風に抱かれて 2
「なにって。熱でもあるんじゃないかと思って。」
思わずのけぞったまどかに、はきょとんとした表情を見せた。
「あ…のなぁ…。」
そんな天然な反応に、まどかは頭を押さえた。
なんだか頭痛までしてきたような気がする。
本人は全く意識していないのだろうが、男心を翻弄しすぎだ。
大きく跳ね上がった心臓は、まだバクバクいっている。
「あんなぁ。こんなこと、そんな簡単に他の男にしたらあかんで?
俺やからええようなもんやけど、そんな風に無防備にやってたら、すぐ誤解されるわ。」
まどかは、息を整えてなんとか平静を装うと、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「誤解って?」
「そやから…。俺のこと好きなんかな〜とか思われて、変な気ぃ起こされるで…ってことや。」
「……ふ〜ん。」
「ふ〜ん…て。」
そんな反応にこけそうになる。
「まどか君は、そうは思わないんだ…。」
「え…。」
のセリフに何か違和感を感じて聞き返そうとしたとき、突然、樹々がザーッと音を立てた。
何ごとかと辺りを見回した瞬間、二人の間を突風が吹きぬけた。
その風に煽られて、つり橋が軋みながら揺れる。
「きゃっ…。」
決して大きく揺れたわけではなかったが、ロープから手を離して立っていた彼女は、
その揺れに対応できずバランスを崩した。
「あぶない…っ。」
まどかは慌てて手を伸ばしたが、彼女がすがるように伸ばした手に、一瞬の差で届かなかった。
が派手に尻餅をつく。
「痛ったぁ…。」
「大丈夫か? 悪いっ…。」
「大丈夫…。姫条くんが謝ることないよ。」
彼女は顔をしかめつつ、苦笑いを見せた。
ほんの少し涙目になっているのは、尻餅をついた痛みのせいだろうか。
「なんか変な天気だね。さっさと渡っちゃおうか…。今日は…もう帰ろ。」
昼を過ぎてから雲や風が出てきた。
どうやら天気は下り坂に向かっているらしい。
確かにこんな天気の中、ハイキングコースとはいえ山中にいるのは得策ではない。
けれど、「帰ろう」というその言葉に、まどかは一抹の寂しさを感じた。
「そうやな…。」
そう答えながら伸ばしていた手を下ろす。
「じゃ、行こ。」
それを見たは、デニムのスカートの裾をパタパタと払いながらサッと立ち上がると、
再び前を向いて歩き始めた。
その後姿に、なんとも言えないせつなさがこみ上げてくる。
なんだか足が重い。
彼女との距離が少しずつ広がる。
こんなふうに自分はこれからずっと、彼女の背を見て過ごさねばないのだろうか。
空を見上げると、低く重そうな雲が広がり始めていた。
「雨、降りそうやな…。」
「送ってくれてありがとう。」
「いや、どうってことないで。当然や。」
夕刻にはまだ間があるが、天気が悪いせいでいつもより暗く感じる。
少し前からポツポツと降り始めた雨が、少しずつ強くなってきた。
「ちょっと待ってて、傘取ってくるから…。」
「あ〜大丈夫やから。気にせんといて。」
「でも…。」
が心配気な顔をしてこちらを見たが、まどかは、にっこりと笑って見せた。
「そういう気遣いは無用や。辛ろうなるだけやしな。」
「え?」
「…ああ、わからんでええ。ほな、またな。」
首をかしげる彼女に、軽く手を上げて背を向ける。
そのまま軽く手を振ると、背中越しにの声が聞こえた。
「風邪、引かないようにね!」
「ああ…。」
その声に、背を向けたまま小さく答える。
(そやけどな…。)
そういう優しさが辛いのだ。
雨が本降りになってきたらしく、サーッという音が聞こえてきた。
このままでは家にたどり着く頃にはずぶ濡れになっているだろう。でも、それも良いかもしれない。
(濡れて帰りたい気分…って、ほんまにあるんやな。)
前髪がしっとりと濡れて重みを持ち、時折、雫が頬に落ちる。
このまま降られていたら、雨はこの切ない想いを洗い流してくれるのだろうか。
* * *
「姫条? 今日は来てないぜ。」
「え、そうなの? どうしたんだろ。やっぱり、体調が悪かったのかな…。」
「そういえば、おまえら昨日、紅葉を見に行ったんじゃねえのか?」
まどかが休んでいると知って心配そうな表情になったに、和馬が教室の入り口の柱にもたれながら問いかけた。
昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、今日は秋晴れの良い天気だ。
「うん…。」
「なんだ〜?その暗い顔。楽しいデートだったんじゃないのかよ。帰りはふたりで相合傘か?」
和馬はからかい半分にそう言ったが、はスッと目をそらせた。
「……姫条くん、ため息ばっかりついてた。きっと無理して付き合ってくれたんだよ。」
「…? そんなことねぇと思うけどなぁ。」
「だから…昨日はごめんねって言おうと思ってきたの…。」
和馬は少し首を傾けて、下を向いてしまったの横顔をちらりと見た。
「ふ〜ん? そういえばあいつ、こないだから、なーんか様子が変なんだよな。」
何があったのか知らないが、すっかり凹みモードの彼女にどう声をかけてよいかわからず、
和馬はとりあえずそんなことを呟いた。
「あ、ほら、おまえの買い物に付き合ってやった日。」
に頼み込まれ、ショッピングセンターへ一緒に出かけた帰りのこと。
帰宅の方向が同じだったので彼女の話を聞いてやりながら歩いているうちに、自宅まで送ってやる形になったのだが。
の家の前で、見覚えのある姿を発見した。
「ん? あれって姫条じゃねぇか?」
「あ、ほんと…だっ。」
「なんだ、よかったじゃねぇか。ほら、渡して来いよ、俺は姿消すからよ。」
は姫条を見つけて嬉しそうな顔をしたが、和馬のその言葉を聞いて困惑気味になった。
「え、で…でも、心の準備が…。」
「そんな大層なもんじゃないだろ?」
急に歩みの遅くなった彼女の腕をつかんで、無理やり引っ張りながら近づくと、姫条はそんな二人の姿を
目を丸くして見ていたが、すぐに無理をして笑っているような表情になった。
「まどかくん…。ええと…どうしてうちに…?」
「あ〜なんや、その…。別に大した用事とちゃうねん。すまん、邪魔したなっ。ほな、また。」
「あ、おい、姫条?」
そういうと姫条は、和馬の制止もこちらの話も、何も聞かずに背を向けて早足に去って行った。
「あれから、なんかよそよそしいっていうか…なぁ。」
和馬はドアの枠にもたれたまま、腕を組んで廊下の天井を見上げた。
いつものように話しかけても、愛想笑いをしながら適当に相槌を打つだけで、すぐに席を立ってしまう。
今まではさして気にも留めていなかったが、よく考えてみれば避けられていたような気がしないでもない。
「なんで俺が避けられるんだ? 俺、なんかしたか?」
姫条の態度を思い出し、急に腹が立ってきた。
「姫条くん、わたしのこと友達としか思ってないの。」
「へ?」
だがは、和馬の振りをあっさりスルーした。
彼女の頭の中は、姫条のことしかないらしい。
「あっそ…。で? なんでそう言えるんだよ。」
一瞬こけそうになったが、の雰囲気があまりにもブルーなので、そこには突っ込まずに話を合わせる。
「だって、そうだもん。」
好きな人がいる、と遠まわしに言っても他人事のような返事しか返ってこないし、
その「好きな人」が自分だとは、彼は微塵も思っていない。
「正面から来られたらグッとくるとか言うから、おでこくっつけてみたら、真剣に嫌がられたし…。」
「おでこって…っ。おまえ、意外と大胆なんだな。…っていうか、天然か?」
和馬はそんなシーンを想像して、思わず顔が赤くなるのを感じた。同時に引きつり笑いが沸いてくる。
だが彼女は、和馬のそんな様子には全く気づかず、更に言葉を続けた。
「一緒に歩いてても半径1mは絶対離れてるし、転んでも手も貸してくれない。
それに、わたしの使ってる傘使うのもイヤなんだよ…っ。」
「ちょ、ちょっと落ち着け。」
言ってるうちに気分が昂ってきたのか、声が上ずってきたを、和馬は慌てて手を上げて制した。
「それって、友達以前の関係ってことか? いや、友達どころか『こんなやつ大嫌い』って感じじゃねえか。
それなのに、なんでおまえの誘いに二つ返事でOKするんだよ。」
先日、が誘いに来たとき、姫条は満面の笑みを浮かべて即答していた。
あの様子は「嫌い」とは正反対の感情から出てくるものだ。
いくら男女の恋愛感情に疎い和馬でも、嬉しがってるのか嫌がってるのかくらいの違いはわかる。
それに、以前はいろんな女子と弁当を食べたり一緒に下校したりしていた姫条だったが、
最近の彼の周りにはそんな浮ついた雰囲気がない。
だが、そういえばあの時、姫条は和馬の方をチラチラと見ていたような気がする。
(あいつ、なにを気にしてたんだ?)
なんだか最近あいつらしくないな…。ふとそんなことを考えていたら、同じように
しばらく考え込んでいたらしいが、ぼそっと言った。
「好きなやつがいるなら素直な気持ちでぶつかっていけ…だって。」
「なんの話だよ?」
昼休みに入ったため人通りの多くなっていた廊下では、行き交う生徒たちがチラリとこちらを見ながら歩いていく。
なにやら込み入った内容になってきたので、和馬はを教室に招きいれ、窓際に誘った。
「昨日、好きな人に自分の気持ちを伝えるのって難しいね…って言ったら、そんなこと言ってた。」
「おまえなぁ、あいつにどんな話したんだ? そんな言い方したら他に好きなヤツがいるとしか聞こえないぜ?」
「だって…。最初にそう言ったのは姫条くんだもん。『応援したるから安心し。』って。」
「いつの話だ、それ。」
「この間…。鈴鹿くんに買い物に付き合ってもらった日の夕方。」
「ん? それって…。」
姫条の態度がどことなくおかしくなった頃だ。
「『好きなヤツがいるなら隠すな、友達だから応援する』みたいなこと言われたの。」
「なんで否定しなかったんだよ。」
「だって…。おまえとはただの友達…って言われたんだもん…。」
「友達だから応援する」という言葉は彼女にとって、「恋愛対象ではない」と宣言されたのと同じこと。
その言葉にショックを受けて、何も言えなくなってしまったのだろう。
「はは〜ん、なるほどなぁ。」
なんだか見えてきたような気がする。
「あいつが無意識に俺を避けようとしてたのは、そういうことか。」
「避ける?」
「あ〜、気にすんな。どうせ聞いてなかったんだろ。」
「えと…ごめん。」
和馬にひととおり話したおかげで少しは気持ちが落ち着いたのだろう、は小さく頭を下げた。
「それにしても不器用だなぁ、おまえら。それも、俺に言われるなんてかなりのもんだぞ。」
和馬はおかしそうにクククッと笑った。
「なんのこと?」
「ま、いいさ。じゃ、今日の放課後ちょっと付き合えよ。」
が首をかしげたが、和馬はそれには答えず、ニッと笑った。
「俺にも責任がないわけじゃないみたいだからな。」
ということで、彼女にとっての本命はまどか、そして親友は和馬でした。
それを逆だと、しっかり誤解しているまどかです。
ちなみに、和馬に関しては、互いに友達以上の感情はありませんv
彼に特別な感情を持たせると、ドロドロになっちゃいますしねぇ(^^;
まどかと和馬にはずっといい友達でいて欲しいです☆
(っていうか、三角関係なんて面倒でヤダ。←笑)
( サイト掲載日 2009. 12. 28 )