それが花梨からの文だったので、理性で押さえつけて開いた。

だが、こういう時は本能の方が正しいものだ。
案の定、今日は一緒に出かけられないという内容の文だった。

別にこれが初めてというわけではない。
花梨が文をくれるようになってからも、何度かこういうことはあった。

ただ、その時の文はいつも、勝真好みの浅葱色の紙にしたためられており
竜胆の花を添えてすっきりとまとめてあった。

それだけで、自分に気を遣ってくれているのだと思えて、心穏やかでいることができたのだ。



だが、今日のこれは--------。



「こんな紙や花、いつ手に入れたんだよ。」

少なくとも、自分が一緒のときには覚えがない。

「ちぇっ。」

丸めてしまおうかと思ったが、花梨が慣れない筆を使って一生懸命書いたらしい筆跡を見て、寸でのところで思いとどまった。

もう一度、読み返す。
今日は、南の札を探しにいくと書いてある。


「イサトと彰紋か・・・。」


手の早そうな翡翠が一緒でないだけ、まだマシというものか。

勝真は、文と花を届いた時の状態に整え直し、懐に押し込むと、厩にいた手近な馬に飛び乗った。

「今日は遠乗り・・・もとい、見回りにでも行くか。」














「なあなあ、花梨。 最近も勝真の馬に乗っけてもらってんのか?」

目的地へ行く道すがら、イサトが話し掛けてきた。

「え! なに、いきなり・・・」

ぼんやりと勝真のことを考えていた花梨は、心の中を見透かされたような気がして、ドキリとした。

だがイサトは、そんな花梨の様子にはまるで気付かずに続けた。

「俺、あいつの走り方があんなに無茶苦茶だなんて、今まで知らなかったぜ。 おまえ、よくあんなの乗ってたなあ・・・?」

珍しく、しみじみとした調子で言う。

「情けない話だけど、俺、腰抜かしかけたぜ・・・。
そしたら、あいつ何勘違いしたのか、変なこと言い出すし・・・。そうだよ、わけわかんないこと言い出しやがって! 
あー、話してたら、だんだん腹たってきた! もう絶対、あいつの馬になんか乗ってやるもんか!!」

何事か思い出したらしく、今度は妙に興奮している。


すると後ろから、くすくすと笑い声が聞こえてきた。

「イサト、よほどひどい目に遭ったとみえますね。」

少し遅れて付いてきていた彰紋が、上品な微笑みを湛えながらこちらを見ている。

「笑い事じゃないぞ!? なんならおまえも一回乗ってみろよ。そんな悠長なこと言ってられねえから!」

イサトは口を尖らせながら、彰紋を睨んだ。


「あ、すみません・・・。」

彰紋は、イサトの剣幕に一瞬ひるんだが、すぐに気を取り直すと花梨に向き直って言った。

「でも、イサトがそこまで言うなんて、花梨さん、よく今まで無事でしたね。」

「え、ええ・・・。」

何と返事をしようかと迷っていると、イサトが横から口を挟んだ。

「そうなんだよなー! ま、あいつも一応、八葉だからな。八葉自ら神子を傷つけてちゃ、シャレになんないぜ。」

「そ、そうですね・・・。」

なんと言って良いか分からず、ひきつり笑いの彰紋。

いくら乳兄弟といえど、すごい言われ方である。これでは、勝真が気の毒だ。
花梨は慌てて口を挟んだ。

「あ、でも今は全然大丈夫だから! だって、今は・・・。」

相変わらず荒っぽいところも多いが、以前と比べると、ずいぶん気を遣ってくれているのが分かる。
馬に乗せてもらうときだって、今は、彼の前でその胸に包まれて・・・。

そこまで考えて、花梨は、顔にボン!と血が上るのを感じた。

これはまずい・・・。
二人に変に思われてしまう。

そう思って咄嗟にうつむいたが、二人の意識は花梨に向けられていたので、どだい隠すのは無理である。

「花梨さん? なんだかお顔の色が・・・。どうかなさいましたか?」

彰紋が心配そうに覗き込んだ。

「ほんとだ、すごく赤いぞ!? 大丈夫か、熱でもあるんじゃねえか?」

イサトはそう言うと、おもむろに花梨の頬に左手をあてた。
ちょっとびっくりしたが、ひんやりとして気持ちがいい。

「う、ううん、大丈夫。いっしょうけんめい歩いたから、ちょっと火照っちゃっただけ。」

花梨は照れ笑いをしながら、ごまかした。

「そっか? どれ・・・。」

イサトは、花梨の頬に手を当てたまま、もう一方の手で額に触れた。

「ああ、そうだな。熱はねえみたいだ。でも、調子が悪くなったらすぐ言えよ?」

少し心配そうな表情を残しながら、イサトは両手を離した。

「うん、ありがと。つめたくて気持ちよかったよ。」

実際、火照った頬もだいぶ落ち着いている。

「はあ?・・・俺の手は氷嚢かよ?」

イサトは呆れ顔で言ったが、花梨の笑顔を見て、ようやく安心したように笑みを見せた。







その時、少しはなれた茂みが、にわかにガサガサと鳴った。


イサトと彰紋が、咄嗟に身構える。

「怨霊か!?」

「花梨さん!」

二人が花梨をかばうように、その前に立つ。

だが----------。

しばらくたっても、予期したようなものは何も出てこない。

「・・・・?」

「なんだったんだ?」

二人は拍子抜けしながら、身構えた体勢を元に戻した。


「キツネか何かだったのかもしれませんね。悪しき気配も伝わってきませんし・・・。」

彰紋が表情を和ませて、花梨を振り返った。

しかしイサトの方は、戦闘態勢はとっていないものの、じっと茂みの方を見つめたままだ。


「・・・・・・・。」


「イサト? どうしました?」

「イサトくん、私も怨霊の類じゃないと思うけど・・・?」

彰紋と花梨が不信そうに声をかけたが、イサトはそのまま動かない。

だが、やはり茂みの方向からは、何の気配も伝わってこなかった。



しばらくたって、ようやく振り返ったイサトは、ため息をつきながら言った。

「いや、なんつーか・・・。なんかこう、引っかかるような気がするんだけどよ・・・・。
まあ、いいか。おまえらの言う通り、変なもんじゃなさそうだしな。」


イサトは、まだ何か腑に落ちない、という顔をしていたが、「行こうぜ」と言って歩き始めた。
花梨と彰紋が慌ててついて行く。















「あっぶっねえ〜〜〜〜〜//// 」

イサトが何のためらいもなく、花梨の頬にふれているのを見て、気が動転してしまい、
近くの木の枝につかまろうと手を伸ばしたものの・・・。

つかみ損ねてバランスを崩し、思いがけず大きな物音をたててしまった。

すぐに我に返って身を隠したので、なんとか見つからずに済んだが・・・。
もう少しで、イサトに感づかれるところだった。

頭から突っ込んだので、顔のあちこちに擦り傷が出来ている。

「いててて・・・////」


それにしても------------。



「なんで、あんなに簡単に・・・。」



茂みの中に身を隠したまま、勝真は、自分の手のひらを見つめた。

俺は、あいつを馬に乗せたとき、必要に迫られて、
いや、必要に迫られたフリをして、触れることしかできないのに・・・。

「あーあ、情けねえ・・・。」

そうつぶやくと、勝真はその場にごろんと仰向けになった。

だいたい自分は、こんなところで何をしているのだろう。

遠方へ出るつもりだったのだが、南の札と聞いておおよその場所の見当がついていたせいか、
無意識のうちにこの場所へ来ていた。


後をつけるつもりなど毛頭なかった。

本当は、三人を見つけたとき、「奇遇だな。」とさりげなく声をかけ、
「がんばれよ。」と一言激励の言葉を残して去る・・・つもりだったのだ。


だが、何やら、自分のことが話題にのぼっているようだったので、なんとなく声をかけそびれてしまった。

そうこうするうちに、イサトの突然の行動に心乱され、いたずらをした子供のように、こんなところに身をひそめている。


「無茶苦茶な走りで、悪かったな。」

今は改心してんだよ。一応、八葉だからな。
にしても、好き勝手言いやがって・・・。イサトのヤツ、今度会ったらタダじゃおかない。


雲がゆっくりと流れていくのがわかった。


「なにやってんだろうな、俺・・・。」


花梨にそっとふれていたイサト。
イサトににっこりと笑いかけていた花梨。

さっきから、その光景が目に焼きついて離れない。
その場に彰紋もいて、一緒に微笑んでいたのがせめてもの救いか。

今日は、もうこのまま休みだ。
いや、元々仕事などあってないようなものだが。


「ふて寝してやる。」


勝真はそのまま、瞼を閉じた。

ふわっと、金木犀の香りが漂ってきた。
懐に入れた、例の小枝のせいだろう。

「いい香りだな、ちくしょう・・・。」



木々の梢の向こうで、とんびがゆったりと円を描いて飛んでいた。












「でさ、さっきの話の続きなんだけどよ。」

南の札も無事に手に入れて帰る道すがら、イサトが思い出したように言った。
そろそろ夕暮れ時だ。

「さっきの話って?」

「だから、勝真の馬に乗ってんのか、ってやつ。」

「あ・・・。」

できれば、避けたい話題だ。

彼のことが話題に上るのは嫌ではない。
むしろ嬉しいかもしれない。

でも、馬に乗せてもらっている時のこと、となると話は別だ。

知らず知らずのうちに、勝真がいつもまとっている梅花の香りが漂ってくるような錯覚さえ覚える。

「乗せてもらってるけど、今はとっても親切だから大丈夫!! 以上、終わり!」

花梨は、強引に話を終わらせると、そのまま脇目もふらず、スタスタ歩いた。

「以上、終わりってなあ、おまえ・・・」

イサトが呆れ顔で見ているが、花梨は、これ以上その話題には触れたくありません、という顔で歩いて行く。

「花梨さん? 何か僕達に話したくないことでもあるんですか?」

彰紋が少し心配そうに尋ねた。

「あ! まさかおまえ、あいつにいじめられてるんじゃ・・・!」

「う、ううん、そんなことないよ!」

話が飛躍しすぎだ。
花梨は慌ててイサトの言葉を否定した。

むしろ、全く逆である。

「イサト・・・、仮にも八葉なのですから、神子をいじめるなんてそんなわけ・・・」

彰紋が半ば呆れながら、イサトを諌めているが。

「いや、あいつ、乗馬も荒っぽいけど、口も負けないくらい荒っぽいからな。
本人には、いじめてるつもりはなくても、花梨はつらい思いしてるかもしれねえじゃんか。」

乳兄弟の気安さからか、イサトは言いたい放題である。

「は、ははは・・・。」

勝真が聞いていたら、間違いなく『おまえには言われたくない!』と反論するところだろう。
彰紋からみれば、勝真もイサトも似たり寄ったりだ。

だが。 いや、だからこそ。

「そうですね、ないとは言い切れませんね・・・。」

イサトの言葉に少なからず傷つけられた経験のある彰紋は、少し考え込んだ。

「ちょっと待ってよ、二人とも! そんなことないっていってるでしょう!?」

二人で勝手に想像を膨らませないで欲しい。

花梨は、必死に否定しようとしたが、どういうわけか、暖簾に腕押し状態である。


「花梨、無理しなくったっていいんだぜ。」

イサトはくるりと花梨に向き直ると、妙に優しい目をして言った。

「実は以前から、そんなことじゃないかと思ってたんだ。」

そんなことって、どんなことだ!
イサトが、何かとんでもないことを言い出しそうな気がして、花梨は後ずさりした。

「俺さ、ここんとこ、寺の用事とか言って休みがちだっただろ。」

「そ、そういえば、そうだったかな・・・。」

イサトには申し訳ないが、あまり意識していなかったので、記憶が曖昧だ。
内心焦ったが、イサトは意に介さず、花梨が下がった分だけ進み出てきた。

「実は俺、馬に乗る練習してたんだ。」

「へ、へえー・・・。」

もう一歩下がる花梨。

「ほんと言うと、俺みたいなのが馬に乗るなんて出来ないんだけどさ。
八葉ってことで、内々に許可貰ったんだ。」

イサトは喜々としながら、また間合いを詰めてくる。

「特訓したんだぞー! おかげで、こんな短期間でモノにできるなんて大したもんだって、ほめられちまったぜ!」

きっと、生来の負けん気の強さと、根性でがんばったのだろう。
イサトは、胸を張って鼻高々である。

それにしても、なぜ急にそんなことを始めたのだろうか。
感心するより先に、素朴な疑問が口をついた。

「なんでって、そりゃあ、おまえを乗っけてやるために決まってんじゃんか。」

イサトは、そんなこともわからないのかよ?という表情をした。

「え、だってそれは勝真さんが・・・。」

「だから! その勝真に任せておけないからだろ!」

イサトが口を尖らせながら、迫って来る。

その時--------。




ヘックシッ!!




近くの茂みから、妙な物音が聞こえた。

「?・・・なんだ、今の・・・?」

皆で顔を見合わせる。


「イサト、ここは昼間、怨霊ではないかと警戒した場所ではないですか!?」

彰紋がハッと気付いて言った。

「あ・・・! そうか、やっぱり何かあると思ったんだ!」

言うなりイサトは、茂みの中に飛び込んで行った。

「イサトくん、待って・・・!」

「イサト、一人で動いては危険ですよ!」

慌てて二人が追いかける。

だが、イサトが飛び込んだ茂みに入ったところで、いきなり現れた物体にぶつかり、
花梨と彰紋は、ドミノ倒しのように順に尻もちをついた。


「いった〜い・・・」

「いてて・・・。あ、か、花梨さん、大丈夫ですか!?」

彰紋が、慌てて花梨を助け起こす。


一体何にぶつかったのだろうかと、二人が改めて前を見てみると、そこには茶色い毛色をした精悍な馬が一頭立っていた。

いきなり現れた人間に驚き、体当たりまでされて、興奮しているらしい。
前足をカツカツと鳴らしながら、ブルルッといなないている。

「どうどう・・・落ち着け・・・。悪かったな、驚かせて。」

イサトが慣れた手つきで、なだめていた。

「馬・・・? なんでこんなところに・・・。」

「さあな・・・。おい、おまえ、ご主人様はどうしたんだ? 近くにいないのか? 
ずいぶん前からこうしてる感じだな。・・・あ、そうだ!」

イサトは馬に向かって話し掛けていたが、何を思ったか、いきなり手綱を解きはじめた。

「イサトくん・・?」

「イサト、何をするつもりですか?」

不信に思った二人が問い掛けるが、イサトはそれには答えず、
手綱を解き終わると、花梨を振り返って嬉しそうに笑った。

「ちょうどいいや、花梨、俺の特訓の成果を見せてやるよ。」

「ええ!? そんな、人の馬に勝手に・・・。」

「そうですよ、イサト! すぐに飼い主が戻ってくるかもしれませんよ?」

花梨と彰紋が驚いて止めようとしたが、
イサトは聞く耳持たずで、さっさと馬の背に収まってしまった。

「ちょっとだけだから大丈夫だって! ほら花梨、来いよ。
次の遠方行きは、俺が連れてってやるから! 予行演習だ!」

そう言うと、イサトは強引に花梨を引っ張り上げた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

乗るつもりなど毛頭なかったので、思わず抵抗してしまう。
そのせいで、花梨の身体は、上半身でぶら下がった中途半端な状態になってしまった。

「なんだよ、ちゃんと乗れよ。」

そのまま飛び降りることも出来たが、イサトが腕をつかんだままなので、
仕方なく乗ることにする。

「もー! イサトくんったら、知らないよ!?」

「ちょっとだけだって、言ってんだろ? ほら、早く乗れって。」

「わかってるから、ちょっと待って・・・。よいしょっと・・・。」

花梨がイサトの後ろにまたがろうとしたその時。
不安定な体勢から乗ろうとしたせいか、思いがけず、片足が馬の腹を蹴ってしまった。

カツンッ。

それを合図に、不意に馬が走り出した。

「こ、こら、ちょっと待て・・・!!」

イサトが慌てて手綱を強く引く。

だが、勢いがつき始めたところで急な制動をかけられた馬は、
前足を高く上げ、大きくのけぞった。

「うわっ!?」

「きゃー!!」

体勢が整っておらず、イサトに掴まりきれていなかった花梨は、ものの見事に宙に投げ飛ばされた。

「花梨!?」

「花梨さん!!」

彰紋が駆け出すのが見えたが、遠すぎる。とても間に合いそうにない。

叩きつけられる・・・! 

そう思った瞬間、茂みの中から何者かが飛び出してきた。


「花梨!!」






よく考えてみたら、金木犀の方が紅葉より季節が先ですね・・
すみません、この世界では季節が止まってるってことで
大目に見てください(^^;

それから、「イサトくんと馬」については勝手な設定ですのでご愛嬌〜vv