風に抱かれて 5




「え…?」

意識にベールがかかり始める。

「なぁ…。ずっと、おってくれ…。」

同時に、心の奥にかけた鍵が開きかけている。

「うん、いるよ? 姫条くんを看病するために来たんだから。」

「そやのうて…。」

の腕へと手を伸ばし、無意識に引っ張ると、無防備だった彼女が胸元に倒れこんできた。
その背をそっと抱きしめる。

「き、姫条くん…っ?」

「なんで…そう呼ぶんや…。前は、まどか…って…。」

「それは、姫条くんが…っ。」

明らかに戸惑っているの声が、頬をくすぐった。
胸に広がる柔らかな香りに酔いしれるように、どんどん意識が霞んでいく。

「なん…で、あいつやねん…。」

「なに言って…。」

「俺の方がずっと…おまえのこと…。」

抱きしめた彼女の温もりの心地良さに浸りながら、まどかは意識を手放した。

「…好き…や…。」




   ☆




優しい心持ちに満たされた感覚の中、ふと気づくと見慣れた天井が目に入った。

(…ん…朝か…。)

窓から入ってくる薄明かりに、部屋の輪郭が浮かび上がっている。
だが朝日はまだ出ていないらしく、部屋の中はモノトーンに沈んでいる。

どうやら熱は下がったらしく、昨日に比べるとずいぶん気分がいい。
の看病のおかげだろう。

そういえば夕べは、彼女の好意に甘えて眠ってしまったらしく、満足に礼も言っていない。

(今度会ったら、ちゃんとお礼せなな。…あ、一応、鈴鹿にも…やな。)

そんなことを考え、苦笑いしながら起き上がる。
いや、起き上がろうとしたのだが。

掛布団の片端が、重石のようなもので押さえられていて動かない。

「…ん?」

何気なくそちらを見ると、腕の横あたりにこんもりとした陰が見えた。

(……?)

暗くてよくわからないので、恐る恐る手を伸ばすと、何か柔らかなものが触れた。
どこかで触れた覚えのある感覚だ。

「なんや、これ…。」

確かめるようにそっと手を動かしてみると、その動きに応えるように、その陰がゆっくりと動いた。

「……う…ん……。」

黒い塊と見えたものが、むくりと身を起こした。

「え…?」

「あ…寝ちゃったんだ…。あれ、もう朝…?」

「へ。」

身を起こしかけて止まったままのまどかの横で、黒い塊と思えたものはの姿になり、う〜んと伸びをした。

「あ、おはよ、姫条…まどか君。気分はどう?」

「なんでフルネームやねん…って、そやのうて! え…えぇぇ??」

「フルネームで呼んだんじゃないよ、まどか君って言い直しただけ。」

呆気に取られるまどかを受け流したは、まどかの額に張られていた冷却シートを剥がして、手を当てた。

「う〜ん、シート貼って冷やしてたから、よくわかんないなぁ。熱下がった?」

そう言いながら、今度はまどかの首筋に手を伸ばしてくる。

「い…!? な、なにすんねん…っ。」

「おでこより首の後ろの方が、熱があるかどうか、よくわかるんだよ。」

の柔らかな手が首筋を撫でるようにすべっていく。

「ちょーっ待てっ。こんな薄暗い部屋でそんなことされたら…って、ちゃうちゃう! 何言うてんねん、俺っ。」

「あ、熱下がったみたい。良かったね。」

「良かったね、ちゃうやろ? なんで、自分がここにおんねんっ。」

夜明け前の薄明かりの中、ベッドサイドにもたれかかってまどかを覗き込むように見ているのが
だと知り、まどかはパニクった。

「まどかくん、それ言うの、昨日からもう3回目だよ。なんで居たらダメなの。」

「なんで…って!」

2回目だか3回目だか知らないが、この状況で彼女を見て驚くなという方が難しい。

「もしかして、夕べここへ泊まった…とか言うんか!?」

「うん。」

は居ずまいを正して、こくんと頷いた。

「うん…って! おっまえ、なに考えてんねんっ…一人暮らしの男の家やで?」

何か間違いがあったらどうするつもりだ。
まどかは思わず頭を抱えた。

「まどかくん、お父さんみたいだね。」

「うるさいわっ。」

「私なら大丈夫だよ。今日は祝日だし。友達のところへ遊びに行くって言ってあるから。」

「そういう問題とちゃう!…って、ああ友達か。まぁ、そやろけど…。」

その言葉にちょっと拍子抜けする。
彼女にしてみれば、体調を崩して寝込んだまどかを放っておけなかっただけなのだろう。

「ほんとはね、帰るつもりだったの。」

身を起こしたは、乱れた髪を気にしてか、手で撫で始めた。

「だけど…えと…。まどか君が離してくれなくて…。」

だがそこで、それまで天然全開だった彼女が、急に照れくさそうに頬を染めて、うつむき加減になった。

「へ…?」

「それとね、まどか君が言ってくれたことが、すごく嬉しくて…。腕の中に包まれてたら、すごく幸せで…。」

目を閉じていていつの間にか、まどかと一緒に眠ってしまったらしい。

「嬉しくて幸せって…俺のトコにおることがか? ってか、腕の…中…?」

「そう。」

「俺、いったい何を…。」

冷や汗がドッと噴出すのを感じる。
熱に浮かされつつ、何かしゃべっていた記憶はあるのだが。

そういえば腕の中には、愛しい想いが残っている。

「知りたい?」

くすぐったそうに笑う彼女に、恐る恐る頷く。

「じゃ、耳かして。」

二人きりの部屋の中、内緒話をするのもおかしな感じだな、と思いながらまどかが耳を近づけたとき。
不意に頬に柔らかな感触が広がり、次の瞬間、の囁き声が聞こえた。

「わたしも…まどか君が大好き…。」

「……え……?」

思いがけない感覚と言葉に、思わずをみつめると、その視線を遮るように彼女はうつむいた。

「好きって言ってくれて…ありがとう。」

「そんなこと言うたんか…っ。」

呆気にとられて目を丸くするまどかの胸に、の頭がトンと当たる。
その背を戸惑いながら抱き寄せると、彼女は胸にそっと寄り添った。

この感覚は確かに覚えがある。
ずっとまどかを包んでくれていた温かさだ。

まだ夢を見ているのだろうか。
それとも、これは本物と信じてよいのだろうか。

「俺で…ええんか…?」

柔らかな髪に戸惑いながら、そっと問いかけると、が小さくささやいた。

「まどか君が…いいの。ずっと前から…。」

明けていく朝の光と音の中、小さな部屋の中で、そこだけ切り取られたように静かで穏やかな空間が広がっていた。







「もう、帰るんか?」

夜はすっかり明け、明るい日差しが差し込んでいる。
簡単な朝食を作ってくれたは、まどかを二人で朝食を終えて後片付けを済ませると、帰り支度を始めた。

「うん、一人暮らしの男の家やで、って怒られるからね。それに、もう病人じゃないし。」

手を動かしながら、彼女がくすくすっと笑った。

「昨日はずーっと、おったやないか。まだ朝やねんし、もうちょっとゆっくりしていっても…。」

「昨日までは、友達の家、だったからね。」

そこで手を止めたは、ふてくされているまどかをじっと見つめた。

「もう友達じゃない…んでしょ?」

「そう思って、ええんか?」

まどかが問い返すと、彼女はにっこりと頷いた。

「そやけど自分、鈴鹿のこと好きやったんちゃうんか。」

どうしても、そこのところが引っかかる。

「まどか君、どうしてそんな風に思ったの?」

「どうして…って。」

あまり思い出したくない光景だが、まどかは、あの日彼女の家の前で見た二人の姿を思い起こした。
あのとき、二人が共有していた空間にどうしても入ることの出来ない自分がいた。

だから、居たたまれなくなって逃げるようにその場を後にした。

「あの頃わたしは、まどか君に会えなくて、メールしても相手にしてもらえなくて、落ち込んでて。
鈴鹿くんは、まどか君が忙しいの知ってたから、大丈夫って励ましてくれてたの。
あの日は、気分転換にって買い物に付き合ってくれたんだけど、やっぱり気が晴れなくて。」

「そやったんか…。」

だからあのとき、神妙な空気が漂っていたのだろう。

一方まどかは、初めて見た二人のそんな雰囲気に驚いて、気が動転してしまった。
自分が原因なのに、二人の間に入り込めないと勝手に思い込んだ。

「きっと…傷つきたくなかったんやろな、俺。
おまえに振られるくらいなら、自分から身を引こうって、無意識に考えたんや。」

和馬が好きなら応援してやろう、そういう立場に身を置くことでせめて、
「頼りになる友達」という位置だけでも確保しておきたかった。

「まどか君、矛盾してるよね。」

それを聞いていたが、おかしそうにくすくす笑った。

「何がやねん。」

思わずムッとして問い返す。

「だって。『ほんまに好きなら真正面からぶつかって行け。』 って、アドバイスしたくせに。」

「……。あ。そのセリフ、俺かっ。」

夕べの彼女との会話を思い出す。
昨夜と違ってすっきりした頭でその言葉を反芻すると、その言葉を放った吊り橋での光景がありありと浮かんできた。

「ああ、そやったな…。そうか…。その…すまんかったな…。」

「え、どうして?」

思わず目を伏せたまどかに、彼女が驚いている。

「俺の空回りのせいで、辛い思いさせたんやろ…。」

あのときのの言葉がまどかを想ってのものならば、自分の受け答えは彼女にとって切ないものだったに違いない。

「ううん。まどか君、体調が悪いのに付き合ってくれてたじゃない。それだけで充分。」

は明るくそう言ったが、その分、申し訳なさがこみ上げた。

「ごめん…やで…。」

「まどか君ってば…。 あ、そうだ。まどか君に渡したいものがあったんだ!」

困ったようにまどかをみつめていた彼女が、ふと思いついたようにそう言った。

「渡したいもん?」

「うん。鈴鹿くんとショッピングに行ったときに買ったんだけど。」

ずっと渡しそびれてたの、と言いながら彼女はかばんの中から包みを取り出した。

「あ、目閉じてて。」

なんだろうと思いながら、言われたとおりに目を閉じると、不意に首筋が暖かな感触に覆われた。

「え? これ…。」

「マフラー。もう寒くなって来たし。まどか君、一人暮らしで大変そうだから。」

衣替えもろくすっぽ出来ていないのだろうと、心配してくれたらしい。

「そうか…。俺、ほんまにアホやな…。」

あのときからずっと、の中にはまどかへの想いが溢れていたのに、これっぽっちも感じることなく、勝手に誤解して遠ざけて。

まどかの首にマフラーを巻いてくれた彼女の手の柔らかさが愛しい。
今すぐに抱きしめたい衝動に駆られる。

「じゃ、わたしはこれで。」

「え。」

だが、手を伸ばしかけたまどかの想いを知ってか知らずか、はスッと立ち上がった。

「ちょ…っと待ってくれへん? そのぉ…今、いい雰囲気になりかけててんけど…。」

「そう?」

彼女がにっこりと笑う。

「あ…れ? もしかして、なんか怒…っとる?」

その笑顔の向こうに、なにか含みがあるような気がして、まどかは恐る恐る問いかけた。

「え〜。別に、私の話を何も聞かずに勝手に鈴鹿くんとくっつけようとしたことなんて、なーんとも思ってないよ?」

「お…怒っとるやないか…。」

まどかの頬に引きつり笑いが走る。

「そうかなぁ。でも、私のことだから、すぐ忘れるんじゃない?」

「すぐって…どんくらいでしょう…か。」

もう一晩寝たら忘れてくれるのだろうか、或いは数日か。

「さぁ〜。ひと月もかからないと思うけど。」

「うそぉっ。」

その言葉に目を丸くして止まってしまったまどかに、はにっこりと微笑んだ。
どう見ても営業スマイルだ。

「ちょー待って。この通りやさかい…っ。」

手を合わせて覗き込むように謝るまどかを、軽くスルーしながら彼女が玄関へ向かう。

「ゴメンやでって。な?」

「冗談よ…。まだ本調子じゃないんだから、今日は一人でゆっくり休んでて。」

慌てて追いかけてくるまどかをちらりと見たが、くすくすと笑う。

「ほんまに怒ってへんか?」

「大丈夫だから。わたしが居たら休めないから…ね?」

だが、そこで彼女は、開けかけていた玄関ドアを離した。

「まどかくん…。」

ドアがもう一度閉じて、二人だけの空間が戻る。


「風に抱かれて6」へ





やっと告白してくれました(笑)

まどかって根はかなり真面目だから、相手のために身を引くと決めたら
なかなか本心を明かさないだろうし、気持ちを偽って相手のために動こうとして
かなりしんどい思いをするタイプだと思います。


そのせいで体調を崩してしまったわけですが、それが彼女の母性本能をくすぐったのか、
主人公ちゃんが積極的な行動に出てくれたので助かりました(^^
*

でも、まどかが万全の状態だったらきっと、主導権は彼が握るんだろうなと思います。



( サイト掲載日 2010. 2. 24 )







































アクセスカウンター