星の降る夜は 7

「アシュ…?」

穏やかな寝息を立て始めた彼の腕の中で、千尋はそっと顔を上げた。

「ほんとに寝ちゃった…。」

目の前にある彼の寝顔は、普段の彼からは想像できないくらいあどけない。

「なんかかわいい…。」

ふと、遠夜から薬湯を受け取ったとき、アシュヴィンにゆっくり休んで欲しいと考えたことを思い出す。
だから傷を負った彼がゆっくり眠ってくれることは嬉しい。
…はずなのに。

今は何か物足りない想いが湧いてくる。
じわりと身体の奥に灯った熱が、ゆらりと揺れる気がした。

「もっと触れて欲しかったな……。って、何言って…っ。」

思わず漏れ出た呟きに、自分で赤面してしまう。
火照った顔を隠すようにアシュヴィンの胸に頬を寄せると、千尋にも急速に眠気が襲ってきた。

「アシュ…大好き…。」

そっと呟きながら目を閉じる。
意識が沈む瞬間、ほんの少しだけ彼の腕に力が入った気がした。





「は…? では結局、夕べも何もなかったんですか!?」

「声がでかい。」

「あ、これは失礼を…。しかしながら、また遠夜殿ですか。」

ここまで来るともう、わざとではないかと思えてくる。
リブは、仏頂面をしているアシュヴィンを前に苦笑を禁じ得なかった。

「今さらですが、姫様は本当に皆さんに慕われておいでですね。」

出来るだけの敬意を込めてそう表現してみたが、実際には、遠夜の後ろで舌を出して笑っている面々が透けて見える。
恐らくは、遠夜に薬湯を出すように勧めた者が他にいるのだろう。

茶を淹れながらそんな想像をしていると、アシュヴィンが怪訝そうにリブを見た。

「あいつが慕われているのは否定しないが、俺が薬を盛られたことと何の関係がある。」

「あ~それはですねぇ…。」

有体に言ってしまえば、千尋の臣下たちに、さりげなく、だが確実に邪魔をされているのだ。
しかしながら、ここで余計なことを言って仲間内の和を乱すのは得策ではない。

「や、それはそうと。ともあれ薬湯のおかげでぐっすりお休みになれたのでしょう?お体の回復も早そうで良かったじゃないですか。」

ははは…とごまかし笑いをしながら、リブは主君の前に茶を置いた。

「どうぞ。これはいつものお茶ですからご心配なく。」

「当然だ、朝からあんなもの飲まされてたまるか。」

リブがあからさまに話題を逸らせたことを気にするでもなく、アシュヴィンは彼の淹れた茶を一気にあおった。
カップを置くと、その勢いのまま立ち上がる。

「さてと。あと手に入れられそうな勢力は南東方面だな? さっさと片をつけるぞ。」

「御意……って、え!? お待ちください殿下、お体の怪我がまだ…。せめてあと一日、ゆっくりとお休みになられた方が…っ。」

リブが慌てて止めようをしたが、それに構わずアシュヴィンは颯爽とした足取りで部屋を出て行った。

「全く、少しもジッとしていて下さらないのだから…。困ったお方ですね。」

だが、さすがに今回は譲れない。
リブは急いで茶器を片付けると、足早に部屋を後にした。



「あ、アシュヴィン。今、部屋へ行こうとしてたの。傷の手当てと包帯の交換をした方がいいと思って。」

回廊をしばらく歩いたところで、千尋が薬箱を抱えてやって来るところに出くわした。
アシュヴィンの姿を見つけて、嬉しそうに駆けてくる。

「よく…眠れた…?」

心なしか顔を赤らめながらアシュヴィンを見上げている。

「ああ。誰かさんのおかげでな。」

半分嫌味を滲ませながらにやりと笑って見せると、千尋は頬をわずかに染めたまま、バツが悪そうに目を泳がせた。
そんな彼女の様子に微笑みながらふと彼女の後ろに目をやると、千尋に付いて来たのだろう、風早と那岐がやってくるのが見えた。

「アシュヴィン、体調はいかがですか。千尋はああ言ってますが所詮は素人ですからね、体の包帯などは俺が手伝いますよ。」

いつも通りの穏やかさで言う風早の横で、那岐はそっぽを向いている。
昨夜あのような啖呵を切ったので、気まずいのだろう。

「ああ。気遣い感謝する。だがもう…。」

「それに、年頃の娘に殿方の素肌を触らせるわけにもいきませんしね。」

「…?」

どちらかというと那岐に気をとられていたアシュヴィンの耳に、風早が口を滑らせるようにポロリと呟くのが聞こえた。

「……なるほどな。」

どうやら問題は、千尋の幼なじみの王族小僧などではなく、こっちの小舅もどきらしい。
自分の留守中に千尋を惑わす心配は皆無だろうが、余計なちょっかいや邪魔をさせないように牽制しておいたほうが良さそうだ。

アシュヴィンは千尋に視線を戻し、その手から薬箱を取り上げた。

「傷なら大方治ったからもう手当ての必要はないぞ。なにせ一晩中おまえを抱いていたからな。さすが神子殿の癒しパワーは絶大だ。」

「な、なにを…。」

そう言ってニヤリと笑いながら千尋の腰を抱き寄せると、途端に彼女の頬が真っ赤に染まる。
その様子に、風早と那岐の二人が豆鉄砲を食らったような顔をして動きを止めた。

「……………え?」

そんな彼らを横目に見てほくそ笑みながら、アシュヴィンは千尋の耳元に口を寄せて囁いた。

「嘘は言ってないだろう。朝目覚めたら、おまえはちゃんと俺の腕の中にいたぞ。」

「そ、それはそうだけど…。」

もっとも、アシュヴィンが目覚めたことに気付いた途端、慌ててベッドを抜け出し、一目散に自室へ駆け戻っていったが。

「あれは妃としては頂けない振る舞いだったな。目覚めのキスくらいするのが普通だろう?」

「な、なに言って…っ。」

「千尋。」

更に頬を赤らめながら口篭る彼女の耳元にささやきかけ、すばやくキスを落とす。

「………ぁっ……。」

「…いい声だ。」

「ば、ばかっっ。こんなところでなにするのっっ!」

一気にゆでだこのようになった千尋が、アシュヴィンを精一杯にらみながら、その腕の中でジタバタともがいた。

「な……っっ。」

それを見ていた風早はがっちりと固まり、那岐は口をパクパクさせて絶句している。
そんな彼らを横目で見ながら、アシュヴィンはフッと不敵な笑みを浮かべた。

(こいつらへの牽制はこのくらいにしておくか。)


そこへバタバタと派手な足音が追いかけてきた。

「お待ちください、殿下。そこまでお急ぎになる必要は…っ。せめてもう一日だけでもご養生を…。」

「騒々しいぞ、リブ。 千尋を一晩中抱いていたから、もう大丈夫だと言っているだろう。」

「は?…抱いて?……え?」

そこで初めてその場の雰囲気に気付いたリブは、状況が飲み込めずに目を瞬かせた。

「そうだ、ちょうどいい。リブ、千尋の荷物を俺の部屋に運び込め。今宵から寝所を共にすることにする。」

「え? ちょっと待ってアシュ、急にそんなこと言われたって…っ。」

「なんだ、なにか問題があるのか? そもそも、夫婦が別室で寝起きしてる方がおかしいだろう。」

「そ、それは…。」

千尋は、顔を耳まで真っ赤に染めたまま、恥ずかしそうに俯いてしまった。
そんな彼女の反応に、いつの間にか悪戯心が引っ込み、ただ愛おしい想いだけが湧いてくる。

「心配するな、千尋。今からまたしばらく宮を留守にする。その間に覚悟を決めておけ。」

彼女にだけ聞こえるようにそう甘く囁いたが、その言葉に千尋は驚いたように顔を上げた。

「え、留守に…?」

見上げた瞳が、心配そうにアシュヴィンを映している。

「そんな…夕べ帰ってきたばっかりなのに。それに怪我だってまだ…。」

「怪我ならもう大丈夫だと言っただろう。おまえから癒しの力をもらったと言ったのは、全くの冗談ではないからな。」

「うん…。」

それについては千尋も敢えて反論することもず、黙って目を伏せた。

「おい、千尋…?」

先ほどまでの勢いはどこへやら。千尋は萎れたようにしゅんとしてしまった。

「ふっ…俺と離れるのがそんなに寂しいか?」

「そんなこと…っ。」

からかい混じりの言葉に、千尋は思わずパッと顔を上げた。

「…あ…。」

だが口調とは裏腹に、千尋をみつめるアシュヴィンの瞳は、彼女が初めて見る優しい色に溢れていた。

「…ない、と断言されるとさすがに少々傷つくんだが。」

その瞳に捉えられたまま、千尋は小さく首を振った。

「ううん。アシュヴィンがいないと寂しい…。ずっと寂しかった…。」

「…っ…。」

その言葉にアシュヴィンは、目を見開いた。

「だから、どうか無事で帰ってきて…。」

─ 行かないで欲しい ─

言葉とは裏腹に彼女の瞳はそう訴えている。

「いい答えだ。」

強気な口調を保ちながらもアシュヴィンは、自分を見つめている潤んだ瞳から目が離せなくなっていた。
その瞳に引き寄せられるように顔を近づけ、触れるだけの口付けをそっと落とす。

「アシュ…。」

「俺のベッドを温めて待ってろ。」

そう囁いて、もう一度。
今度はしっとりと、互いの吐息が交じり合うように口付けを交わす。

「……ん…っ…。」

千尋の漏らす微かな吐息さえも愛おしい。

ここがどこであろうと関係ない。
今は彼女だけを感じていたい。


どのくらい時が過ぎたのか。
恐らくはほんの一瞬であったか。

「リブ殿、殿下はどちらに? 東南方面の交渉に行かれるのなら、私も少しは役立てると思うのでお供をと…。…おや?」

その声に、呆気に取られていたリブはハッと我に返った。

「柊様…っ。」

慌てて振り返ると、横に立った柊が、この場の光景を面白そうに眺めていた。

「あ…これはですね…その、なんと申し上げたらよいか…。」

力強い光が降り注ぐ、爽やかな朝の回廊。
そこで堂々と繰り広げられているラブシーンに、リブはあたふたと動揺した。

「なるほど。夕べの事件のおかげで、雨降って地固まったというわけですか。」

苦笑いを浮かべながら、柊はスッと歩を進めた。

「仲良くなられるのは至極結構。殿下もなかなかに隅に置けませんね。しかしながら時と場所を気にする余裕はまだ無い、ということですか。つくづく手のかかる方たちだ。」

「柊様、お待ちください、ここはどうか大目に見て…。」

「何の心配をしてるんですか。」

慌てるリブを尻目に柊は、晴れて気持ちを通じ合わせた二人…ではなく、目を見開いたまま固まっている男二人に近づいた。

「そんなに穴が開くほど見つめるものではありませんよ。ほら行きましょう。」

風早と那岐の首根っこをクイとつかんで、ずるずると引きずって行く。

「リブ殿も。」

「あっ、はい。」

「お二人にとっても、もちろん我々にとっても、ここからが正念場。しばらくは甘い時間に浸っている余裕などありませんからね。」

柊も二人の距離をもどかしく思っていたのだろう。
やっと心を通わせた二人を見守ってやりたいという気持ちは同じらしい。

「そうですね…。」

皆に続いて静かにその場を離れながら、リブはそっと後ろを振り返った。

「良かったですね、殿下。」

これで彼にも、本当の意味での帰る場所が出来たのだ。

「姫様。殿下のこと、どうかよろしくお願いします。」

お互いを思いやるようにしっとりと熱を分け合う二人を、柔らかな朝の光がそっと包み込んでいた。



~fin~
















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