星の降る夜は 1
「ねぇリブ…。アシュヴィンはいつ戻ってくるのかな。」 リブの淹れた茶を口に運びながら、千尋がポツリと呟いた。 先ほどまで明るく世間話をしていたのに、急に視線を落として寂しげな様子を見せている。 「ご心配ですか?」 そんな彼女の様子を微笑ましく思いながらリブは、菓子を盛り付けていた手を止めて千尋を見た。 「殿下なら大丈夫ですよ、あのお方の有能さは姫様もよくご存知でしょう?それとも、やはりお一人はお寂しいですか。」 くすっと笑みを漏らしながらそう言うと、千尋は大きく狼狽した。 「そ、そんなんじゃ…っ。」 「おや、今更照れることですか?」 顔を赤らめ、両手を顔の前でぶんぶんと振って否定する千尋を見て、リブは小さく首をかしげた。 最初はすれ違っていた二人だったが、千尋の臣下たちがちょっかいを出したことも幸いし、心を通じ合わせた二人は、あの夜、思いを交わし合ったはずだ。 そのあとすぐ、アシュヴィンは友軍を増やす段取りをつけるために、わずかな兵を連れて宮を出て行った。 それからすでに数日が経つ。 「独り寝の夜がお寂しいのは当然のことかと…。」 「リ、リブ! このお菓子おいしいね! リブが作ったの!?」 「え? あ、はい。お口に合うかどうか不安でしたが…。」 「すごくおいしい! 全部もらっていい?」 「はい、こんなものでよろしければ。」 きょとんとした顔のままリブが頷くと、千尋は皿を持ち上げてあっという間に広間を出て行ってしまった。 千尋が漂わせた戸惑いが微かに残っている。 「アシュヴィン様…もしかして、まだ?」 思わずそう呟いたリブは、その言葉を反芻して苦笑した。 「全く、何をしておいでなんだか。」 あのように有能な皇子が、たった一人の女性に手を出しかねているとは。 「それだけ大切な存在、ということですか。では私も心してお仕えすることに致しましょう。」 リブは茶器を片付けながら、彼女が出て行った扉を見て微笑んだ。 その夜、宮は急にあわただしい雰囲気に包まれた。 「……?」 自室のテーブルで笹百合の造花を作りながらうたた寝をしていた千尋は、遠い喧騒にふと身を起こした。 「千尋、いますか?」 そこへ風早が駆け込んできた。 「風早、どうしたの?」 「アシュヴィンが戻ってきたんです。」 「ほんと!?」 「ええ。それはいいんですが…。」 パッと顔を輝かせて立ち上がった千尋に、風早は視線を落とした。 「まさか、彼に身に何か…っ?」 風早の様子に只ならぬものを感じた千尋は、次の瞬間走り出していた。 「あ、千尋、そうじゃなくて…。…ったくアシュヴィンも何を考えているんだか。」 またひと波乱ありそうな予感に、風早は思わず額に手をやってため息をついた。 「アシュヴィン!」 千尋が広間に入ると、数名の臣下に囲まれた彼の姿があった。 その中には医師の姿もある。 千尋は、いやな鼓動を抑えながら駆け寄った。 彼女に気づいた臣下や護衛の兵たちが、スッと道を開ける。 「ああ、千尋か。今戻った。」 「どうしたの、その怪我…っ。」 アシュヴィンはいつも通りの快活な声で応えたが、彼の姿を見た千尋は青ざめた。 マントや上着を脱いだ彼は、腕を包帯でぐるぐる巻きにされている。かすり傷もあちこちに負っているようだ。 「少しばかり面倒ごとに巻き込まれただけだ。大したことはない。」 「大したことないって…いったい何が…。」 千尋が思わず手を伸ばしたそのとき。 「アシュヴィン様は私を庇って下さったの。こんなことになって…ほんとにごめんなさい。」 アシュヴィンの近くにいた女性がスッと出てきて、彼に寄り添うようにその腕に触れた。 「え……?」 「アシュヴィン様、この方は?」 千尋と同じように駆けつけてきたリブが、いきなり登場した女性に戸惑いつつアシュヴィンに問いかけた。 「ああ、彼女は東の領主の娘だ。領主とはうまく話が進んでいたんだが。」 皇子とはいえ常世の国の王に弓を引こうとするアシュヴィンに従うのを良しとしない一派が、彼に与することに納得せず、領主との会合の席でアシュヴィンを襲おうとした。 「そのとき怪我を?」 「まさか。奇襲されたとはいえ、あの程度の者どもにそう簡単にやられてたまるか。」 リブの問いかけにアシュヴィンは鼻で嗤ったが、それならば何故このようなことになったのだろう。 千尋とリブが思わず顔を見合わせていると、領主の娘と紹介された女性が口を開いた。 「だから、私を守ってくださったのよ。ああ、アシュヴィン様…このご恩は一生忘れませんわ。どうかわたしをおそばに置いてくださいませ。」 「あの…アシュヴィン、どういうこと?」 彼の腕に頬を寄せるように抱きつく彼女に、千尋は頬を強張らせた。 千尋の前でこのように寄り添う彼女を、アシュヴィンは拒否しようともしない。 多少、苦虫を噛み潰したような顔をしているだけだ。 「それがだな…襲撃されたとき、この娘がいきなり飛び出してきて…。」 アシュヴィンを庇うように反徒の前に立ちふさがった。 主君の娘の出現に彼らも驚いたが、放たれた矢や剣を止めるには、時すでに遅く。 一方のアシュヴィンも、彼女が邪魔で剣を抜くこともできず、術を放つタイミングも逃してしまった。 「彼女を引き寄せて矢から守るだけで精一杯だったんだ。」 「それで、そんな傷を…。」 リブが情けなさそうな表情で、自分の主君と領主の娘を交互に見て、ため息をついた。 「余計なことをしてくれましたね。」 領主の娘とやらがその場に出てこなければ、アシュヴィンほどの者がこのような怪我を負う事はなかったはずだ。 「それで、殿下。なぜ彼女がここへ?」 会談の行方がどうなったのかも気になる。 アシュヴィンは今、自軍の勢力を拡大すべく、近隣の領主たちを味方につけようと動いているのだ。 「勝手についてきたんだ。」 「まぁ、アシュヴィン様ったら。皆の前で照れておいでですのね? あの時はあんなに必死に守ってくださったではありませんか。私はそのご恩とお心に報いるために、アシュヴィン様にこの身を捧げるために参ったのですわ。」 「なんか鼻に付く女だな。自分はアシュヴィンに気にいられてるって言いたいのか?」 いつの間にか様子を見に来ていた那岐が、誰にともなく呟いた。 それを聞いたリブは、ちらりと千尋に目を向けた。 彼女は何を思っているのか、黙ってアシュヴィンとその娘を見ている。 だが胸の前で握られた手は、わずかに震えているように見えた。 「領主の娘とやら。一応言っておきますが、殿下にはすでにお妃様がいらっしゃいます。そなたをアシュヴィン様のお側に置くわけには…。」 「お妃様のことなら存じておりますわ。でも所詮は政略結婚なのでしょう?しかも中つ国の方だとか。それに身分の高い殿方なら、気に入った他の女性と懇ろな関係になるのはごく普通のことですわ。」 「それは…。」 あまりにも真っ当な言い分に、リブは反論の言葉を失った。 それにしてもアシュヴィンは何を考えているのだろう。 千尋の目の前で、このような女性に言いたい放題言わせているとは。 「殿下…。」 リブは目線で千尋を示しながら、アシュヴィンに訴えかけた。 |
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「笹百合を揺らす風」の続編です。
アシュヴィンのシリーズはここまで一貫して冒頭の書き出しを
千尋かアシュヴィンが、リブに互いの様子を聞いたり相談したりするシーンから始めています。
少しずつ距離が縮まっているとはいえ、まだ微妙に距離があるので
二人とも、信頼出来る人に相談したいのではないかな、と。
そういう意味で、リブというキャラは実に良い立ち位置に居るなと思います。
(有体に言うならば、とても使い勝手が良い。笑)
さて、未だ形だけの夫婦とはいえ、夫が女性を連れてきたというこの事態。
二人の仲を一気に近づける起爆剤となるか。
少し長くなりますが、お楽しみ頂けたら嬉しいです。
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