花 眠
「勝真さん・・・?」
眼下に京の都が見下ろせる丘の上。
青い空の下、暖かな光がふりそそぎ、中秋を思わせる陽気だが
頬をなでる風はピンと張り詰め、さりげなく冬の気配を運んでくる。
「か〜つざ〜ねさ〜ん?」
もう一度、少し遠慮気味の声で呼んでみるが、
当の本人は、身じろぎひとつしない。
端正に整った、目鼻立ち。
意外に長いまつげ。
木の幹にもたれかかり、瞳を閉じた無防備な姿に、花梨は吸い込まれるように顔を近づけた。
半開きになった唇から、穏やかな寝息がもれる。
「そんなに安心しきって寝ちゃてていいんですか? おそっちゃいますよ〜?」
Illustration by 紫翠様(自由京)
『花梨、明日は久しぶりに二人で出かけないか?』
ここ数日、勝真は、何かの警備に駆り出されていたらしく、欠勤が続いていた。
東の札を探すため、どうしても必要な時には、無理をして来てくれたが
当然のごとく他の八葉も一緒で、二人きりの時間というものにご無沙汰してしまっていた。
そんな中、札探しの目処も付き一段落した昨日の帰り道、勝真がそっとささやいた。
『明日は、他のやつらにくっついて行くなよ?』
心配気な表情で花梨を見つめ、念を押すようにそう言うと、勝真は屋敷を後にした。
☆
「神子さま、今日はいかがなさいます?」
紫姫がいつものようにやって来て、穏やかな笑みを湛えながら、花梨に問う。
「え、えーと・・・その、今日は勝真さんかなーと・・・。」
微妙に頬が火照る。だが、花梨のそんな小さな変化に気づかない紫は、もっともらしく頷いた。
「そうですわね、東のお札探しには、勝真殿にいて頂かないと。後は、頼忠殿ですね、ではお呼びして参りま・・・」
「ちょ、ちょっと待って!」
腰を上げかけた紫を、慌てて呼び止める。
「はい? どうかなさいましたか?」
どうやら紫は、花梨と勝真の仲にまだ気づいていないらしい。
他の八葉たちは知っているようだが、見て見ぬ振り、というよりどうも無視しようとしているらしく、
紫の耳には届いていないようだった。
「えっと・・・だから、頼忠さんには、武士団のお仕事に戻ってもらったらいいかなあ・・・と。」
「あら、神子様、日程も限られておりますし、青龍のお二人と一緒に行動なさった方が効率的ではありませんか?」
紫が意外そうに言う。
・・・どう説明したものだろう?
「うーん、効率的・・は今日は関係ないかも・・・。その、今日はお休みみたいなもんだから・・・。」
正直に話してしまっても良いのだが、大人びてはいても所詮まだ十歳の子供、はっきり言うのも何となく憚られる。
札探しは一段落ついたから・・と続けようとしたのだが、お休みという言葉を聞いて、紫がぱあっと顔を輝かせた。
「まあ、では今日は一日お屋敷でのんびりして下さいますのね!? ではさっそく、お菓子などお持ちして・・。」
そう言って紫が腰を上げかけた時。
「悪い! 待ったか?」
勝真が、姿を現した。
肩を上下させ、少し荒めの息を吐いているところを見ると、どうやらかなり急いで来たらしい。
「お、紫姫。いなかったから勝手に通らせてもらったぜ?」
言いながら紫の横をすり抜けて、花梨の側へ来ると、勝真はスッと彼女の手を取った。
「遅れて悪かったな、さあ行こうぜ。」
「あ、あの・・神子様?」
紫が目を白黒させて見ている。
「ごめんね、紫姫。今日は勝真さんと、その・・・デートなの・・・。」
「でぇと・・・でございますか?」
「えと・・、つまりね・・・。」
紫に説明を始めようとした花梨を、勝真がさえぎった。
「そういうことだ、紫姫、あとよろしくな。」
「はあ・・・。」
釈然としない表情の紫をその場に残し、勝真は花梨を連れて厩に向かった。
「ねえ勝真さん。デートの意味、知ってたんですか?」
「知らない。」
・・・・・こけそうになった。
「でもさっき、そういうことだ、って・・・。」
「説明聞いてる時間がもったいなかったからな。せっかく久しぶりに二人きりなんだ。」
言いながら、花梨を馬に乗せる。
「言葉は知らなくても、意味ならわかるぜ。こうすることだろ?」
花梨を支えながら馬に飛び乗った勝真は、おもむろに彼女を抱き寄せた。
細い顎を手に取り、顔を近づける。
「か、勝真さん・・・!」
少し離れたところで、厩番の若者がフリーズしている。
「ひ、人! 人が見てます!!」
「ん? そうか? 俺は別に気にならないが・・・。」
「わ、私は気になります!!」
慌てて勝真から身を引き剥がすと、花梨は頬を赤らめながらそっぽを向いた。
「ふーん・・・。じゃあ、人目の気にならないところへ連れてってやるよ。」
勝真はくすりと微笑むと、そうささやいた。
「ど、どこ行く気ですか!?」
なんとなく身の危険を感じる・・・/////
「ここ・・・。」
「覚えてるか?」
花梨を抱き下ろし、馬の手綱を持ったままの勝真の髪を、穏やかな風が揺らす。
その勝真の手をすり抜け、丘の上に立つと、京の都が一望できた。
あの日。
この都を包み込むように、大きな虹が架かっていた。
「あの虹を、つかんでみたいと思ったんだ。」
手綱をくくりつけ、ゆっくりと花梨の横に歩み寄ると、勝真は遥かに見える都に目をやった。
「私もですよ。あの日初めて勝真さんが、前に乗せてくれたんですよね。虹がよく見えるようにって。」
花梨は嬉しそうにそう言ったが、それには答えず前を見つめたまま、勝真は言った。
「おまえ、あの虹、手に入れたか?」
「え?」
どういう意味だろう?
並んで立つ勝真の横顔を覗き込む。
彼は、都の上に大きく広がる、青い空を見つめていた。
澄んだ空気の中、遠く見える山の稜線がわずかに霞んでいる。
しばらくそうして、何かを見つめていた勝真は、戸惑っている花梨に視線を戻すと、その肩をそっと引き寄せた。
「勝真さん・・・?」
目をクルクルとさせ「?」マークを飛ばしている花梨を、近くの大振りな木の幹に押し付ける。
柔らかそうな耳たぶに唇を寄せ、勝真は吐息まじりにささやいた。
「俺は、手に入れたと思ってるよ。」
「・・・! 勝真・・さ・・ん・・。」
全身の細胞が波立つ。
「花梨・・・。」
勝真の唇が、花梨の耳たぶから白い首筋を伝い、やがて、紅く光る唇をふさいだ。
頭の芯がくらくらするような感覚を覚える。
大きな掌が、花梨の胸元に伸びた。
柔らかな膨らみの上で、何かを探すように、ゆっくりと動き始める。
身体の芯がジンと痺れる。
勝真は花梨の唇をふさいだまま、もう一方の手で、彼女の水干の紐を解き始めた。
(ちょっと・・・まって・・・。)
拒否しようとする意識とは裏腹に、花梨の腕は勝真の背中を抱きしめていた。
・・・・だが。
唐突に勝真の身体が重くなった。
「・・・?・・・勝真さ・・おも・・い・・です・・」
これは・・・、押し倒されている訳ではない・・・と思う。
どちらかというと全体重をかけられているような・・・?
「花梨・・・、わるい・・・げん・・かい・・・。」
勝真は、花梨の胸元に顔をうずめ、それだけ呟くように言うと、そのまま寝息を立て始めた。
「え・・? あの・・・。」
・・・とりあえず、貞操の危機は去ったようだが、なんだか肩透かしを食ったような気分だ。
それはともかく、このままでは重くて息をするのも大変だ。
花梨は、勝真の下から抜け出すと、やっとの思いで、彼を木の幹にもたせかけた。
そういえば、ここに来る途中の話では、昨日は徹夜だったようなことを言っていた。
今朝も、警備に駆り出されていた場所から直接来てくれたのだろう。
「2日くらい寝なくても平気だー、なんて言ってたくせに。」
本当のところは、2日ではなく3日目なのだが、勝真はそこまで詳しく話さなかったので、花梨は知らない。
頬を軽くつねってみる。
「勝真さん?」
よほど疲れていたのだろう。まるで反応を示さない。
「か〜つざ〜ねさ〜ん・・・?」
このままゆっくり休ませてあげたいと思う。だけど・・・。
「おそっちゃいますよ〜?」
ほんとに襲われたら、ものすご〜く焦ることになるはずだが、熟睡している者相手に怖いものなどない。
花梨は、そーっと勝真に身を近づけた。
長い睫に唇を寄せる。
「う〜ん・・・。」
そのとき急に、寝返りを打とうとした勝真の腕が、花梨に絡みついた。
「〜〜〜〜〜!!!」
パニックになる。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい〜〜!! うそです、うそです、何もしませんから〜〜!!」
思い切りじたばたと暴れたが、逃れられない。
だが、勝真は花梨を抱きしめたまま、また穏やかな寝息を立て始めた。
「・・・・・。」
なんだか、ホッとしたような、がっかりしたような・・・。
とりあえず身を起こそうとしたが、眠っているくせに、勝真の腕は花梨を捕らえて離さない。
仕方がないので、彼の胸に頬を寄せる。
規則正しい鼓動が伝わってくる。
冬の気配を含んだ空気が二人を包もうと忍び寄ってくるが、
勝真が肩脱ぎにしている着物の袖が、花梨を覆っているのでとても暖かい。
(そういえば、前に来たときも、こんなふうに木の下で眠っちゃって・・・)
あの頃、自分たちは、お互いをどんなふうに認識していたのだろう。
(わたしは、勝真さんが・・・ちょっと怖くて・・・でも・・・)
気付かぬうちに、花梨の呼吸は勝真の寝息にシンクロし始めていた。
続く
あぶない、あぶない・・・。 一瞬、裏部屋作らないといけなくなるのかと思いました・・・(といいつつ?・・・♪) まだまだ一線超えてもらっては困ります! ここの管理人は純情派なんだからー。(ほんま?笑) それはともかく、キリリクにもかかわらず、しっかり前作を受け継いだ形になってしまいました。 しかも前後編・・・(^^; イラストについては、紫翠さんがご自分のサイトのお絵かき日記で描かれていたものでして、 見つけた時、思わず「これだ〜!」と叫び、無理を言って頂戴してきたものです(^^; (2003.12.9) |