風に抱かれて 6



「元気になって良かった…。もう風邪…引かないでね。」

囁くようにそう言うと、はすっと背伸びをして顔を近づけた。

「ああ…。」

相槌を打ちながら、彼女の行動にまどかがほんの少し首をかしげたとき、その口に彼女の柔らかな唇が触れた。

「…っ…?」

「じゃあ、また学校で…ねっ。」

そう言うとは、まどかが呆気に取られている間に、そそくさとドアの向こうへ消えた。

「え…あれ?…おいこら、ちょー待てっ。」

相当に間の抜けたタイミングで声をかけてみたが、当然もう応える者はいない。
急に静かになった家の中は、狭いのにガランとした広さを感じさせる。

「な、なんやねん、今のっ…。」

天然かと思いきや、意外と一筋縄ではいかないらしい。
そんな彼女に、もっと夢中にさせられそうな予感がする。

「今度うちに呼んだときは、おまえの思う通りには行かせへんからな。」

まどかは、首に巻かれたマフラーにそっと唇を寄せた。

「ありがとな…大好きや…。」



*  *  *



「ほら、あともうちょっとや、頑張り!」

「まどか君、元気だね…。」

落ち葉の重なり合った道で足元を気にしつつ、が息を切らせながらついてくる。

「そらそうや、今日はリベンジやからな。こんな山ひとつ、普段の俺ならどうってことないってとこ、見せたるんや!」

「誰に見せるの…。」

山道をどんどん登っていくまどかを、が呆れ半分に見ている。

あれからひと月余りが過ぎ、季節はあっという間に冬になった。
紅葉に彩られていた山も、今は多くの樹が葉を落とし、その枝の向こうには澄んだ冬空が広がっている。

やっと朝日が届き始めたのだろう、見上げると、天頂近くの空は急速に明るい青色を取り戻しつつあった。

「あ〜、ほら急がなっ。」

「もぅ、まどか君ったら…っ。」

朝早くから電話で誘い出した上に、動きやすい普段着でと注文をつけ、
待ち合わせた途端に行き先も目的も告げずにどんどん進んで来たまどかに、
ここへきてさすがに彼女がしびれを切らせ始めている。

「わたし、まだお雑煮も食べてないのに。」

「そんなん帰ってから俺が作ったるさかい。」

「まどか君、そんなのまで作れるの?でも…。…あっ。」

首をかしげて困り顔になりかけていたがそこで、目の前に急に開けた景色に目を見開いた。

「ここって…。」

「あんときのつり橋や。こっち側から登ったら近道やって発見したんや。ちょっときつかったやろうけど。」

驚いている彼女に、まどかはにっこりと笑いかけた。

「あ、うん…。なんとなくここへ来ようとしてるのかなとは思ってたけど…でも…。」

つり橋の架かる谷の向こうに、折り重なるように連なった山の向こうから、もうすぐ朝日が顔を出そうとしているのだろう。
朝焼けに彩られた薄紅色の空がどんどん明るさを取り戻し、山の稜線が白く光り始めている。

「なんとか間に合ったみたいやな。」

場所でも以前とは全く違う、幻想的ともいえる景色に、はすっかり目を奪われている。
そんな彼女に、まどかは満足気に微笑みながら手を差し出した。

「さぁ姫君、お手をどうぞ。」

「え…。あ、はい…えーとぉ…恐れ入ります…。」

だが、は急に神妙な雰囲気になった。

「へ?」

そんな彼女が妙に可愛くて、笑いがこみ上げてくる。

「恐れ入ります、て…。あっははっは!なんやそれ〜!」

「……。」

の反応がツボにハマり大笑いを始めたまどかに、彼女はムッとしたらしく、まどかの手をパンと叩いた。

「ひとりで渡れますっ。」

「あっはっはっは…って、あ、ちょー待って!」

まどかに背を向けてさっさとつり橋を渡り始めたを、まどかは慌てて追いかけた。

「そんなにどんどん歩いたら危ないって。朝露で足元が…。」

「きゃ…っ…!」

だが、まどかが慌てて追いついた瞬間、彼女が濡れていた橋板に足を滑らせた。

「危な…っ。」

が背中から倒れこんでくる。
まどかは、咄嗟にその体を支えようと、後ろから抱きとめた。

だがホッとしたのもつかの間、次の瞬間、まどかが踏ん張っていた足元もつるりとあっけなく滑った。

「あ…りゃ?」

考える間もなく、山と空がくるりと回転し、耳元でダンッと大きな音がした。
を抱きしめたまま、背中からひっくり返ってしまったらしい。

弾みでつり橋がゆらゆらと揺れる。

「ったぁ…。は、はは…。揺りかごのよう…やな…。」

下は数十メートルの谷底。
仰向けになっているために空しか見えないが、谷から吹き上がってくる風が橋板のすきまを縫って耳元を掠めていく。
そんな状態でゆらゆらと揺らされているのは、なかなかスリリングだ。

「まっ、まどか君っ…離したらヤだからねっっ。」

同じように、まどかの腕の中で仰向け状態になっていたが、慌てて向きを変えて抱きついてきた。

「大丈夫やって。つり橋いうてもしっかりした造りやし、こんな隙間から落ちるわけ…。」

「やだってば…!」

向きを変えたときに谷間の景色が目に入ったのだろうか、
片手を離して床板に手を付こうとしたまどかの動きを阻止するように、彼女はぎゅっとしがみついた。

「朝日、昇ってしまうで。」

そんなの背に腕を回しながら声をかけてみるが、彼女はまどかの胸に顔をうずめたまま動かない。
仕方がないので、起き上がるのをやめて、揺れが完全に収まるまで待つことにする。

「大丈夫や…。」

を抱きしめたまま、しばらくそうしていると、以前この橋の上で尻もちをついて、
涙顔になっていた彼女の姿が浮かんできた。
あんなに近くにいたのに、なんて遠かったのだろう。

「もう二度とひとりにしたりせえへん…。俺がそばで守ったる…ずっと。」

「うん…。」

少し落ち着いたのか、まどかの胸の中でが小さく頷いた。

そのとき、重なり合った山の端から、それまでとは違った力強い光が差し込んできた。

「ほら、日が昇るで。初日の出や。」

彼女が恐る恐る起き上がったので、まどかも身を起こす。

「これを一緒に見たかったんや。ここで。」

この場所を、寂しい気持ちで過ごしたあの日の思い出のままにしておきたくなかった。

「きれい…。」

がまどかの胸に寄り添ったまま、呟いた。

「ああ、そやな。でも…。」

朝日に照らされた彼女の横顔の方が、数倍美しく見える。
紅葉の季節は終わってしまったけれど、新しい年を迎えた最高の場所に置き換えることができた。

「でも…?」

「いや、なんでもない。」

まどかは苦笑いをしてごまかした。
心の底から想うからこそ、以前のような軽口が叩けない。そんな自分が少し不思議に思える。

…。」

彼女の耳元でそっと名を呼ぶと、がほんの少し身を震わせた。

「まどか…くん?」

寄り添っていた身を起こし、戸惑いながらまどかを見つめている。
そんな彼女を抱き直すと、まどかはその顎にそっと手をかけた。

「まど…。」

「今度は逃がさへんで…。」

が何か言おうとしているようだったが、まどかは顔を近づけると、その唇をそっと塞いだ。

(もう、離さへん…絶対に。)

つり橋の上でひとつになった影が、新しい光に優しく包まれていた。





昇り始めた朝日が力強さを増し、つり橋の架かった谷に陰影を作り始める。

まどかの胸の中に顔を埋めているの背を抱きしめたまま、まどかはその光景を眺めていた。
先ほどまで冷たかった彼女の頬が、まどかに触れているせいか、或いは上気しているのか、
今はほんのりと温かみを持っている。

その温もりを感じながらそっと横顔を覗くと、それに気づいた彼女が恥ずかしそうに小さく笑った。

「えと…初詣、行く?」

「…そやな。ちなみに晴れ着姿、見れるんか?」

何気なく問うと、は嬉しそうに頷いた。

「…もちろん。」

まどかに見せたくて、用意しているのだと照れくさそうに言う。
そんな彼女が、どうしようもないくらいに愛しい。

「…。…あ、いや。」

もう一度口付けたくなる衝動を抑えて、まどかはの手を取った。

「…きりがなくなるし…な。」

「…?」

「こ、こっちの話や。ほな、行こかっ。」

「うん。」

日の光を受けて、木々の陰影を映し出し始めた緩やかな登山道を、彼女の手の温もりを感じながら歩く。
空を仰ぐと、新年にふさわしい晴れやかな青空が広がっていた。

今年はいい年になる、きっと。



〜fin〜


やっと完結!

今回は親友設定を題材にしてみましたが、
友達という立場に身を置いたせいで、彼女に告白できない辛さや気持ちの揺れといった、
今までの作品では、やったことのなかった心の動きを描くことができました。

どこまで表現できたかは自信ありませんが、自分的にはとりあえず満足(^^*

まどかは大阪弁をしゃべるので、セリフはテンポ良くぽんぽん出てきて、その点はラクでした☆

最終話はまどかも復活したので、彼本来の快活さが出たでしょうか。
積極性も意識してみましたが、本当に好きな子はすごく大切にしてくれる人だと思うので、
最後のラブシーンはあんな感じになりました。
物足りなかったらすみません。ま、わたしの技量も大きく影響してると思いますが…(^^;

ともあれ、 長らくのお付き合い、どうもありがとうございましたv


( サイト掲載日 2010. 3. 8 )





































































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