風光る野に出でて 1
「魂を砕き…。」 忍人が術を放つための詠唱を始める。 「えっ。」 その声に千尋は慌てて彼の方へと振り返った。 「待ってっっ。」 彼を制止しようと手を伸ばしたが、忍人の剣はすでに妖しい輝きに包まれ、千尋が近づくのを拒んだ。 「…破魂刀!」 忍人の剣が一気に振り下ろされ、すさまじい力が放たれた。 「……っ。」 刀が放った力と光が収まると、そこいたはずの荒魂の姿は消え去っていた。 「さすがだなぁ、将軍様。一撃で一掃かぁ。」 ヒューッと口笛を吹きながら、サザキが体勢を立て直す。 「僕らの出番なかったじゃん。次から見学してていい?」 その傍らで那岐が面倒くさそうに頭の後ろで腕を組んだ。 「本当に大したものです。また腕を上げたようですね、忍人。守りたいものが出来ると更に強くなれる、ということですか。」 「守りたいものねぇ。柊もたまにはいいこと言うじゃねぇか。」 サザキがカラカラと豪快に笑う。 そんな彼らにフッと笑みを浮かべた忍人は、シャランと音をさせて剣を収めた。 「戦闘が長引くのは得策ではない。一気に片付くならそれに越したことはないだろう。行くぞ。」 先に立って歩き始める忍人に、皆は小さく笑み交わして、彼に続いた。 「なんというか、以前に比べると丸くなられたようですね、葛城将軍は。」 布都彦が誰にともなく、そう呟く。相変わらず口数は少なく突き放したような話し方をするが、以前ほどの近寄りがたさはなくなったように思える。 「いわゆる恋の力ってやつじゃないの?」 「恋の力…?」 何気なく答えた那岐に、布都彦がその意味を求めて彼を覗き込む。 「それはどういう…。」 「あ〜、ストップ! おまえは放っとくと、話がどんどん変な方向へ行くからな。それ以上は何も聞かずに黙ってなよ。」 余計なことを言ったと、那岐が慌てて布都彦を遮った。それを見たサザキたちが苦笑を浮かべる。 春が近いのだろう、辺りは穏やかな陽気と和やかさに包まれていた。 だが。 「ちょーーっと待って!」 ずっと蚊帳の外に置かれていた千尋が、歩き始めた皆の背後から声を張り上げた。 「良くないっ、ぜんっぜん良くないから!!」 「どうした、姫さん。」 「…?」 その声に皆が何事かと振り向く。そんな彼らを無視して、千尋は先頭に立っていた忍人のもとへ、ズンズンと歩み寄った。 「姫…?」 「破魂刀は使わないでって言ったじゃないですか、忍人さん!」 忍人を真剣な目で睨みつける。 「それは…。時と場合による。こちらに被害が出てからでは遅いだろう。」 対して、そういえばそんなことを言っていたな…と思い至った忍人は、視線をそらせながら答えた。 「だからって、どうして忍人さんがあの術を使う必要があるんですか。那岐だって布都彦だっているじゃないっ。私だって。」 そんな彼に千尋は容赦なく迫る。 「ちょっと千尋、なにをそんなに怒ってるのさ。障害はさっさと取り除くに越したこと…。」 「那岐。君はなにを人任せにしてサボってたのかなぁ。」 口を挟みかけた那岐に、千尋が冷たい視線を投げかける。 「うっ…。」 「…葛城将軍とは対照的に、姫はたくましくなられたな…。」 彼女に言葉を封じられて引きつる那岐に、布都彦がボソッと耳打ちした。 『神子、忍人はおまえを守りたいだけ。早く戦闘から解放したいだけ。なぜ怒る。なぜ分からない?』 少しはなれたところで見ていた遠夜が千尋に近づいて話しかけた。 「遠夜。わからないわけじゃないの。でも、あんな守られ方はしたくないの。」 『なぜ…?』 「なぜって言われても…。」 千尋の直感がそう告げている、としか言いようがない。 直接心に聞こえてくる遠夜の穏やかな言葉に、千尋は昂ぶっていた気持ちがヒートダウンするのを感じながら、視線を落とした。 『神子、大丈夫?』 しゅんと下を向いてしまった千尋に、遠夜が心配そうに手を伸ばす。 「なぁ、遠夜はなんて言ってんだ? 姫さん、急におとなしくなったぜ?」 遠巻きにしていたサザキが、同じように数歩離れて成り行きを見守っていた柊に話しかけた。 「さぁ、それは我々にはわかりませんが。彼が我が君をなだめることに成功したのは確かなようですね。しかしながら、今度はもう一方が収まらなくなってきたようですよ。」 「ん?」 「遠夜、君がなにを言っているのか知らないが、余計な口を挟まないで貰おうか。」 遠夜の伸ばした手が千尋の頬に触れる寸前のところで、忍人がその手を掴んだ。 『忍人…?』 「これは、俺と姫との問題だ。」 手首を掴まれた遠夜は、首をかしげて忍人を見ていたが、やがて小さく頷いて一歩退いた。 「忍人さん、そんな乱暴に掴まなくても…。遠夜、大丈夫?」 「心外だな。仲間を傷つけるほど加減知らずではない。」 遠夜に向き直る千尋に、忍人はムッとして彼女を見た。 「おいおい、なんだか雲行きが怪しくなってきたぜ?」 「あれ、嫉妬だよね。」 先ほど千尋に睨みつけられて撤退してきた那岐が、サザキの横に立った。 「嫉妬ですね。」 その隣で柊が面白そうに頷く。 「遠夜も天然っつーか…。命知らずだよなぁ。」 傍観を決め込んだらしい二人の間で、サザキは苦笑いを浮かべた。 「こういう展開になったときは触らぬ神に祟りなし、だからな。…あとは。」 サザキはそう言うと、千尋たちの近くでオロオロしている布都彦の首根っこを引っ張った。 「うぐ…っ。 サ、サザキ殿?なにを…っ。」 「おまえさんも余計な口を出すなよ? 話がややこしくなるだけだからな。」 「我が君が何を不快に感じておられるのかは、よく分かりませんが、我々が口を挟む問題でないことだけは確かですね。では、部外者は引き上げましょうか。」 柊が肩をすくめながら言った。 「えっ、お二人を置き去りにするのですか? そんな無責任な。それに任務が…。」 「おや、こんなもの、ただの偵察行動でしょう。大した任務ではありませんよ。あの二人にはここで痴話喧嘩でもなんでも勝手にしていて貰えばいい。」 真面目な反応を返してくる布都彦に、柊は再び肩をすくめた。 「つまり僕たちだけでやるってこと?」 人数が減ればその分仕事が増える。那岐が大仰にため息をついた。 そこへサザキも口を挟む。 「おいおい、勝手な行動なんかしたら、あの将軍様に後でなに言われるかわからないぜ?」 「言わせておけば良いのです。」 そう言うと柊は、遠夜に小さく合図を送った。それに気づいた彼が、「なに?」と首を傾げながらこちらに来る。 「あれ?遠夜が原因になってたのに、もう眼中にナシなわけ?」 那岐が呆れたように言いながら、戻ってきた遠夜を見た。 「そんなものですよ。さ、行きましょう。」 **** 「だから、もっとみんなの力を信じてって言ってるんですっ。」 「俺は全軍を預かる将軍だ。先頭に立って戦うべき立場の人間だ。」 「じゃあ、私は? それなら、わたしだって先頭に立つべきじゃないですかっ。」 「君は違う。君は旗頭だ、そもそもこんな偵察行動にも付いてくるべきでは…。」 「何が違うのか分かりませんっ。」 話が逸れそうになるところを、千尋が全力で遮る。 「姫…。」 プイッと横を向いてしまった千尋に、忍人は小さくため息をついた。 「破魂刀を使わないという約束を破ったのは悪かった。」 正確には、善処すると言っただけで使わないと約束した覚えはないのだが、ここでそれを蒸し返していては話が先へ進まないので、目を瞑ることにする。 「しかし先ほどはあれが最善策だった。冷静に考えれば分かるだろう。」 あの荒魂は、体勢を崩したサザキに狙いをつけていた。他の皆もそれに気づいて援護に回ろうとしていたが、彼の近くにいた忍人が一番適任だったのだ。 「……。」 それを聞いた千尋は、横を向いたまま視線を落とした。それは一緒に戦っていた千尋にもよく分かっていた。 「でも…あの術はダメなんです。忍人さんの体が…わたしは忍人さんが心配だから…っ。」 「君が何をそんなに恐れているのか、俺にはよく分からない。だが。」 忍人は、千尋の頬に手を伸ばした。 先ほど遠夜の手が触れようとした場所。そこへそっと触れる。 「俺は、君を全力で守りたい。俺だけが守ってやりたい。そう思っている。」 確かにあの場面で破魂刀を使う必要はなかったかもしれない。 サザキへの一撃を遮りさえすれば、あとは彼も体制を立て直しただろうし、他の者も援護に回れただろう。 だが、千尋が参加している戦闘を長引かせたくなかったのだ。 「忍人さん…。」 忍人を温かな手の温もりと心からの言葉に、千尋は喉の奥が熱くなるのを感じた。 「…っ…。」 同時に、堪えきれなくなった瞳から温かな雫が落ちて、忍人の手を伝った。 「千尋…?」 ほんの少し動揺を見せた忍人の手を、千尋は両手で包み込むように握った。 「不安なの、忍人さんがいなくなっちゃうんじゃないかって。ずっと傍にいて欲しいんです。もうどこにも行かないで欲しい…っ。」 『もう…。』彼女がそういう物言いをするのは何度目だろう。 『千尋は本能的に恐れているんだ。君が倒れることを。』 『それは魂の記憶。』 以前風早が呟くように言ったセリフがふと甦る。 「君は本当に見てきたのかもしれないな、そういう未来を。」 千尋の涙が、彼女と忍人の手の甲を濡らす。 「俺は、君を守るためなら自分を犠牲にすることも厭わない、ずっとそう考えてきた。だが…。」 大切なものを守るために命を落としたとしても、それは自己満足に過ぎないのかもしれない。 残された者に与える悲しみが、その魂を傷つけるほど大きなものだとしたら、それのなんと罪深いことか。 「参ったな…。」 その哀しみに思い至った忍人は、深く息をついた。 「わかった、千尋。今度こそ誓おう。もう破魂刀は使わないと。」 その言葉に千尋が濡れた瞳を上げる。 「あれを使うたびに、君にこんな風に泣かれてはたまらないからな。」 今ならまだ間に合う、千尋は以前そう言っていた。 彼女にとってもなんの根拠もない言葉だろう。だが、きっとそうなのだろうと思える。 「だから…泣くな。」 忍人は千尋の頬を包んだまま、もう一方の手で彼女の背を抱き寄せた。 「ただし…。」 千尋を抱きしめた忍人は、その耳元で囁くように言った。 「君の身に危険が差し迫ったときは、例外だ。君を失うより、その涙を見ている方が余程マシだからな。」 忍人の胸に顔を埋めていた千尋が、そっと顔を上げた。 「それからもうひとつ。俺自身が危ういときも同様だ。君を哀しませるわけにはいかないだろう?」 「忍人さ…。」 千尋が何か言いかけたが、忍人はスッと首を傾け、その唇を塞いだ。 「……っ……!?」 驚いた千尋は一瞬体を強張らせる。だが不意に与えられた甘く優しい感覚に、身をゆだねるように力を抜いた。 「…んっ…っ…。」 そんな彼女の反応とその唇の柔らかさ、そして微かに漏れ出る吐息に、忍人も誘い込まれるように酔いしれる。 「……っ……。」 だが次の瞬間、ハッと我に返った千尋が慌ててその胸を押し返した。 「お、忍人さんっ、みんながいるのに…っ。」 恥ずかしさからか、急速に彼女の顔が火照る。が、それを聞いた忍人は、温もりの離れた唇にいっきに現実へ引き戻されるのを感じながら、小さくため息をついた。 「誰もいないが?」 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |