星の降る夜は 6
『…黙っておいてやる。』 彼らの言葉を聞いていたアシュヴィンが、おもむろに口を開いた。 『は?』 『何もなかったことにしてやるから、明朝、あの娘を連れてさっさと立ち去れ。それでも気が済まぬと言うのなら、俺に味方することを不満に思う輩を、おまえが責任を持って説得しろ。』 リーダー格の若者は、一瞬呆気に取られたようにアシュヴィンを見つめた。 その額には先ほど彼が負わせた傷があり、そこから血がにじみ出ている。 それを見た若者は、改めて深く頭を下げた。 『殿下っ。お言葉、痛み入ります。殿下のお人柄、しかとお見受け致しました。我ら兄弟は殿下に心よりの忠誠をお誓いし、必ずや領地内の不満分子を一掃してご覧に入れます。』 『殿下っ。』 弟の方も、彼の横で熱い眼差しを向けてくる。 『あー、わかったならもういい。俺はさっさと解放されたいんだ。これ以上、妃との時間を邪魔するな。』 『こ、これは重ね重ね大変失礼を…っ。この度は妃殿下にもご無礼の数々、まことに…。』 アシュヴィンの言葉に、心配気に彼に寄り添う千尋に目を向けた兄弟は、今度は彼女に向かって謝罪を述べようとする。 『おい、リブ。』 アシュヴィンは、うんざりしたように息を吐くと、騒ぎを聞いて駆けつけていたリブに目配せをした。 それに気づいたリブが、心得たとばかりに小さく頭を下げる。 『さ、君たちはあの娘と同じ部屋に移ってください。念のため外から鍵をかけさせてもらいますが、気を悪くしないで下さいね。』 そう言って部下に彼らを預けながら、その場に集まっていた宮の者たちにも解散するように指示をする。 その声に、皆、アシュヴィンに会釈をして次々と立ち去っていった。 その采配と手際の良さにアシュヴィンが満足げに頷いていると、リブはスッと千尋の元にやってきて、薬が一式入った箱を渡した。 『姫様、アシュヴィン様の手当てをお願いできますか?』 『え?うん、それはもちろん…。』 慌てて頷く千尋を見て小さく笑みを浮かべたリブは、アシュヴィンに向かって小さく囁いた。 『殿下、今宵こそは誰にも邪魔をさせませんから。』 「ともかくだ、襲ってきた奴らも含めて万事丸く収まったんだ。もういいだろう?」 アシュヴィンは薬湯を飲み干すと、その器を傍らのテーブルに置いた。 先程のリブの言葉を思い出しながら、千尋の腕をくいっと引く。 「え?」 不意打ちの動作になんの準備もしていなかった千尋は、ストンとアシュヴィンの膝の上に落ちた。 「ア、アシュヴィン? なにするの、まだ手当てが…。」 「必要ない。」 「ダメだよ、もっとちゃんと…っ。」 「……。」 抗議の声を上げる千尋の手から、薬瓶を取り上げる。 「言っただろう、万事丸く収まったと。妃殿の誤解も解けたしな。これ以上なにを躊躇する必要がある?」 「ご、誤解って、私は別に…。」 アシュヴィンの膝の上で横抱きにされた千尋は、微かに頬を染めて目を逸らせた。 「では言い直そう。妃殿の機嫌も直った。ま、元よりおまえの疑いを招くような疚しい行為は何ひとつしていないがな。」 そう言いながらアシュヴィンは含み笑いを浮かべて彼女の横顔を見た。 「だから…こっちを向け、千尋。」 彼女の耳元に唇を寄せて、そっと囁く。 その行動に千尋がピクッと肩を震わせた。 「アシュ…。」 呟くように名を呼びながら、困ったように視線をさ迷わせている。 そんな彼女の仕草がとてつもなく愛しい。 アシュヴィンは彼女の頬に触れると、そっと指を滑らせて顎を持ち上げた。 「俺の…妃になれ。」 「何言ってるの、もうとっくに…。」 言いかけた彼女の唇を言葉ごと奪う。 「……!?」 「そういう意味じゃない。」 触れるだけの口付けを落としたアシュヴィンは、すぐに唇を離して、驚いて目を丸くしている千尋に意味深な笑みを向けた。 「本当の意味での妃、だ。」 短くそう言うと、そのとき初めてキスされたことに気づいた千尋は、みるみるうちに頬を染め上げた。 「あ、あの…。」 「もう逃がさないからな。」 半ばパニックを起こしかけている彼女を再び引き寄せ、もう一度口付ける。 薄く開かれていた唇を最初は柔らかく、ついばむように。 「…っ…。」 千尋が再び息を飲むのが伝わってきたが、やがてそれも甘い息遣いへと変わっていく。 「……ん…っ…。」 彼女が漏らす微かな吐息に誘われるように、次第に口付けが深くなる。 為されるがままだった千尋はやがて、堪えきれなくなったようにアシュヴィンの胸にすがりついてシャツを握った。 「……ん…っ…っ…。」 吐息混じりの微かなその声に、ほんの少しだけ残っていた理性も消し飛んだ。 アシュヴィンは彼女の首筋へ唇を移しながらブラウスのボタンに手を掛けた。 「千尋…。」 耳元で囁きながら、手は開いた胸元へとすべりこませる。 「…ぁ…っ…アシュ……やっ…。」 その反応にゆっくりと唇を離すと、千尋は目を潤ませてアシュヴィンを見上げた。 「そんな顔でイヤと言われてもな。」 アシュヴィンはフッと笑みを漏らすと、千尋を横抱きにしたまま椅子から立ち上がった。 「ア、アシュヴィン…?」 千尋をベッドの上に下ろしたアシュヴィンは、そのまま彼女を押し倒した。 「もう一度言うぞ。俺の妃になれ、千尋。」 「あ、あの…っ、ちょっと待って…。」 千尋は慌てて半身を起こした。 「さんざん待たされたんだ、もう待てないな。」 「で、でも…っ。えと…アシュヴィン、怪我してるしっ…。」 「このくらい何の問題もない。」 千尋がじりじりと後ろへ下がるが、もう後がない。 それを見て、逃げ道を塞ぐように彼女の両横に手をつく。 「千尋…。俺のことが嫌いか?」 「…っ…。」 行動とは裏腹に優しくそう囁かれて、千尋は動きを止めた。 「アシュ…。」 じっと千尋を見つめる瞳は、微かに熱を孕んでいる。 「…嫌いか?」 再びそう囁かれて、千尋はゆっくりと首を振った。 「そんなわけ…ない。…好き。」 自分だけを映している瞳を見つめながら、千尋は彼の首に手を伸ばした。 「アシュヴィンが…大好き…。」 「ああ。俺も…だ。」 感じたことのない満たされた想いに包まれながらながら、再び彼女に口付ける。 「……ん……っ…。」 次第に深くなる口付けに戸惑いながらも、千尋はそれを受け入れていく。 そんな彼女を感じながら、アシュヴィンはその胸元を開いて手を滑らせた。 「……ぁ……っ…。」 声にならない吐息に誘われるように、彼女の軽やかなワンピースの裾に手を忍ばせると千尋の背がビクンと震えた。 「…っ…ア…シュ…っ。」 しとやかな水音を立てながら唇を離すと、彼女の潤んだ瞳と視線が絡まる。 「大丈夫だ、千尋…。力を抜け。」 彼女の首筋に口付けながら、忍ばせた手で太ももを撫で上げる。 「……ぁっ…………っ……。」 漏れ出る声に煽られて歯止めが効かなくなる。 「おまえを愛してる…。」 だが、そのとき。 「……っ…?」 不意に目眩のような感覚に襲われて、アシュヴィンは思わず額を押さえた。 この感覚には覚えがある。 「まさか…。」 「アシュ…?」 それに気づいた千尋が緩く瞳を開いたが、アシュヴィンの様子を見て慌てて身を起こした。 「どうしたの、大丈夫?やっぱり傷が…。」 「…千尋。」 アシュヴィンは額を押さえていて手を離すと、動揺する彼女の手首を捕まえた。 「参考までに聞きたい。さっきの薬湯、出所は何処だ。」 「え、薬湯?」 いきなり出てきた単語に千尋はきょとんとして目を瞬かせた。 「リブの薬箱に入っていた物か?」 千尋はもう一方の手で胸元を押さえながら、手当ての合間に彼に出した薬湯を思い出す。 「あれは、さっきリブに薬箱をもらったあと、遠夜が痛み止めだといって渡してくれたんだけど…。」 「遠夜…。くそ、やられた。」 アシュヴィンは千尋の手を掴んだまま、彼女の横に身体を投げ出した。 「きゃ…。」 それに引っ張られて、千尋がアシュヴィンの胸元に倒れ込んでくる。 その背を抱き寄せたアシュヴィンはそのまま目を閉じた。 「アシュヴィン?大丈夫…?」 深く息をついた彼の頬に千尋が心配気に手を伸ばした。 「大丈夫かと聞かれたら…大丈夫ではないな。」 やっと彼女を抱こうとしたのに、身体が全く言うことをきかない。 「ど、どうしよう…。あ、私、お医者様を呼んでくるっ。」 アシュヴィンの言葉を真に受けた千尋が、その腕の中から抜け出そうとする。 「ここにいろ。」 そんな彼女を抱き締め直し、腕の中に閉じ込める。 「心配ない。ただの眠り薬だ。」 「眠り薬?」 「ああ…。」 鎮痛剤には眠気を誘うものが多い。 遠夜が千尋に渡したものはおそらく、先日リブが淹れた茶と主成分はそう変わらないのだろう。 彼にはイタズラ心ももちろん悪意もなかったのだろうが。 「つくづく…どこまでも優秀な側近どもだ…。」 少なからず手負いのある身では、前回と違って、薬の効力を跳ね退けるだけの力がない。 「えと…ごめん、ね?」 千尋の申し訳なさそうな、それでいてどこかホッとしたような声がする。 「すぐにリベンジしてやる…それまでに覚悟を決めておけ…。」 まだどこか戸惑いを残したままの千尋を抱きしめ、アシュヴィンは意識を手放した。 |
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